2009年5月12日火曜日

それぞれの幸せの想い「Story of … カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶」@東京国立博物館・表慶館

目がくらむようなキラキラと、

みたこともないような造形のセンス、

うらやましくなるような細部へのこだわりに、

時代を越える人をひきつける力。

まあ、とにかくカルティエのクリエイションのすごさを体感。

バックグランドにある教養とかを感じることが出来るのが

ハイジュエリーのすごみだなあといつも思う。

見た瞬間に、客も作り手も何かのお話を嗅ぎ付けることが

出来る幸せな共犯感。

そんな、ともに何かを仕掛けることができるベーシックな

裏打ちを自分も持ちたいと願い、精進する。

ジュエリーがなぜこんな形になったのかとか

ジュエリーがなぜこの人の手元に渡ったのかとか

ひとつひとつに秘められたお話がまた濃厚で

図録をじっくり読むだけで相当楽しめる。

ワニをカルティエの工房に連れてきて

「早くしないと大きくなるわ」と言い放って、

ワニ型のネックレスを作らせた女性の話とか

家中の宝石をあらいざらいかき集めて、

全部カルティエにリデザインさせたインドのマハラジャの話。

パリの街を飛んだ飛行船乗りが発注したはじめての腕時計話。

超高級なものの裏にある豊かな人生、幸せも不幸も含めて。

にしても、グレース・ケリー超キレイ。

本当に宝石がキレイに見えて、いい展示だった。

2009年5月9日土曜日

浸って沈み込むこと「マーク・ロスコ展」@川村記念美術館

「シーグラム絵画」と呼ばれる本来はひとつのレストラン空間に

飾られるはずだった壁画が、世界中から集められて一度に15枚を

見る事ができるという貴重な機会。

といっても、それほどマーク・ロスコがっつりはまったことがなく

ありがたみの実感は少ないんだけど、とにかく行ってみて、

感じてみようと決めた。

とにかくバカでかい赤っぽい、紫っぽい画が空間に配置されている。

「瞑想する絵画」というように、その空間に入ったところで、

さして気持ちがぐらつかない。うーむ。

でも、瞑想しなればと、結構長い時間いると、くるわくるわ。

さざ波のように自然の色が見えてくる。

本当にレストランに置いてあって、フルコースなんか食べたら

ちょっと感動する空間になったかもしれない。

夕日でもあり、朝日でもあり、血の色でもあり、

岩石の色でもある。ちょうどエアーズロックとかの真っ赤に染まる

感動的な瞬間にも似た激情も秘められている。

目の前にひろがる空間がどこまでも抜けていく

静かな静かな音のない景色の感動はなかなか味わえない。

やはり、セットで飾られるべきものが集まったときには

なんか計り知れない磁場を生み出したりするものだ。

海山十題のときも、伊藤若冲のときも思った。

そういうの好きだというのもある。

画家が考え抜いたプランに浸るのは、時間がかかるが、

すべてがパズルのように動き始めたときには

とんでもない感情の揺さぶりが隠されているケースが多いなあ。

それにしても、川村。遠いけど、とんでもなく豊かな建物。

常設展もすさまじいラインアップ。居心地よし。

2009年4月28日火曜日

信念なんて報われぬ「沈まぬ太陽1〜5/山崎豊子」

正しく生きることと豊かに生きることが

必ずしも一致しないこの現代を膨大な取材から

あぶり出して、小説に仕立て上げる。

その作業は絶望的に夢なんてなかったりする

会社内の権力闘争の様を浮き彫りにしていく。

自分の信じる道を進めば進むほど

仕事の環境は厳しくなり、閑職においやられ

家族とは離ればなれになり、手の中には何も残らない。

本当に切ない。

海外赴任先から日本に戻る奥さんを見送るシーンが

あるんだけど、すごい雨の中、自分の背中がビショビショに

なって、子供を飛行機のタラップまでぬれないようにする姿を

見て、思わず名前を呼ぶのだけれど、雨が強くて奥さんには

聞こえないのね。

もう、声でないわ。切なくて。

正しいことしてんのに。

いい人、ちゃんとした人間関係はすべて手元に残るけれど

それを豊かな人生の作物だと言い切るには

あまりにも恵まれなさすぎて、現実的にすぎて、つらい。

一巻から五巻まで一気読み。

2009年4月26日日曜日

豊洲

きらきら

2009年4月25日土曜日

どこまでも悪は悪「Cの福音/楡 周平」

アメリカから麻薬を密輸する男の

冷酷な完全犯罪術。

人間、善も悪もあるよねと思うけれど

一度すみわけた人間は意外とどちらも抱えながらなんか

生きたりしないんだなあ。ほんと。

いいもんはいいもん。

わるもんはわるもん。

淡々とくみ上げられていく悪いことするための仕掛けとか

だからこそリアルだと感じて、そういう世の中だなあと。

不思議なことにそこに嫌悪感もない。

そして、着々とお金がそのステージに集まっていくんだよな。

うん、まるで違和感もない。

中で出てきた「人に口を割らせるための凄い方法」というのが

また奮っていて、まずは麻酔で身体の痛みを感じないようにして

身体をナイフでざくっときるんだそうだ。見えるとこを。

痛くもないのに、自分の身体が割れて、そこから血がどぼどぼと

たれていくのを見るのは、もうどうにもならず恐怖らしい。

これは、怖い。目の前で身体をさばかれていくのは、かなわない。

2009年4月23日木曜日

神宮外苑

今日は、風がすさまじく
気持ちいい。

2009年4月21日火曜日

全感覚を使え!「万華鏡の視覚」@森美術館

ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより。

ハプスブルク家のプライベートコンテンポラリーアート発注もの。

持つものと持たざるものをリアルに感じる展覧会の景色。

こんなもの、家に持ってこられても困るサイズ、スケール。

ちょっと壁に掛けられるようなものはまるでなく、

いちいち身体全身サイズ。そして落ち着く類のものはなく、

感覚を全部解放して、毛穴からすら入ってくる刺激を

とにかく取り込む感じの展示。いやあ、「美」というよりは、

本当に「刺激物」の印象の強い品物がずらり。

ケリス・ウィン・エヴァンスの蛍光灯柱とか直視できないくらい

ギラギラと身体に悪そうな光を放っているし、

カールステン・フラーの「Y」という作品とかは

自分の身体のまわりを白熱灯がぐるぐるまわってて

その様子を鏡でみたりすると、どこかに吸い込まれているような

妙な浮遊感を味わえる。

ロス・カルピンテロスの壁が砕け散る瞬間を、

実際のブロックで再現すたやつなんかは、

時間が止まった瞬間を自分が動ける状態で感じることの

違和感をいやおうなく押し付けてくる。

イエッペ・ハインの映す物体とかは、ジム・ランビーの

クラクラする文様と自分自身の姿が球形の中に閉じ込められる

お得なような感覚も。

マシュー・リッチーっていう人の色使いとか素材感とか

空間への絵の張り出し方とかが好きだった。あまり触れたことの無い人。

グオ・フェンイーっていう人の描いた絵は

執念の赤ボールペン画。もうひたすら線をひきまくる向こう側の世界。

彼に何が見えていたのか気になる。

図録ではまるでダメな、行かないと不可能な体験ばかりで

美術館冥利につきると思った。