いつの話かって、もう3月の初旬の鑑賞。
書き留めるのにも限界があるから、どうにもメモにもひどい。
ああ、もったいない。
深津絵里だったなあ、やっぱりとか。
松尾さんのくだらないギャグが世界を覆い尽くすんだけど
松尾さんの笑いは結構、松尾さんの身体でしか、
もしくは大人計画の身体でしか表現できなくて、
切ないことになっていたりとか、感じたことを覚えている。
覚えているって、どうなんだ?
野田さんの戯曲を遊び尽くした形にはなっているんだけど
まあ、まるで話はごちゃごちゃになっている感じが
さらに増長されていて、ついていくのがやっとやっと。
ただでさえ、話が渦のようになりつつ、気づいたら
その真ん中に吸い込まれているのが気持ちいい野田もの。
細い線を走り抜けるには、いかんせん遊びが多すぎた。
女の子が、世の中の気づかぬうちに?(意図してかもしれないけど)
真ん中にいること、しょせんは聖母のもとに
みんなは集っているのかなあということ、
その女の子が農業という食、生活の中心を目指すこと、
時代は一周してこんなところに戻ってくるのかあと感じた。
にしても、都会に憧れても、そこに何もなく、
キレイな子に引き寄せられても、また何もない。
それじゃあ、オレの手の中にも、何も残らないのか?
ってことなのか?
2010年4月6日火曜日
本気でパンクで懐深い「歌舞伎座さよなら公演 十二月大歌舞伎」@歌舞伎座
番組は下記な感じ。まあ、すごいすごい。
出てくる人、出てくる人、半端な方がひとりもいない。
さすが、さよなら公演。ちゃんと全力だなあ。
時代的にも古いのから、最新まで取り揃えて、
歌舞伎がいかに幅広い歴史からエキスを吸って
生き延びているかを肌で感じさせてくれた演目だった。
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 勘太郎
後見 松 也
千歳 鶴 松
翁 獅 童
サイレントコメディなうえに、まあ身体がよく動く。
関節とかグニャグニャパキパキと漫画のよう。
操り人形を演じるんだけど、パントマイムとかなくても
自前でこういう文化があるのって面白い。
操り人形のパントマイムやってみたら、よくない?って
思いつくあたりがすさまじい雑食性。
今回は、席がステージに近かったので、
脚にかかる加重とか床をつかむ指とか感じることができて
歌舞伎の身体性を改めて確認できた。
二、新版歌祭文
野崎村(のざきむら)
お光 福 助
お染 孝太郎
後家お常 秀 調
久作 彌十郎
久松 橋之助
よくできたワイドショー話で、農家の娘が好きな男と
一緒になれるとウキウキしていると、都会から超かわいい
姫がその男を追ってやってきちゃうという。
その農家の娘のきゃぴきゃぴした感じとかが
異常に偏見たっぷりにバカにしてて面白い。
うまかったなあ、ほんと、この日の役者さん。
セットもぐるぐる回って、最後なんか家の裏の
川の土手に変身して船に乗って去っていくという
スペクタクル。アイディア、アイディア、
驚くことならなんでもやってやろうという精神が
素晴らしい。
三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん )
山蔭右京 勘三郎
太郎冠者 染五郎
侍女千枝 巳之助
侍女小枝 新 悟
奥方玉の井 三津五郎
こっちはコント。勘三郎ってほんと面白い。
声がそもそも面白いのと、リズムがくだらない。
なんかいちいちふざけているんだと思うんだけど、
ムダなことを加えて加えて、そこに溺れる面白さ。
でも、嫌みじゃないあたりが名優なんだろうなあ。
浮気して帰ってくる当たりの、喜ぶ男のダメな感じとか
もうジャストミートな様子で、楽しい。
四、大江戸りびんぐでっど(おおえどりびんぐでっど)
半助 染五郎
お葉 七之助
大工の辰 勘太郎
根岸肥前守 彌十郎
遣手お菊 萬次郎
丁兵衛 市 蔵
与兵衛 亀 蔵
佐平次 井之上隆志
紙屑屋久六 猿 弥
和尚実は死神 獅 童
石坂段右衛門 橋之助
女郎お染 扇 雀
女郎喜瀬川 福 助
四十郎 三津五郎
新吉 勘三郎
宮藤官九郎が書いた新作。江戸にゾンビが現れる。
というとんでもない話。しかもクサヤの汁を浴びると。
いやあ、歌舞伎書いても、まったくぶれないあたりが
需要と供給だなあ、発注する方もしやすいなあと思う。
上がりが思った通りになるなんて安心だもの。
そして、もう話も何もかもめちゃくちゃだけど
しっかり歌舞伎にしていく役者陣のものすごい
懐の深さ。伝統芸能の中でも足腰の強さ。
旬なものを食べて吐き出さずに自分自身を変容させつつ
自分の栄養にしてしまう。
ものすごいアレルギー反応はあっただろうからなあ。
ほとんどが特殊メイクをした(ゾンビメイク…)歌舞伎って
いやあ、いいものを見た。
とりあえず、出来というよりもスタンスに圧倒です。
歌舞伎というものの。
なんでも壊してみなきゃ分からないよねえ、
いけるかいけないかも。
出てくる人、出てくる人、半端な方がひとりもいない。
さすが、さよなら公演。ちゃんと全力だなあ。
時代的にも古いのから、最新まで取り揃えて、
歌舞伎がいかに幅広い歴史からエキスを吸って
生き延びているかを肌で感じさせてくれた演目だった。
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 勘太郎
後見 松 也
千歳 鶴 松
翁 獅 童
サイレントコメディなうえに、まあ身体がよく動く。
関節とかグニャグニャパキパキと漫画のよう。
操り人形を演じるんだけど、パントマイムとかなくても
自前でこういう文化があるのって面白い。
操り人形のパントマイムやってみたら、よくない?って
思いつくあたりがすさまじい雑食性。
今回は、席がステージに近かったので、
脚にかかる加重とか床をつかむ指とか感じることができて
歌舞伎の身体性を改めて確認できた。
二、新版歌祭文
野崎村(のざきむら)
お光 福 助
お染 孝太郎
後家お常 秀 調
久作 彌十郎
久松 橋之助
よくできたワイドショー話で、農家の娘が好きな男と
一緒になれるとウキウキしていると、都会から超かわいい
姫がその男を追ってやってきちゃうという。
その農家の娘のきゃぴきゃぴした感じとかが
異常に偏見たっぷりにバカにしてて面白い。
うまかったなあ、ほんと、この日の役者さん。
セットもぐるぐる回って、最後なんか家の裏の
川の土手に変身して船に乗って去っていくという
スペクタクル。アイディア、アイディア、
驚くことならなんでもやってやろうという精神が
素晴らしい。
三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん )
山蔭右京 勘三郎
太郎冠者 染五郎
侍女千枝 巳之助
侍女小枝 新 悟
奥方玉の井 三津五郎
こっちはコント。勘三郎ってほんと面白い。
声がそもそも面白いのと、リズムがくだらない。
なんかいちいちふざけているんだと思うんだけど、
ムダなことを加えて加えて、そこに溺れる面白さ。
でも、嫌みじゃないあたりが名優なんだろうなあ。
浮気して帰ってくる当たりの、喜ぶ男のダメな感じとか
もうジャストミートな様子で、楽しい。
四、大江戸りびんぐでっど(おおえどりびんぐでっど)
半助 染五郎
お葉 七之助
大工の辰 勘太郎
根岸肥前守 彌十郎
遣手お菊 萬次郎
丁兵衛 市 蔵
与兵衛 亀 蔵
佐平次 井之上隆志
紙屑屋久六 猿 弥
和尚実は死神 獅 童
石坂段右衛門 橋之助
女郎お染 扇 雀
女郎喜瀬川 福 助
四十郎 三津五郎
新吉 勘三郎
宮藤官九郎が書いた新作。江戸にゾンビが現れる。
というとんでもない話。しかもクサヤの汁を浴びると。
いやあ、歌舞伎書いても、まったくぶれないあたりが
需要と供給だなあ、発注する方もしやすいなあと思う。
上がりが思った通りになるなんて安心だもの。
そして、もう話も何もかもめちゃくちゃだけど
しっかり歌舞伎にしていく役者陣のものすごい
懐の深さ。伝統芸能の中でも足腰の強さ。
旬なものを食べて吐き出さずに自分自身を変容させつつ
自分の栄養にしてしまう。
ものすごいアレルギー反応はあっただろうからなあ。
ほとんどが特殊メイクをした(ゾンビメイク…)歌舞伎って
いやあ、いいものを見た。
とりあえず、出来というよりもスタンスに圧倒です。
歌舞伎というものの。
なんでも壊してみなきゃ分からないよねえ、
いけるかいけないかも。
常設だけどさあ「ZED/シルク・ド・ソレイユ」
テントのやつは何回か見てて、その度に結構感動する
シルク・ド・ソレイユ。話に聞くラスベガスのやつは
ものすごそうで、もうそりゃあ羨ましい。「O」とか。
常設ってことで、とっても期待していったんだけど。
ん?ん??
