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2010年10月5日火曜日

きっと初演の方が…「農業少女/NODA MAP」@池袋東京芸術劇場

いつの話かって、もう3月の初旬の鑑賞。

書き留めるのにも限界があるから、どうにもメモにもひどい。

ああ、もったいない。

深津絵里だったなあ、やっぱりとか。

松尾さんのくだらないギャグが世界を覆い尽くすんだけど

松尾さんの笑いは結構、松尾さんの身体でしか、

もしくは大人計画の身体でしか表現できなくて、

切ないことになっていたりとか、感じたことを覚えている。

覚えているって、どうなんだ?

野田さんの戯曲を遊び尽くした形にはなっているんだけど

まあ、まるで話はごちゃごちゃになっている感じが

さらに増長されていて、ついていくのがやっとやっと。

ただでさえ、話が渦のようになりつつ、気づいたら

その真ん中に吸い込まれているのが気持ちいい野田もの。

細い線を走り抜けるには、いかんせん遊びが多すぎた。

女の子が、世の中の気づかぬうちに?(意図してかもしれないけど)

真ん中にいること、しょせんは聖母のもとに

みんなは集っているのかなあということ、

その女の子が農業という食、生活の中心を目指すこと、

時代は一周してこんなところに戻ってくるのかあと感じた。

にしても、都会に憧れても、そこに何もなく、

キレイな子に引き寄せられても、また何もない。

それじゃあ、オレの手の中にも、何も残らないのか?

ってことなのか?

2010年3月4日木曜日

「世田谷カフカ/ナイロン100℃」@本多劇場

『審判』のヨーゼフ・Kに

『城』のK(カー)

『失踪者』のカール・ロスマン

と、3作の長編に3人のK。

で、この3人が集まったらおもしろそうだなと

ということで、ケラさんが書いたというか

劇団のみなさんが紡ぎ出した空間が

本多劇場に。ああ、劇団ナイロン100℃。

カフカってはまったことないから

ちゃんと読まないといけないと思った。

まるで、頭に筋が残っていない。フレーズがない。

景色がない。ダメだなあ、名作に損はないのに。

でも、カフカって面白人生の人だなあ。


フランツ・カフカとは
『変身』などの著書で知られる
現在のチェコ出身のドイツ語作家。
保険局に勤めながら執筆活動を行っており、
生前はほぼ無名に近かった。
死後、彼の友人であるマックス・ブロートが
遺稿を発表したことにより、
その名が広く知られるようになる。
ちなみにカフカは、この遺稿をすべて
焼き捨てるようにと遺言に残していた。
長編はこの遺稿の中にあったもので、
『審判』『城』『失踪者』の3作品のみ。
そのすべてが未完である。


上記の主人公たちとカフカ本人がバタバタと出てきたり

役者に戻った今の世田谷を生きる、そのままの人が語り

で、そのふたつがないまぜになってダンスしたり歌ったり。

ある意味ゴールがないと思える中で、

お話ってあるようで、ないけど、

そこがそのまま現実じゃないかと感じる舞台だった。

こんなことが成立するのは、やはり劇団だからかなあ。

空気だけがつないでる。こういう感覚だって

現実にはよくあるよなあ。隣同士全然違うこと考えてて

それでもなぜか同じ仕事してたりするもんなあ。

ナンセンスコメディの集団だけど、

自分たちの話する時のリアリティのあり方とか

素晴らしくて、ちょっと胸に迫るものがあった。

ムダに。

相変わらず、長かったけど、

そして、後半は絶対切れるって思ったけど

切らないあたりも「らしさ」だなあと思い直した。

完成度とかよりも、想いだよなあ、ここは。

超エリート国家公務員集団「パリ・オペラ座のすべて」@ル・シネマ

1年の人件費は160億円だって。

みんな国家公務員で、ちゃんと身分保障。

それで、中で必死に戦ってる。美しいものを作るために。

いやあ、志高くてよいなあ、やはり、それをちゃんと許す

市民も本当に偉い。あれは、守りたいって思うのかな?

日本だと、すぐ生活と関係ないとか言って文句が出て

お金出なくなったりするもんなあ。

それにしても、ダンサーたちのリアルな、飾られない鍛錬がよい。

地味で地味で。だけど、そこからしか生まれないキレとか

ちゃんと見え隠れして、調子いいやつとか悪いやつとかも

残酷に隣り合わせで、生きていかななくちゃいけなくて

そういう本当のガラスの仮面的世界が切り取られていて

ドキドキする。

紙一枚で次の仕事があるかないか分かったり

家柄とか関係なく、その人自身が作った人間関係と実力が

生きる糧を得るかどうかをキワキワで決めたりと

ドロドロの現実を見て取れる。

働いてる人がみんなクセがあって、めんどくさいんだけど、

誇りがあってよかったなあ。

営業みたいな人も「それはオペラ座ではない!」とか

言い出して、外の人にごねまくったり。

愛を感じるなあ、そういう瞬間。

監督は周りから気配を察知されないように

カメラマンと独自のサインを作って撮影したそうで。

覚えておこう。

2010年2月3日水曜日

竹内結子の抜けたところ「なくもんか」

主人公はハムカツ屋で、

もうそれはそれはハムカツ一筋で、

何も見えていないようでいて、

実は、そんな人ほどしっかりと先に

つながった生き方をしていたりするところが

本当によかったなあと思った。

話の筋とか大筋は分かっちゃってるけど

そんなことよりも大枠なところで

与えられた人生をきちんと生きようとするところは

なんだか今っぽいんだろう。

しかも愚痴とか言わずに、コツコツと仕方なく。

さして、夢を語ることなく、ある現実をただただ生きていく。

現在って、どうなの?

それにしても、長らくのお気に入りな

竹内結子の可愛さは何か?