なんか装置がテントのやつとさほどスゴさが変わらない。
こっそり床がいくつも変わったりするようなんだけど、
それってすごいの?噂では、床ごとガンガン動いたりするらしいのに。
アメリカだと。
正直、やっている演目は割とみたことある大道芸なので
演出でみていくものだと思うんだけど、
ワイヤーアクションもブラブラしているだけで
あまり3D的な動きもなく、おとなしめ。
脅かしでいえば、オープニングがピークかなあ。
ステージ全面を覆っていた幕がばーっと美しく消え去る。
ただ、これって、東大でお芝居やってたときに駒場でも見た。
アイディアで想像できないところではないし。
歌もバカウマい感じではなく、音響がいまいちなのか、
心に入ってこない。正直、あれだ、オリエンタルランドは
きっとだまされ気味だなあと思った。たくさんお金払って
セカンドベストが来た感じ。まあ、仕方がない。
観光のセットになっているらしく、席は満員。
グッズもものすごく売れていた。ビジネスとしてはいいのか。
これで。
テーマ設定とかは参考にあるので、下記に。
人生は冒険。そこに、 詩 ( うた ) が生まれる。
彼の名は、Zed(ゼッド)。
彼が旅する世界は、天と地。
そこであらゆる生命と、
大いなる女神と、スフィンクスと…
命の躍動に出会います。
さまざまな経験を重ね、
彼自身が成長すると同時に
彼が生きた天と地という
2つの世界がひとつに結ばれます。
彼の経験と彼が生きた世界のすべてが、
心で感じずにはいられないもの。
この叙情あふれる冒険の旅を通じて誰もが人間の、
人生の経験の本質に迫っていくことができるでしょう。
シルク・ド・ソレイユ。話に聞くラスベガスのやつは
ものすごそうで、もうそりゃあ羨ましい。「O」とか。
常設ってことで、とっても期待していったんだけど。
ん?ん??
なんか装置がテントのやつとさほどスゴさが変わらない。
こっそり床がいくつも変わったりするようなんだけど、
それってすごいの?噂では、床ごとガンガン動いたりするらしいのに。
アメリカだと。
正直、やっている演目は割とみたことある大道芸なので
演出でみていくものだと思うんだけど、
ワイヤーアクションもブラブラしているだけで
あまり3D的な動きもなく、おとなしめ。
脅かしでいえば、オープニングがピークかなあ。
ステージ全面を覆っていた幕がばーっと美しく消え去る。
ただ、これって、東大でお芝居やってたときに駒場でも見た。
アイディアで想像できないところではないし。
歌もバカウマい感じではなく、音響がいまいちなのか、
心に入ってこない。正直、あれだ、オリエンタルランドは
きっとだまされ気味だなあと思った。たくさんお金払って
セカンドベストが来た感じ。まあ、仕方がない。
観光のセットになっているらしく、席は満員。
グッズもものすごく売れていた。ビジネスとしてはいいのか。
これで。
テーマ設定とかは参考にあるので、下記に。
人生は冒険。そこに、 詩 ( うた ) が生まれる。
彼の名は、Zed(ゼッド)。
彼が旅する世界は、天と地。
そこであらゆる生命と、
大いなる女神と、スフィンクスと…
命の躍動に出会います。
さまざまな経験を重ね、
彼自身が成長すると同時に
彼が生きた天と地という
2つの世界がひとつに結ばれます。
彼の経験と彼が生きた世界のすべてが、
心で感じずにはいられないもの。
この叙情あふれる冒険の旅を通じて誰もが人間の、
人生の経験の本質に迫っていくことができるでしょう。
2010年3月4日木曜日
「世田谷カフカ/ナイロン100℃」@本多劇場
『審判』のヨーゼフ・Kに
『城』のK(カー)
『失踪者』のカール・ロスマン
と、3作の長編に3人のK。
で、この3人が集まったらおもしろそうだなと
ということで、ケラさんが書いたというか
劇団のみなさんが紡ぎ出した空間が
本多劇場に。ああ、劇団ナイロン100℃。
カフカってはまったことないから
ちゃんと読まないといけないと思った。
まるで、頭に筋が残っていない。フレーズがない。
景色がない。ダメだなあ、名作に損はないのに。
でも、カフカって面白人生の人だなあ。
フランツ・カフカとは
『変身』などの著書で知られる
現在のチェコ出身のドイツ語作家。
保険局に勤めながら執筆活動を行っており、
生前はほぼ無名に近かった。
死後、彼の友人であるマックス・ブロートが
遺稿を発表したことにより、
その名が広く知られるようになる。
ちなみにカフカは、この遺稿をすべて
焼き捨てるようにと遺言に残していた。
長編はこの遺稿の中にあったもので、
『審判』『城』『失踪者』の3作品のみ。
そのすべてが未完である。
上記の主人公たちとカフカ本人がバタバタと出てきたり
役者に戻った今の世田谷を生きる、そのままの人が語り
で、そのふたつがないまぜになってダンスしたり歌ったり。
ある意味ゴールがないと思える中で、
お話ってあるようで、ないけど、
そこがそのまま現実じゃないかと感じる舞台だった。
こんなことが成立するのは、やはり劇団だからかなあ。
空気だけがつないでる。こういう感覚だって
現実にはよくあるよなあ。隣同士全然違うこと考えてて
それでもなぜか同じ仕事してたりするもんなあ。
ナンセンスコメディの集団だけど、
自分たちの話する時のリアリティのあり方とか
素晴らしくて、ちょっと胸に迫るものがあった。
ムダに。
相変わらず、長かったけど、
そして、後半は絶対切れるって思ったけど
切らないあたりも「らしさ」だなあと思い直した。
完成度とかよりも、想いだよなあ、ここは。
『城』のK(カー)
『失踪者』のカール・ロスマン
と、3作の長編に3人のK。
で、この3人が集まったらおもしろそうだなと
ということで、ケラさんが書いたというか
劇団のみなさんが紡ぎ出した空間が
本多劇場に。ああ、劇団ナイロン100℃。
カフカってはまったことないから
ちゃんと読まないといけないと思った。
まるで、頭に筋が残っていない。フレーズがない。
景色がない。ダメだなあ、名作に損はないのに。
でも、カフカって面白人生の人だなあ。
フランツ・カフカとは
『変身』などの著書で知られる
現在のチェコ出身のドイツ語作家。
保険局に勤めながら執筆活動を行っており、