憑き物が落ちるのかなあ、広末もこの人も。

スッとヒヤリとするキレイさが、際立ってくるものだ。

離婚とかすると役にリアリティが増すとか

いうけれど、そんなことはたぶんまるでどうでもよくて

心持ちで度胸がすわる分、波立つ部分なく、

凛として美しかったりするのだろう。

何がすっとおちるのか?男子としては気になるところだ。

整形して、竹内結子並みになるデブの女子って

いそうもないと思うけど、実際にいるのが世の中。

芸能人だってみな、おそろしい変貌を遂げていくものだ。

おそるべし、現代技術。

2009年10月31日土曜日

個人の持ち物?「ベネッセハウス/ミュージアム棟」@直島

基本的に個人の持ち物と考えると

ものすごい事になっている直島。

まあ、会社が持っているんだけど

実際は福武さんの考えひとつで進んでいく。

いやあ、お金があるってすごい。

なんか、こういう住まいと

一緒になっている建物に来ると、

一段とすごさを感じるなあ。

こんな景色の中に、こんな作品を置きたいなあとか

作ってもらいたいなあとか、そんな妄想の中で

世の中と関わることが出来るなんて、素晴らしすぎる。

どうしても、シマ次郎とかと結びつかないんだけどねえ。

あれを生み出しておきながら、文化事業で

こういうことを押し進める理念もある。

よく生きるって難しい。

作品的にはぐっときたのは、ブルース・ナウマンの

100生きて死ねという作品。

ネオンで100個のフレーズがあって、歌ってから死ねとか

食べてから死ねとかが明滅するというやつ。

コンクリートの無機的な空間にじんわりと光る

ネオンが直島という場所でたたずんでいると

ああ、命って明滅してるんだなあと感傷的になったりする。

都会だと、これもまた違うんだろう。感じ方が。

あとは、そこここにある、須田悦弘の野草。

コンクリートの割れ目にそっと生えている。

目立ちたいのか?目立ちたくないのか?分からないけど

とにかく、しっかりと生えているように見える。

完全な石から活き活きと緑が生えているのは不思議。

さらに、リチャード・ロングの十五夜の石の円。

見える海といつかに作られた岩がまるく人の手で

並べられるだけで妙に悠久の時を感じる。

場所の力ってあるなあ。

2009年10月26日月曜日

モノは言い様「南寺/安藤忠雄&ジェームス・タレル」@直島

もともとお寺があった場所に

土地の記憶を失わない形でアートを収める

ハコをつくるというコンセプトで

新しい建物はドカンとある。

ただ、全く土地の記憶がそこから読み取れない。

なんだか、えらそうな感じ。寺って人の気持ちが見えないと。

安藤ですって感じと、そこそこで儲けちゃえみたいな感じと。

あとは、外側が杉かなんかの焼板で作られていて

それは瀬戸内では昔はあった手法なんだそうだけど

あまりねえ、生きていない気が。どうだ?とこれ見よがし。

権力が見えてくるなら、思い切りゴージャスにしてと思う。

庶民のふりとかいらない。

ものすごい雨が降っていて、屋根も雨どいなどなく、

スパッと切り取られていて、すごいリズムで雨だれが起こっていて、

その音は本当に神さまを感じるようなものだった。

雨の音をあんなに心にしみて感じたことはない。

ジェームス・タレルの「Backside of the Moon」という作品が

中にあるんだけど、真っ暗真っ暗の中で目がなれてくると、

ぼんやりと切り取られた世界が見えてきて、

影の中にも光があることを感じることが出来る仕掛け。

哲学だなあ、言い様だなあ。これは。

美しいかといえば、そんなことはないだけど、

確かに体感したことはない感覚で、ありがたい感じがしてしまう。

でも、なあ、微妙。

2009年9月16日水曜日

光るモノが好き「WHITE/鈴木理策」@ギャラリー小柳

どうやら、きらきらするものとか

光るものが好きなのだと気付き始めた最近。

とにかくアートでも光をテーマにしたものに

ぐっと心を惹かれることが多い。

雪をテーマにした真っ白な写真は光に満ちている。

その白い色は、雪そのままを見ても感じることができず

写真になった瞬間に出てくる色で、この人のそういう類の

色はいつもいつも感心する。

なんだかピュアなのだ。

そぎ落とされたすっきりした色を感じることができる。

そういうのがあるから、写真にする意味があるんだと思う。

雪だけを撮っているのに、なぜか崇高な感覚さえあるのは

世界を違って見せてくれて嬉しくなる。

そこに、ほんの少し見える緑の生き生きと生ける姿。

その緑のフレッシュさ、命の力。不思議。

結果として、地球ってピカピカで、そこにある自然は透明で、

生きる命はミラクルだと、静かに静かに

感じることのできる写真たちだった。