生前はほぼ無名に近かった。
死後、彼の友人であるマックス・ブロートが
遺稿を発表したことにより、
その名が広く知られるようになる。
ちなみにカフカは、この遺稿をすべて
焼き捨てるようにと遺言に残していた。
長編はこの遺稿の中にあったもので、
『審判』『城』『失踪者』の3作品のみ。
そのすべてが未完である。
上記の主人公たちとカフカ本人がバタバタと出てきたり
役者に戻った今の世田谷を生きる、そのままの人が語り
で、そのふたつがないまぜになってダンスしたり歌ったり。
ある意味ゴールがないと思える中で、
お話ってあるようで、ないけど、
そこがそのまま現実じゃないかと感じる舞台だった。
こんなことが成立するのは、やはり劇団だからかなあ。
空気だけがつないでる。こういう感覚だって
現実にはよくあるよなあ。隣同士全然違うこと考えてて
それでもなぜか同じ仕事してたりするもんなあ。
ナンセンスコメディの集団だけど、
自分たちの話する時のリアリティのあり方とか
素晴らしくて、ちょっと胸に迫るものがあった。
ムダに。
相変わらず、長かったけど、
そして、後半は絶対切れるって思ったけど
切らないあたりも「らしさ」だなあと思い直した。
完成度とかよりも、想いだよなあ、ここは。
2010年2月3日水曜日
その旬の刺激「社会派すけべえ/毛皮族」@駅前劇場
ああ、見てしまったという感覚。
旬の時期を生きてしまったあとに訪れる
残酷などうにもならない時代。
きっと10年くらい前は、かなり刺激的だったのだろう。
でも、その刺激に人が慣れ、
その刺激を作り出すことに疲れた人たちが見せる
それはあまりにもしんどく、切なかった。
唄があまりにもヒドい。もともとウマさなんかない。
でも、グルーブは確かにそこにあったはずだった。
その勢いを感じて、気分がよくなったはずだった。
でも、無理に、その覚えている感覚を、リフレインしようと
もがいている風に感じてしまったステージは未完成にしか見えない。
でもなあ、当人たちも分からないんだよねえ、きっと。
どうしたらいいかなんて。
最近、よく思うのは、結局は何を大事にするかをしっかりと
見据えることなんじゃないかということ。
いろいろあるけど、ひとつ残るもの、譲れないものは何か?
唄もうまくなければ。当たり前のようにオッパイが出たりするし、
ドラマは当然、先が見えているか、変なこだわりの紆余曲折か、
そんな案配。
江森さんは、きっと面白いし、パワーもあるんだけど、
それに見合うというか。同じテンションで集団に参加している人が
あまりにも少ないのだろうなあ。
だから、塊として、ぐっとこないのだろうなあ。
現れるのは、結局は、覚悟。
旬の時期を生きてしまったあとに訪れる
残酷などうにもならない時代。
きっと10年くらい前は、かなり刺激的だったのだろう。
でも、その刺激に人が慣れ、
その刺激を作り出すことに疲れた人たちが見せる
それはあまりにもしんどく、切なかった。
唄があまりにもヒドい。もともとウマさなんかない。
でも、グルーブは確かにそこにあったはずだった。
その勢いを感じて、気分がよくなったはずだった。
でも、無理に、その覚えている感覚を、リフレインしようと
もがいている風に感じてしまったステージは未完成にしか見えない。
でもなあ、当人たちも分からないんだよねえ、きっと。
どうしたらいいかなんて。
最近、よく思うのは、結局は何を大事にするかをしっかりと
見据えることなんじゃないかということ。
いろいろあるけど、ひとつ残るもの、譲れないものは何か?
唄もうまくなければ。当たり前のようにオッパイが出たりするし、
ドラマは当然、先が見えているか、変なこだわりの紆余曲折か、
そんな案配。
江森さんは、きっと面白いし、パワーもあるんだけど、
それに見合うというか。同じテンションで集団に参加している人が
あまりにも少ないのだろうなあ。
だから、塊として、ぐっとこないのだろうなあ。
現れるのは、結局は、覚悟。
2009年12月15日火曜日
少しづつ老けて「日本縦断大転生ツアー2009 -ナイン・ライブス-/コンドルズ」@東京グローブ座
なんだろう?と不思議な気持ちになった。
少しづつ老けていくことが、プラスに働くこともあるだろう。
今が一番しんどい時なのかもしれない。こういう集団では。
勢いが緩慢になった感じがして、ギャグがルーティンになる感じも。
残念だけど。
続けることの本当に難しさがあるなあ。
ダンスのアンサンブルの妙みたいな、突然そろっておお!とか
あんな太い人が、一生懸命踊ってるよ!とかそういう類いの
刺激っていうのは見慣れちゃうと切ないほどに強度を失う。
なつかしロックで大盛り上がりっていうのも、もはやきっと
どこでも見慣れた景色だろうし。
あまりにも冷めた自分に、違和感すら覚えた。なんだろう。
なんだろう。
年とったのかなあ。いやだけど、アナーキーを受け入れない感じ?
目は確実に肥えていくけど、こういう刺激モノが生きていくには
何かかっこたる濃厚な、コンセプトとか、想いとかが
必要になってくるのかもなあ、悲しいけど。
圧倒的な美的センスに満ちていれば別なのだろうが。
グッズを必死にロビーで売る役者たちも、もはやシャレになっていない。
その姿がシャレになっているうちがいい時期だったのかもと思った。
学ランでダンス。
そのまま男子のおふざけ。
みたことない感じがなくなったあとの、そこに残る美学ってなんだ?
このダンスシーンは超斬新っていうのがなかったなあ。
少しづつ老けていくことが、プラスに働くこともあるだろう。
今が一番しんどい時なのかもしれない。こういう集団では。
勢いが緩慢になった感じがして、ギャグがルーティンになる感じも。
残念だけど。
続けることの本当に難しさがあるなあ。
ダンスのアンサンブルの妙みたいな、突然そろっておお!とか
あんな太い人が、一生懸命踊ってるよ!とかそういう類いの
刺激っていうのは見慣れちゃうと切ないほどに強度を失う。
なつかしロックで大盛り上がりっていうのも、もはやきっと
どこでも見慣れた景色だろうし。
あまりにも冷めた自分に、違和感すら覚えた。なんだろう。
なんだろう。
年とったのかなあ。いやだけど、アナーキーを受け入れない感じ?
目は確実に肥えていくけど、こういう刺激モノが生きていくには
何かかっこたる濃厚な、コンセプトとか、想いとかが
必要になってくるのかもなあ、悲しいけど。
圧倒的な美的センスに満ちていれば別なのだろうが。
グッズを必死にロビーで売る役者たちも、もはやシャレになっていない。
その姿がシャレになっているうちがいい時期だったのかもと思った。
学ランでダンス。
そのまま男子のおふざけ。
みたことない感じがなくなったあとの、そこに残る美学ってなんだ?
このダンスシーンは超斬新っていうのがなかったなあ。
ザ!総合芸術「アイーダ/ミラノ・スカラ座」@NHKホール
ちゃんとしたオペラはべらぼうに高いので
見たことがなかったが、見てみたらものすごかった。
唄の超人がぞろぞろ出てきて、
バカでかいセットが信じられん転換をみせ、
美音の生クラシックが鳴り響く。
こんな三種の神器がそろえば、心に響かないわけがない。
テレビでみるのと全然違うのなあ、やはり。
音圧というか音の重なりが違う。
ちゃんと悲しいシーンでは悲しい音が何層にもなり
時に、音は勇ましく、声は悲しく、セットは晴れやかなんていう
不思議な時もあり、それで気持ちがまたぐいっと動いたり。
敵どうしの姫と王子が恋に落ちるというベーシックな話なんだけど
初演はスエズ運河開通記念に作られたらしい。
そうか、すごいな。歴史に刻まれてた瞬間にあわせて
その地域をテーマにしたオペラがおろされるって。
エジプトとエチオピアの話で、エジプトファラオ的なセットに
もう百人くんだりの人間がのぼって、わんわん歌う。
しかも、その音の渦を、主役の声が突き抜けてくる。
はまったら、おそろしい、オペラの世界。
いくらあっても、足らないわ。
おっさん、おばさんが休憩時間にはホールに満ちていて
スーツ観客の山にも久々に遭遇した。金持ってるわ、日本人。
見たことがなかったが、見てみたらものすごかった。
唄の超人がぞろぞろ出てきて、
バカでかいセットが信じられん転換をみせ、
美音の生クラシックが鳴り響く。
こんな三種の神器がそろえば、心に響かないわけがない。
テレビでみるのと全然違うのなあ、やはり。
音圧というか音の重なりが違う。
ちゃんと悲しいシーンでは悲しい音が何層にもなり
時に、音は勇ましく、声は悲しく、セットは晴れやかなんていう
不思議な時もあり、それで気持ちがまたぐいっと動いたり。
敵どうしの姫と王子が恋に落ちるというベーシックな話なんだけど
初演はスエズ運河開通記念に作られたらしい。
そうか、すごいな。歴史に刻まれてた瞬間にあわせて
その地域をテーマにしたオペラがおろされるって。
エジプトとエチオピアの話で、エジプトファラオ的なセットに
もう百人くんだりの人間がのぼって、わんわん歌う。
しかも、その音の渦を、主役の声が突き抜けてくる。
はまったら、おそろしい、オペラの世界。
いくらあっても、足らないわ。
おっさん、おばさんが休憩時間にはホールに満ちていて
スーツ観客の山にも久々に遭遇した。金持ってるわ、日本人。
心の奥底に潜る「ザ・ダイバー/野田MAP」@東京芸術劇場小ホール
精神科医が殺人を犯したであろう女の気持ちの中に
どんどん潜っていく。女は多重人格でことあるたびに
あらゆる人格になって立ち上がるのだけれど、
まあ、いちいちドロドロと粘りつく。愛情と憎悪がからむ。
シーンは能やら源氏物語やら現在やらを次々にジャンプして
一見複雑だけど、そのおかげで女の気持ちがなにも
今という時代に特殊なことじゃない、
普遍的な強い気持ちなんだと思わせてくれる。
単純な流行とは違う、もっと人間なら誰でも
もってきたんだなあ、独占欲とこわくなる。
「ひとりの気持ちを自分のものにしたい」という
正妻と愛人の想いのやりとりが4人も子どもを
葬り去り、しかも、それが確実にひとりの人格を
壊しきるというリアル。
深く潜っていけばいくほど、見てはならないけれど
みなくてはならない、人の愛情の深淵がひろがって
気持ちにどーんともたれかかる。
何してもいいやという正義は
法律での正妻に認められているのか?
だけれども、その正義によって
自分の気持ちを持ち崩し、壊れていくその人自身の
かなしみとかわびしさ。
うーむ、深い。ダイバーだけに。
新しい生命とか、連綿と続いていく命とか
そういう人類が持つ生命力みたいなもので終わり
一見、救いありそうだけど、そんなこともないだろう。
人が壊れる恐怖を見事に大竹しのぶが演じきる。
どんどん潜っていく。女は多重人格でことあるたびに
あらゆる人格になって立ち上がるのだけれど、
まあ、いちいちドロドロと粘りつく。愛情と憎悪がからむ。
シーンは能やら源氏物語やら現在やらを次々にジャンプして
一見複雑だけど、そのおかげで女の気持ちがなにも
今という時代に特殊なことじゃない、
普遍的な強い気持ちなんだと思わせてくれる。
単純な流行とは違う、もっと人間なら誰でも
もってきたんだなあ、独占欲とこわくなる。
「ひとりの気持ちを自分のものにしたい」という
正妻と愛人の想いのやりとりが4人も子どもを
葬り去り、しかも、それが確実にひとりの人格を
壊しきるというリアル。
深く潜っていけばいくほど、見てはならないけれど
みなくてはならない、人の愛情の深淵がひろがって
気持ちにどーんともたれかかる。
何してもいいやという正義は
法律での正妻に認められているのか?