ふと見た色は、目に映る以上で、心に残ることがあり

そんな景色を見事に写真に残すことができる写真家が

うらやましい。

泣け!これで泣け!「ROOKIES」

がむしゃらにやってるのを見て

心に響くことがある。

学園祭とかそうだった。さしてうまくないのに

なんか必死にぶつかっているのを見て

胸が熱くなったりする。

そういう類の映画だと思う。

画も別に凄まじいわけでもなく

ストーリーも先なんか全部予定調和で決まってるけど

そのとおりになっていくさまを、ぐっと見る。

はい!スイッチを入れてねというところで

これでもか、これでもかと単調なほどにテーマが

なりまくる。でも、それがキモチいい。

そんなテンションを支えているのは、きっと役者たちの想い。

みんなみんなどうしようもなく、この作品を愛しているんだと。

今の彼らに出来るすべてをぶつけて、ここにいるんだと。

そういうのって、学生演劇とかもそうだよなあ。

なんか、全力でできること何もかもやるっていう。

計算して出来ない分、無我夢中でやって、

結果、変な形でブレイクスルーしたりするんだよなあ。

あとビックリしたのは、前にいた女子が

本気で映画の野球を応援していたこと。

そんなにどきどきできないだろう?と思ったら

ほんとにヒット打ったら、キャーとかいって手をたたいてた。

脚本なのになあ、わからん。ああいう女子。

2009年7月9日木曜日

今の日本にして欲しかった「桜姫~長塚現代劇バージョン」@シアターコクーン

日本の桜姫を南米を舞台におきかえて

日本語で上演という長塚圭史が書いた現代版。

正直、日本の今に置き換えたときに

どうなるのかが見たかった。

もう南米にして、舞台も抽象で、どこの時代かも

ふんわりしている状態だと、言葉がはっきり現代語だから

分かる以外は、なんら条件が歌舞伎と変わらない。

そんな気がした。

考えることは考えるなあ。

自分にとっていいことが起こっているときは

自分の分身にとって悪いことが起こっている。

逆もまたしかり。要はフィフティフィフティ。

というよりは、人間ってものすごく業が深いんだろうなあと。

幸せなときももっと先、もっと先を求めてしまう。

相手を見て、自分に不足している幸せに嫉妬する。

正しいことと悪いことが同じ重さで扱われていて

人生はどうしようもなくどちらも起こりうるのだと

肌でびりびりと感じた。

そして、単なる幸せなんてありえないという

長塚ものでいつも感じる、人間への絶望はやっぱり

今回も感じて、この人は生き難いだろうと気の毒に思った。

大竹しのぶと勘三郎のベッドシーンとかあるんだけど

きついかと思いきや、ちゃんとふわっと空気がピンクに

変わったから、ふたりともすさまじいパワーだなあと

感心した。没入、入っていく感じすごい。

あとは古田新太。あの人のテンションの抜き入れの妙は

最近本当に鬼気迫るものがあるなあ。

2009年6月14日日曜日

有名になる前「ネオテニー・ジャパン-高橋コレクション」@上野の森美術館

世の中よりも先に見つけていたよ!とか

一緒に成長してきたよ!とか言える誇らしさに

あふれた美術展だった。育ててきたぞという自負。

ネオテニーというテーマを見つけ出して日本のアートの

位置づけを見つけ出す姿勢はすごいなあと思った。

打ち出しは、どんなことにも大事だ。

ウソでも、そういうことでやっていますと言い切った瞬間に

不思議と自分自身のスタンスもガシッと固まったりする。

そんな不思議な経験はよくある。

だから、なぜ自分の手元にこんなものが集まってくるのかを

きちんと分析して、意味づけをすることは「生きる」ことに

つながると思うし、そんなコレクターになれたら

本当に楽しくて嬉しいに違いないだろうなあと思う。

キレイすぎて、ココロ打たれるものが少なかったのは

残念だったんだけど、そういう志を感じる気持ちよさで

入った感じだった。

青山さんの刺繍絵が圧倒的に好きだった。

あとは池田光弘さんの凄まじい細密画。崩れんばかりの世界の

積み重ねにひたすらに見ていたくなった。

佐伯洋江さんもお気に入り。今回は、自分の好みをしっかり確認する会。

知識が結びつく「天使と悪魔」

誰もが憧れはするだろうけど

体系的な知識というやつが

なかなか身につかないわたくし。

歴史の流れの中で、街にちりばめられた

様々なヒントを駆使して犯罪をおいかける

ハーバード大教授なんて、ちょっと憧れるわ。

江戸時代の建物とかも本当は似た感じの

迷信にも近い長い歴史の中で信じられている

いい方位とか神さまのあり方とかが活かされている

らしいんだけど、まるで知らない。

街道の作り方とか徳川家の寺の置き方とかは

全部意味があるらしい。(あくまで“らしい”の悲しみ)