だけれども、その正義によって
自分の気持ちを持ち崩し、壊れていくその人自身の
かなしみとかわびしさ。
うーむ、深い。ダイバーだけに。
新しい生命とか、連綿と続いていく命とか
そういう人類が持つ生命力みたいなもので終わり
一見、救いありそうだけど、そんなこともないだろう。
人が壊れる恐怖を見事に大竹しのぶが演じきる。
2009年10月6日火曜日
分からないし想像できないし「来来来来来来/劇団本谷有希子」@本多劇場
本当に女子というものがそうかは分からないけれど
少なくとも身近にいる女子たちが感じている
世の中への不条理が、濃縮されて、搾り出されて、
どろどろと溶け出しているような舞台だった。
あんな情念は、わからないし、想像もできない。
自分のあり方を見失っている人々が、東京から離れた
田舎に集団で生活をしていて、もうかなりの虐げられた
生活をしているんだけれど、それでも自分のあり方とか
居場所みたいなものを失わないならば、そのことを
幸せに思えてしまう、思わないと壊れてしまう、
そんな女子たちがごっそり出てくる。次から次へと出てくる。
一番まともそうなやつでさえ、平気でうんこを手で掃除したりする。
人を狂ったほどに、ののしったりする。ガンガン叩いて虐待したりする。
だんなの暴力に笑いながら耐えていたりする。
みんなの想いは、ひとつに感じる。
わたしはここにいてもいい。
それを認めてもらえれば、どんなに生活が悲惨でもなんだか耐えられる。
女子の思い込み力というか、なんというか。
男子はあまりそういうのはない。特に今の男子は。
だから、もしかすると、軟弱なのかもしれない。
意思というか、思いが現実を凌駕していかない、ほどほどだから。
まあ、想像つく範囲でしか認められない。生活できない。
見ていて、悲惨だな、女子の世界とも思ったが、
これがあるから今は女子の方が骨があり、前に進んでいくパワーに
満ちているのだろうと思った。
少なくとも身近にいる女子たちが感じている
世の中への不条理が、濃縮されて、搾り出されて、
どろどろと溶け出しているような舞台だった。
あんな情念は、わからないし、想像もできない。
自分のあり方を見失っている人々が、東京から離れた
田舎に集団で生活をしていて、もうかなりの虐げられた
生活をしているんだけれど、それでも自分のあり方とか
居場所みたいなものを失わないならば、そのことを
幸せに思えてしまう、思わないと壊れてしまう、
そんな女子たちがごっそり出てくる。次から次へと出てくる。
一番まともそうなやつでさえ、平気でうんこを手で掃除したりする。
人を狂ったほどに、ののしったりする。ガンガン叩いて虐待したりする。
だんなの暴力に笑いながら耐えていたりする。
みんなの想いは、ひとつに感じる。
わたしはここにいてもいい。
それを認めてもらえれば、どんなに生活が悲惨でもなんだか耐えられる。
女子の思い込み力というか、なんというか。
男子はあまりそういうのはない。特に今の男子は。
だから、もしかすると、軟弱なのかもしれない。
意思というか、思いが現実を凌駕していかない、ほどほどだから。
まあ、想像つく範囲でしか認められない。生活できない。
見ていて、悲惨だな、女子の世界とも思ったが、
これがあるから今は女子の方が骨があり、前に進んでいくパワーに
満ちているのだろうと思った。
気持ちは残る「コクーン歌舞伎/桜姫」@シアターコクーン
システムとしては理解しているんだけど
死んだ人の怨霊が…という考え方が、能やら歌舞伎やらには
しっかりあって、この世の中はそういったものがあるから
とってもエモーショナルな感動的な、ある意味恐怖なことが
起こって面白いという、ことなのかな?
身体の感覚として、ああ、そうだなあ、それは
こわくて、かつ面白いなあなんて気付いたことはなかったんだけど
今回、現代版と歌舞伎の桜姫を見て、なんだか一番考えたのは
そこだった。人が消えるということの不可思議を、生きている
人間の気持ちとうまく結びつけて進んでいくお話は、
あの世とこの世のつながりをイメージしないと何の深まりも
見せない嘘っぱちなものになってしまうけれど、
愛し合う中で身を投げたり、生き残ってしまったり、
それを悔いてみたり、喜んでみたり、非難してみたり、
結局、どうしようもない戻ることのできない時間の中で
感情が右往左往するのはたまらなく面白いなあと感じた。
現代版の方を見ただけだと思わなかったんだけど、
オリジナルの歌舞伎の方とあいまったときに
しみじみと考えさせられた。あとは、そういう世界を失っている
今っていう世界ってどうなのだろう?とか。
気持ちは逆にどんどん薄っぺらになっているのかも
しれないなあとふと思ってしまった。
それにしても、歌舞伎役者さんって、やっぱり上手い。
アドリブに近づいていけばいくほど、場数が違うからか、
型があるからか分からないけれど、妙に場にしっくりと
生きながらえる。なんか小笑いとかが異常にうまくはまる。
あの技はなんだ?あれ。
死んだ人の怨霊が…という考え方が、能やら歌舞伎やらには
しっかりあって、この世の中はそういったものがあるから
とってもエモーショナルな感動的な、ある意味恐怖なことが
起こって面白いという、ことなのかな?
身体の感覚として、ああ、そうだなあ、それは
こわくて、かつ面白いなあなんて気付いたことはなかったんだけど
今回、現代版と歌舞伎の桜姫を見て、なんだか一番考えたのは
そこだった。人が消えるということの不可思議を、生きている
人間の気持ちとうまく結びつけて進んでいくお話は、
あの世とこの世のつながりをイメージしないと何の深まりも
見せない嘘っぱちなものになってしまうけれど、
愛し合う中で身を投げたり、生き残ってしまったり、
それを悔いてみたり、喜んでみたり、非難してみたり、
結局、どうしようもない戻ることのできない時間の中で
感情が右往左往するのはたまらなく面白いなあと感じた。
現代版の方を見ただけだと思わなかったんだけど、
オリジナルの歌舞伎の方とあいまったときに
しみじみと考えさせられた。あとは、そういう世界を失っている
今っていう世界ってどうなのだろう?とか。
気持ちは逆にどんどん薄っぺらになっているのかも
しれないなあとふと思ってしまった。
それにしても、歌舞伎役者さんって、やっぱり上手い。
アドリブに近づいていけばいくほど、場数が違うからか、
型があるからか分からないけれど、妙に場にしっくりと
生きながらえる。なんか小笑いとかが異常にうまくはまる。
あの技はなんだ?あれ。
英語が分からない「ヴェニスの商人/プロペラ」@東京芸術劇場
なんかやたらに英語が分からないなあと思った公演だった。
また、最近視力がかなりへたってきていて
字幕も小さいもんだから、まあ見えない。
頭に刻み込まれた筋を追いながら見るも、
かなりシーン作りそのものがイメージに即した
アレンジが濃厚にされてるため、ときおり見失う。
観劇しながらところどころ脱落しながら
かろうじてついていくという不思議な体験。
芝居そのものは面白かった。野田秀樹が呼んだらしいんだけど
「らしい」というか非常に「動く」集団だった。
男ばっかりの集団で、手品っぽいこともあり、
手に楽器を持って奏でるアンサンブルっぽいこともあり、
ピエロのように飛び回る狂言まわしがいたり、
言葉にしちゃえば創意工夫?をガンガンおしてくる感じ。
それを深いテキストで支えていくというつくり。
ちょっとテキストが浮いている気もしたんだけど
英語取り残されてるから、確信がもてず。
もともとイギリスでは田舎の水車小屋を常小屋に
しているらしく、確かにそこの方が圧倒的に映えそうな
舞台だった。なんか、近代的なちゃんとしたハコに入ると
遊び心が浮いちゃって、荒く見えちゃう損もあるなあと。
みなさん、ちゃんと制度が身体に乗っている感じもあって
しっかり遊ぶという空気でのびのびとはしなかったけれど
でも、見たことないヴェニスの商人で楽しめた。
また、最近視力がかなりへたってきていて
字幕も小さいもんだから、まあ見えない。
頭に刻み込まれた筋を追いながら見るも、
かなりシーン作りそのものがイメージに即した
アレンジが濃厚にされてるため、ときおり見失う。
観劇しながらところどころ脱落しながら
かろうじてついていくという不思議な体験。
芝居そのものは面白かった。野田秀樹が呼んだらしいんだけど
「らしい」というか非常に「動く」集団だった。
男ばっかりの集団で、手品っぽいこともあり、
手に楽器を持って奏でるアンサンブルっぽいこともあり、
ピエロのように飛び回る狂言まわしがいたり、
言葉にしちゃえば創意工夫?をガンガンおしてくる感じ。
それを深いテキストで支えていくというつくり。
ちょっとテキストが浮いている気もしたんだけど
英語取り残されてるから、確信がもてず。
もともとイギリスでは田舎の水車小屋を常小屋に
しているらしく、確かにそこの方が圧倒的に映えそうな
舞台だった。なんか、近代的なちゃんとしたハコに入ると
遊び心が浮いちゃって、荒く見えちゃう損もあるなあと。
みなさん、ちゃんと制度が身体に乗っている感じもあって
しっかり遊ぶという空気でのびのびとはしなかったけれど
でも、見たことないヴェニスの商人で楽しめた。
2009年7月26日日曜日
超すげえコントでアート「寛容のオルギア/ヤン・ファーブル」@彩の国さいたま芸術劇場
いやあ、すごかった。しびれた。感動した。
今の消費社会ってすごいねって話で、なんでもかんでも
おもしろがっちゃって、本当に僕らは大丈夫なのか?って
ゲラゲラ笑いながら考えて、もはや崩れてしまった
いろんな意味でのバランスをどうやって取り戻すのか?