すごいテンポでイタリアの街に刻まれた

歴史遺物の意味とかパズルの一致を次々に

発見していき進んでいく、テンポとロケーション。

バチカンの教皇選びが題材なんだけど、

本当に観光以上にすごい場所にぐいぐい入ってて

ロケーションの力強さだけでも相当目が離せない。

ダビンチ・コードに比べると、ほどよい謎加減だったので

割と楽しめた。

2009年6月3日水曜日

ハコが一番かっこいい「十和田市現代美術館」

思った以上に大盛況で、間違いなくデートスポットにも

なっていて、非常にいいなあ、人の輪の中心になってるなあと

感心はしたのだけれど、中にある作品がなんか全部こじんまり。

写真ばえはするんだろうけど、びしっとパンチがない。

作家が本気になるほどはお金がないんだろうなあと

少々さみしくもあり、ホワイトキューブがいくつも

つながるハコものそのものが一番存在感がある気も。

ロン・ミュエクの巨大なおばさんにどーんと迎えてもらって、

ハンス・オプ・デ・ビークの謎の薄暗い高速道路で

きつねにつままれた気持ちになって(ほんと奥行きは謎)

ジム・ランビーのカラフル床とかチェ・ジョンファの花馬とか

マイケル・リンの花床カフェとかでポップを満喫して

スゥ・ドーホーの巨大兵隊シャンデリアにうっとりする。

あとは、なんかなあ。もっとガラガラなら楽しめたかも

という不届きな感想。

作品そのものが小さいハコで用意されているので

あまりにも人があふれてると、もう人しか目に入らない。

人が集まっているのは、いいことなんだけど。

あとはおばちゃんとかが、容赦なく歩きすぎ。

見ようとしないのに、なんかがんがん人の視界を

横切っていく。しかも集団で。

かなしい。

金沢21世紀美術館の、まさに縮小版のような感じだった。

2009年5月21日木曜日

3つあわさって「椿会展2009」

力になるといいのに・・・と思ってしまう

資生堂ギャラリーの椿会展。あの広さの空間は

決して広くないから、解け合うと面白そうだけど、

そこまで個と個がぶつかりあって、融合している感じも

なかったなあ。ここでしか見れない感じはない。

伊庭靖子、祐成政徳、塩田千春、丸山直文の4人で

trans-figurativeというテーマで新作を発表。

丸山さんのふわっとした色と背景が溶けていく感じは

相変わらずすきなのだけど、中でもstoryという画は

いろいろなモチーフが消えながら立ち上がってくるような

不思議な感覚で、甘ったるいけどコワイという

あまり味わったことのない印象で面白かった。

圧巻だったのは、塩田千春さん。あまりいろいろ見たことない

作家さんだったのだけれど、空間に黒い糸がクモの巣のように

張られて、その真ん中にクラシックなミシンが。

「無意識の不安」と名付けられた作品で、本当に

見ているこっちが、そのミシンの主のメンタルを

心配したくなる感じだった。よく人を見ると、

「ああ、この人はダメだ」って感じることあるけど

その状況が目の前に現れてしまうのだ。

なんかジョジョとかそういう漫画で見たことある

渦巻く不安が線でびやびやと空間いっぱいに。

気分悪くて、最高でした。

2009年4月25日土曜日

どこまでも悪は悪「Cの福音/楡 周平」

アメリカから麻薬を密輸する男の

冷酷な完全犯罪術。

人間、善も悪もあるよねと思うけれど

一度すみわけた人間は意外とどちらも抱えながらなんか

生きたりしないんだなあ。ほんと。

いいもんはいいもん。

わるもんはわるもん。

淡々とくみ上げられていく悪いことするための仕掛けとか

だからこそリアルだと感じて、そういう世の中だなあと。

不思議なことにそこに嫌悪感もない。