はたまた、もう取り戻すことなんて出来ないのか?
って、またそれはそれで滑稽で・・・。
妊婦がショッピングカートに乗って洗剤を産んだり
キリストを売り出すためのミュージシャン化マネジメントとか
みんなで何回オナニーできるか大会とか
まずはファックって言って、文句をいってみようとか
そんなどうしようもないシーンなのに、
絶妙に美しく、なぜだか心にしみいるのね。すごい。
笑いってすごかったと、今までのヤン・ファーブルの
心に入ってこなさ加減を思うと、隔世の感。
欲望にひたすら飲まれ続ける毎日のなかで
テレビっていうハコについて、ヤン・ファーブルがいっていて
あれは、見てもらうためなら、タブーなく欲を利用し尽くすから
恐ろしいみたいな話をしていて、確かにと思う。
自分も、ただただ、見てもらうことを考える。
そして、刺激に麻痺していく。そんな側面がある。
麻痺した先に何があるのか?
まだ見て見たいという耐えない欲求がある。
今の消費社会ってすごいねって話で、なんでもかんでも
おもしろがっちゃって、本当に僕らは大丈夫なのか?って
ゲラゲラ笑いながら考えて、もはや崩れてしまった
いろんな意味でのバランスをどうやって取り戻すのか?
はたまた、もう取り戻すことなんて出来ないのか?
って、またそれはそれで滑稽で・・・。
妊婦がショッピングカートに乗って洗剤を産んだり
キリストを売り出すためのミュージシャン化マネジメントとか
みんなで何回オナニーできるか大会とか
まずはファックって言って、文句をいってみようとか
そんなどうしようもないシーンなのに、
絶妙に美しく、なぜだか心にしみいるのね。すごい。
笑いってすごかったと、今までのヤン・ファーブルの
心に入ってこなさ加減を思うと、隔世の感。
欲望にひたすら飲まれ続ける毎日のなかで
テレビっていうハコについて、ヤン・ファーブルがいっていて
あれは、見てもらうためなら、タブーなく欲を利用し尽くすから
恐ろしいみたいな話をしていて、確かにと思う。
自分も、ただただ、見てもらうことを考える。
そして、刺激に麻痺していく。そんな側面がある。
麻痺した先に何があるのか?
まだ見て見たいという耐えない欲求がある。
駄話「ボス・イン・ザ・スカイ/ヨーロッパ企画」@青山円形劇場
なんか全編、大人計画のアドリブ部分で出来ているような
ゆる会話で楽しめた。うむ、よく出来てる。
で、書こうと思っても、あるジェネレーションからは
絶対に書けないであろう、テイスト。
ドラゴンを退治して掃除する一団があって、
もうちょっとその仕事は、かつてかっこよかったはずなのに
今では時代遅れみたいになっていて、
悲しいかな、どんどんやる人も少なくなってて
熱意というよりは惰性で、ヒーロー性のある仕事を
続けているという、なかなか思いつきそうで
うまくはまらない枠組みを上手に使ってる。
感心。
いちいちこねたがうまい。印象。
大きい枠組みでの落としの作り方は、往年のナイロン。
そういう意味では、あらゆる90年代から00年代の
いいとこどりで出来ている雰囲気のお芝居だった。
ああ、なんか覚えておきたいネタ、結構あったのに。
すっかろ忘れている自分が悲しい。なんだっけなあ。
ゆる会話で楽しめた。うむ、よく出来てる。
で、書こうと思っても、あるジェネレーションからは
絶対に書けないであろう、テイスト。
ドラゴンを退治して掃除する一団があって、
もうちょっとその仕事は、かつてかっこよかったはずなのに
今では時代遅れみたいになっていて、
悲しいかな、どんどんやる人も少なくなってて
熱意というよりは惰性で、ヒーロー性のある仕事を
続けているという、なかなか思いつきそうで
うまくはまらない枠組みを上手に使ってる。
感心。
いちいちこねたがうまい。印象。
大きい枠組みでの落としの作り方は、往年のナイロン。
そういう意味では、あらゆる90年代から00年代の
いいとこどりで出来ている雰囲気のお芝居だった。
ああ、なんか覚えておきたいネタ、結構あったのに。
すっかろ忘れている自分が悲しい。なんだっけなあ。
2009年7月9日木曜日
感覚が死んでいるのか?「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」@青山
こんなに人間の感覚が麻痺しているのか?
もしくは、
こんなに人間の感覚というのは可能性に満ちているのか?
日常というものが、なにひとつ確かなことなどないことを
まざまざと感じさせてくれる出し物だった。
真っ暗な中を10人前後のパーティーで進んでいく。
それをアテンドするのは、視覚障害者の人。
驚くことに、彼らの真っ闇を動くスピードは半端ない。
ワープしたみたいに空間のあちこちに瞬間移動する。
というよりは、自分たちがまったく動けなくなる。
もう前後左右はもちろん、上下もあやしくなって
空間感覚というものが粉みじんに破壊される。
部屋のひろさもひろがりも失われる。
そんな100%まっくらな空間の中に
様々なテーマの世界がつくられている。
森を行き、川を行き、田舎の家をたずね、
バーで飲み物さえいただける。
そこで触った木の葉や幹の様子は、まったく別物。
生きていると感じる葉脈のもっこり感。
守っていく意志を感じる幹表面のごりごり感。
足の裏が生き返る不思議な感覚。歩くということは
地面と接することで、そこには楽しみがあると知る瞬間。
水とかゆらぐ音とかいいよねえとかいうけど
心底音だけ聞く体験すると、複雑に音がからみあっている。
ブランコとか乗ってみると、ちょっと無重力体験みたいだし、
家にある様々な電化製品も触りながら当てていくと
いかに機能に特化していて、しかも自然の中には
ありえないものを自分たちが作り出しているかがわかる。
なにせ、かたくて、冷たい。
石とかは不思議とちょっとあったかい感じ、残ってる。
プラスチックとは、ぜんぜん違うんだよねえ。
飲み物とか飲んでみると、身体に入っていく、
口の中で味がしみわたっていく感じって、
まさに全身で味わうみたいな生き返る雰囲気。
それにしてもすごい体験だった。
考えて形にした人、すごいわ!このイベント。
さらに、社会的なアプローチもよろしくて、
できるだけ恒久的に行うことで、視覚障害者の
安定的な雇用も目指しているらしい。
しかも、セカンドベストな職ではなくて、
みんながやりたがる誇りを持った仕事を作りだす
という。
うーん。いい企画だ。
もしくは、
こんなに人間の感覚というのは可能性に満ちているのか?
日常というものが、なにひとつ確かなことなどないことを
まざまざと感じさせてくれる出し物だった。
真っ暗な中を10人前後のパーティーで進んでいく。
それをアテンドするのは、視覚障害者の人。
驚くことに、彼らの真っ闇を動くスピードは半端ない。
ワープしたみたいに空間のあちこちに瞬間移動する。
というよりは、自分たちがまったく動けなくなる。
もう前後左右はもちろん、上下もあやしくなって
空間感覚というものが粉みじんに破壊される。
部屋のひろさもひろがりも失われる。
そんな100%まっくらな空間の中に
様々なテーマの世界がつくられている。
森を行き、川を行き、田舎の家をたずね、
バーで飲み物さえいただける。
そこで触った木の葉や幹の様子は、まったく別物。
生きていると感じる葉脈のもっこり感。
守っていく意志を感じる幹表面のごりごり感。
足の裏が生き返る不思議な感覚。歩くということは
地面と接することで、そこには楽しみがあると知る瞬間。
水とかゆらぐ音とかいいよねえとかいうけど
心底音だけ聞く体験すると、複雑に音がからみあっている。
ブランコとか乗ってみると、ちょっと無重力体験みたいだし、
家にある様々な電化製品も触りながら当てていくと
いかに機能に特化していて、しかも自然の中には
ありえないものを自分たちが作り出しているかがわかる。
なにせ、かたくて、冷たい。
石とかは不思議とちょっとあったかい感じ、残ってる。
プラスチックとは、ぜんぜん違うんだよねえ。
飲み物とか飲んでみると、身体に入っていく、
口の中で味がしみわたっていく感じって、
まさに全身で味わうみたいな生き返る雰囲気。
それにしてもすごい体験だった。
考えて形にした人、すごいわ!このイベント。
さらに、社会的なアプローチもよろしくて、
できるだけ恒久的に行うことで、視覚障害者の
安定的な雇用も目指しているらしい。
しかも、セカンドベストな職ではなくて、
みんながやりたがる誇りを持った仕事を作りだす
という。
うーん。いい企画だ。
思い出したのだった「春のめざめ/劇団四季」@自由劇場
オフブロードウエイからブロードウエイへ
かけあがった話題作。春のめざめ。
ということで、まあ、これは「問題作」とも
いわれているので、見ておかなくてはと行きました。
劇団四季。春のめざめ。
だが…思い出した。これは、本当に単なるというのも
変だけど、いわゆるいわゆるミュージカル。
ライオンキングとかマンマ・ミーアとかは、
まだ逃げ場があったけど、これは本当に向こうのやつを
そのまま日本語に訳したミュージカル。
突然歌いだす、なんか歌詞も字余りみたいな、あれだ。
苦手だったのだ。思い出した。
なんか日本語になるとリズムも崩れちゃうし、意味も恥ずかしい。
歌いはじめた瞬間に、アレルギーが悲しいかな、再発。
絶対、英語版はかっこいいと思う。舞台の使い方とかは
すさまじくセンスよかったし、話のつくりも超現代的。
ネオン管と赤電球と照明の組み合わせとか
ちょっとぞくっとする仕上がりだった。
ただ、日本語ミュージカルの恥ずかしいとこが全快。
テーマもきっと、そういうがでやすいんだよなあ。
性とか思春期の問題をガチンコで扱っている作品だから
スラングみたいな言葉も出てきているんだろうし。
それを変に日本語の汚い言葉にかえると、ちょっと違う。
日本のそういう汚い言葉ってスタイリッシュというよりも
面白くなっちゃうんだよなあ。
あとは許せないのは劇場スタッフたち。
チケット売る姉ちゃんはまるで笑顔もなく、むしろ不機嫌。
最初に接する人がぶすっとしてたら、せっかくウキウキで
行ってもがっかりですわ。
あとは、観客席を見張るスタッフがいて、
ちょっと姿勢を崩していると、注意される。
そんな、見えるだろ。ちょっと姿勢崩したところで後ろの人。
そもそもあまり面白くなくて、ぐたっとしてるんだし。
四季、今回は相当がっかりした。
あとで知ったんだけど、題材が題材なので若手が多く
起用されているらしい。それもあるのか?クオリティ低下。
かけあがった話題作。春のめざめ。
ということで、まあ、これは「問題作」とも
いわれているので、見ておかなくてはと行きました。
劇団四季。春のめざめ。
だが…思い出した。これは、本当に単なるというのも
変だけど、いわゆるいわゆるミュージカル。
ライオンキングとかマンマ・ミーアとかは、
まだ逃げ場があったけど、これは本当に向こうのやつを
そのまま日本語に訳したミュージカル。
突然歌いだす、なんか歌詞も字余りみたいな、あれだ。
苦手だったのだ。思い出した。
なんか日本語になるとリズムも崩れちゃうし、意味も恥ずかしい。
歌いはじめた瞬間に、アレルギーが悲しいかな、再発。
絶対、英語版はかっこいいと思う。舞台の使い方とかは
すさまじくセンスよかったし、話のつくりも超現代的。
ネオン管と赤電球と照明の組み合わせとか
ちょっとぞくっとする仕上がりだった。
ただ、日本語ミュージカルの恥ずかしいとこが全快。
テーマもきっと、そういうがでやすいんだよなあ。
性とか思春期の問題をガチンコで扱っている作品だから
スラングみたいな言葉も出てきているんだろうし。
それを変に日本語の汚い言葉にかえると、ちょっと違う。
日本のそういう汚い言葉ってスタイリッシュというよりも
面白くなっちゃうんだよなあ。
あとは許せないのは劇場スタッフたち。
チケット売る姉ちゃんはまるで笑顔もなく、むしろ不機嫌。
最初に接する人がぶすっとしてたら、せっかくウキウキで
行ってもがっかりですわ。
あとは、観客席を見張るスタッフがいて、
ちょっと姿勢を崩していると、注意される。
そんな、見えるだろ。ちょっと姿勢崩したところで後ろの人。
そもそもあまり面白くなくて、ぐたっとしてるんだし。
四季、今回は相当がっかりした。
あとで知ったんだけど、題材が題材なので若手が多く
起用されているらしい。それもあるのか?クオリティ低下。
今の日本にして欲しかった「桜姫~長塚現代劇バージョン」@シアターコクーン
日本の桜姫を南米を舞台におきかえて
日本語で上演という長塚圭史が書いた現代版。
正直、日本の今に置き換えたときに
どうなるのかが見たかった。
もう南米にして、舞台も抽象で、どこの時代かも
ふんわりしている状態だと、言葉がはっきり現代語だから
分かる以外は、なんら条件が歌舞伎と変わらない。
そんな気がした。
考えることは考えるなあ。
自分にとっていいことが起こっているときは