そして、着々とお金がそのステージに集まっていくんだよな。

うん、まるで違和感もない。

中で出てきた「人に口を割らせるための凄い方法」というのが

また奮っていて、まずは麻酔で身体の痛みを感じないようにして

身体をナイフでざくっときるんだそうだ。見えるとこを。

痛くもないのに、自分の身体が割れて、そこから血がどぼどぼと

たれていくのを見るのは、もうどうにもならず恐怖らしい。

これは、怖い。目の前で身体をさばかれていくのは、かなわない。

2009年4月10日金曜日

写真が日本に入ってきた!「夜明け前」@東京都写真美術館

幕末から明治初期、まさに写真そのものが

日本に入ってきた時代に撮影されたものを集めた展示。

当時の写真は最先端技術で、写真館のそれぞれがプライドを

持って競い合っている様が、台紙のデザインなんかに見てとれる。

この台紙のデザインがびっくりするくらいフォントもデザインも

凝っていて、本当にほれぼれする。

写真技師たちのハイカラな様子が、細部からにじみ出る良さ。

あと面白かったのは、日本の観光地を撮りまくった名所シリーズ。

明治くらいのを見ると、今でも変わらない景色なのに、

いくらか山深い。そうだ、日本にはもっと木があり、森を抱えていた。

その中に、真っ赤だったり、金だったりの建物がすっと現れてくる

神聖さだったり、神々しさだったりがあったはずで、

そんな感覚を失いつつあるのは、もったいないなあと感じた。

さらに、地震現場をニュース的に撮影したものもあったんだけど、

そのつぶれかたは今も昔も変わらず、ほんとぺちゃんこ。

人間の力なんて、そんなもんだなあと思うほどに何も残らない。

あとは内田九一が撮影した明治天皇の肖像画のシリーズが

またよかった。なんか国を背負う気合いが思い切り写真に出てて、

時代を感じた。カリスマ感あったなあ、なにやら。

2009年4月4日土曜日

息子とみる「ヤッターマン」

2時間耐えられるか?と思ったが

なんのなんの、食い入るように見る息子。

そして、日本人はシャイだというが、そんなのは後天性。

インド人みたいに声出しながら、盛り上がる。

そして、何より唄う。結構なボリュームで。

ガンガン唄う。ヤッターマンの唄って結構節回しが民謡っぽいから

2歳とかが唄うとくだらなくて、よい。

映画自体はずっとよく出来たパロディを見ている感じで

元ネタを知っている人は終始楽しめる。

ずっと裏笑いで、ゲラゲラ。

ああ、あのシーンがこんなアレンジに。ゲラゲラ。

ギャグも、あえてクラシックなままで、こなしてあってゲラゲラ。

そして、深田恭子の状態がすさまじくいい。

あんなに状態のいいフカキョンは、この先見れないかもしれない。

神様、もう一度だけの時に思った、この娘性能いいなあという感覚が

鮮やかによみがえる。

監督の愛情も、圧倒的にフカキョンをなめまわすように、過剰でよい。

息子のくだらなリアクション第一位は、

フカキョンと桜井翔のキスシーン。

わざわざ振り返って、キスしちゃったよ!と報告してた。

ほんと、どうでもよく、素晴らしい。

2009年4月2日木曜日

自然を閉じ込める「うつわ/U-Tsu-Wa」@21-21DESIGN SIGHT

こんな展示。

本展は、陶作家ルーシー・リィーとジェニファー・リー、
木の作家エルンスト・ガンペールによる3人展です。
シンプルな中に大胆な手法や表現を取り入れ、
現代陶磁器の流れに大きな影響を与えたルーシー・リィー。
静かで抽象的な造形の中に、独特な自然観を投影する
ジェニファー・リー。
ろくろを使い、倒木や流木からその命を取り出すように
制作するエルンスト・ガンペール。

展示空間をかっこよく作ってて、水盆の上に

浮くかのように様々な器が宇宙よろしく置いてあるんだけど

もう今となってはかっこよさないなあ。この感じ。

古い感じした。逆に。見にくいし、うつわの色も出ていない。

照明にかなり大きな負荷が来ていて、まったく発色しない。

それでも、ルーシー・リィーのうつわは素晴らしい。

苔が積み重なるかのような表面。

大理石が切り取られているような乳白。

花の一瞬の赤を閉じ込めたかのような、滅多に現れない自然の赤。

積み重なる、茶色の地層。

そんな風に自然の瞬間を、うつわの中に感じるものが好きなので

この上なく幸せな感じだった。

エルンスト・ガンペールのうつわでは、もっと単純に木から

うつわを削りだしているんだけど、こうなると日本の木工で

はっきりと同じイズムが生きていて、ありがたいことなんだけど

そんなに驚きはない感じだった。

ただ、焦げ茶に沈んだ木を刳り貫くと、その中が黄金色に見える

木肌が現れるのは、新鮮な色彩だった。

2009年3月4日水曜日

中年の諦めない悲哀「少年メリケンサック」

宮崎あおいは、まあ何やってもかわいいんだけど

さすがに心動くところはなく、常に悪ふざけ。

まあ、悪ぶる女子もカワイイんだけど、そこまで。

やはり、大人計画の遺伝子はなかなか受け継がれることもない。

あの世界感をポップとともにお届けできる役者陣って

ある意味すさまじい選民機能だなあと思う。

何よりも思ったのは、いつまでも夢追ってても

本人たちとは関係なく残酷に時間は流れてることの切ない中年。

パンクバンド3人のどうしようもない力の入り込みと

空回りっぷりと夢なんか叶うわけないというリアルと。

そのなかで、少しだけ道がひらけるけど

それはエンターテイメントとしてははるかに飛距離が足りない幸せで

そこでよしとしようよとはっきりと現実を思うクドカンの

ふわふわしない根っこの強さとか非情さを感じた。

まあ、話としての面白さとかよりは瞬発力をただただ楽しむ

ショートムービーなので体調よくないと連戦連敗。

笑わないとセンスないもの、みたいな変な空気がよくなくて

終わった後のまわりの最初に何いうかみたいなせめぎあいが

気持ちの悪い感じだった。

2009年2月27日金曜日

たどってきた時間をしっかりとみつめる「都市へ仕掛ける建築ディナー&ディナーの試み」@東京オペラシティアートギャラリー

派手ではないけれど、しっかりと積み上げた分析を

正しくアウトプットするとすり減らないものが出来ることがある。

そういう仕事を積み重ねてきたスイスの建築事務所の展覧会。

もうね、楽しみ方は超マニアックで、かなり体調よくないと

入り込まないと何も得ることができない感じ。

ただ、一回はまりはじめると結構いける、深淵な楽しみまで。

模型とかも何回も何回も同じ模型のまわりをまわったりすれば

そこにその建築の立つ意味が透けてみえたり。

あとは、そこから何かを変えようとする意思がみえたり、

そこから変わる予感を感じることができたり。

街は時間の積み重ねだということをしっかりと認識していて

そこにムダにクライアントの意思だけで塊感ばかりあるものを

たてたりはしない、非常にはやりをぴしゃりとやる感じのスタンスが

好感を持てるし、参考にもなった。

その時、どんなことがあっても、前の時間があってこその今だし、

今だって次につながる時間の一部だと意識できるのは素晴らしかった。

あとはディテールの細かさ。やはり、ものごとはディテールに神がいる。

レンガひとつ、ガラスひとつ、壁紙ひとつ、理由があり意味がある。

そのひとつに導かれていくプロセスこそ、クリエイティブの原点らしい。

2009年2月12日木曜日

人入ってる!!「20世紀少年〜第2章最後の希望」

何はともあれ、混んでて驚く。やっぱり人気あるなあ。

伝われという熱があるんだよねえ、マンガたち。

見習わねば。と日々思いながらじっと画面を見る。

本当に徹底して原作世界を作り上げる様に感心する。

意外と出来そうで出来ないよ、タッチまでそろえていくのは。

カット割りもコマ割りに忠実にとかいうけど、そんな単純じゃない。

音(特にSE)とかテンポ(本当にあり得ないアングルにグイッといく)とか

非凡だなあ、どう考えてもとうなる。

単純にその画と音を楽しみに行けば、きっと損することはない類。

映画として元とれるかは別だけど。人生は揺らさない。

でも、そういうもあっていいじゃんと思う。

お金かけた壮大な息抜きもあっていい。

大スクリーンで木南さんが動いてて、甘酸っぱい気持ちになる。

不幸の法則という番組でさんざん一緒にドラマ撮ったからなあ。

みんな、がんばってる。前向いて。

微速前進だけど、確実にステージは広く大きくなってて、感慨深い。

力が入る。力を入れよう。