自分の分身にとって悪いことが起こっている。
逆もまたしかり。要はフィフティフィフティ。
というよりは、人間ってものすごく業が深いんだろうなあと。
幸せなときももっと先、もっと先を求めてしまう。
相手を見て、自分に不足している幸せに嫉妬する。
正しいことと悪いことが同じ重さで扱われていて
人生はどうしようもなくどちらも起こりうるのだと
肌でびりびりと感じた。
そして、単なる幸せなんてありえないという
長塚ものでいつも感じる、人間への絶望はやっぱり
今回も感じて、この人は生き難いだろうと気の毒に思った。
大竹しのぶと勘三郎のベッドシーンとかあるんだけど
きついかと思いきや、ちゃんとふわっと空気がピンクに
変わったから、ふたりともすさまじいパワーだなあと
感心した。没入、入っていく感じすごい。
あとは古田新太。あの人のテンションの抜き入れの妙は
最近本当に鬼気迫るものがあるなあ。
日本語で上演という長塚圭史が書いた現代版。
正直、日本の今に置き換えたときに
どうなるのかが見たかった。
もう南米にして、舞台も抽象で、どこの時代かも
ふんわりしている状態だと、言葉がはっきり現代語だから
分かる以外は、なんら条件が歌舞伎と変わらない。
そんな気がした。
考えることは考えるなあ。
自分にとっていいことが起こっているときは
自分の分身にとって悪いことが起こっている。
逆もまたしかり。要はフィフティフィフティ。
というよりは、人間ってものすごく業が深いんだろうなあと。
幸せなときももっと先、もっと先を求めてしまう。
相手を見て、自分に不足している幸せに嫉妬する。
正しいことと悪いことが同じ重さで扱われていて
人生はどうしようもなくどちらも起こりうるのだと
肌でびりびりと感じた。
そして、単なる幸せなんてありえないという
長塚ものでいつも感じる、人間への絶望はやっぱり
今回も感じて、この人は生き難いだろうと気の毒に思った。
大竹しのぶと勘三郎のベッドシーンとかあるんだけど
きついかと思いきや、ちゃんとふわっと空気がピンクに
変わったから、ふたりともすさまじいパワーだなあと
感心した。没入、入っていく感じすごい。
あとは古田新太。あの人のテンションの抜き入れの妙は
最近本当に鬼気迫るものがあるなあ。
2009年5月21日木曜日
押し切る受け流す「五月大歌舞伎」@歌舞伎座
見た演目は次の通り
暫(しばらく)
寿猩々(ことぶきしょうじょう)
手習子(てならいこ)
加賀鳶(かがとび)
まあ、勉強中なのでまるで演目を見たところで
見所とかもよく分からない。正直でたとこ勝負。
「暫」は主役で出てくるのは海老蔵。
もう十分に準備されたところに、いよいよ登場!
という非常においしい話で、まさに花形向きの演目。
なんだか非常にオレ様で、それは歌舞伎をしていても
十分ににじみ出てて、もう鼻につくんだけど、
それでも見入ってしまうキャラの濃さ。声のよさ。
なんか動くだけで空気が振動するスゴさ。
何が悪いと、力で押し切る美しさ。
あとは、バカみたいにデカイ衣装で十分に邪魔なんだけど
それを着るに値する主役なんだ!ってことを
みんなが認識するには非常に有用な装置で
時に常識をはるかに越えちゃうことも大事なことなんだと
小さくまとまる自分を反省する。
「加賀鳶」は悪党の話なんだけど、菊五郎という人が
主役をやっていて、まあ、のらりくらりと超脱力なんだけど
心がふととらわれて、なんなんだ?この人と思ったら、
名人なんだそうだ。すごく上手な人らしい。
もうね、ひろいのに、まるで気張らない。
ちょっと言っちゃおうかな、みたいにぽろっと言葉を
発したりするんだけど、それが絶妙なのね。
客に力を受け流して、全部力に変える合気道みたいな
歌舞伎だった。最後のだんまりというらしいんだが
暗闇コントみたいなところは、残像が見えたもんなあ、
ゆっくりすぎて。
この2つの主役の違いに、大満足でした。
寿猩々(ことぶきしょうじょう)
手習子(てならいこ)
この2つを楽しむまでには
まだまだ自分の目は肥えていないのでした。
たくさん見て、心にふれるようになるといいなあ。
みどころを松竹のHPから転載。
一、歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)
鶴ヶ岡八幡宮に、清原武衡(左團次)が鹿島入道震斎(翫雀)、
那須九郎妹照葉(扇雀)を始め、
大勢の家臣(市蔵・亀蔵・男女蔵・亀三郎)たちを引き連れて現れます。
そこへ加茂次郎(友右衛門)が、桂の前(門之助)や
宝木蔵人(家橘)、局常盤木(右之助)のほか、
自らの兄弟(亀寿・萬太郎)たちと参詣にやって来ます。
すると武衡は加茂次郎の咎を責め、
成田五郎(権十郎)に首を刎ねるよう命じます。
その時「しばらく」と声がかかり、
鎌倉権五郎(海老蔵)が駆け付けます。
やがて武衡の悪事を暴いた権五郎は、
紛失していた宝物も小金丸(巳之助)の働きによって取り戻し、
意気揚々と引き上げていくのでした。
荒事の魅力溢れる舞台をお楽しみ下さい。
二、寿猩々(ことぶきしょうじょう)
酒を好物とする猩々(富十郎)が、
親孝行な酒売り(魁春)のもとに現れ、
今日も酒を所望します。
そして酒に酔う猩々は、嬉しそうに舞い始めます。
能をもとにした作品で、重厚な色合いの義太夫舞踊です。
手習子(てならいこ)
春の野辺に、手習いから戻って来たお駒(芝翫)が通りかかり、
いろは歌に合わせて可憐に踊っていきます。
長唄ならではの華やかさ溢れる舞踊です。
対照的な舞踊を続いて上演します。
三、盲長屋梅加賀鳶 加賀鳶(かがとび)
加賀鳶と定火消しの間で喧嘩が起り、
日蔭町の松蔵(梅玉)を始め、雷五郎次(左團次)、
春木町巳之助(三津五郎)、御神輿弥太郎(團蔵)、魁勇次(松緑)、
昼ッ子尾之吉(菊之助)、虎屋竹五郎(海老蔵)が勢揃いしますが、
天神町の梅吉(菊五郎)がこれを止めて事なきを得ます。
一方、悪党の竹垣道玄(菊五郎)は、
女房のおせつ(東蔵)とその連れ子のお朝(梅枝)を、
按摩仲間のお兼(時蔵)と共に虐げていますが、
お朝が伊勢屋の主人から小遣いを貰ったことを聞き、
ある悪巧みを考え付きます。
そして道玄はお兼と一緒に伊勢屋与兵衛(彦三郎)を
強請りに出かけますが…。
河竹黙阿弥が五世尾上菊五郎のために
書き下ろした世話物の名作をお楽しみ下さい。
暫(しばらく)
寿猩々(ことぶきしょうじょう)
手習子(てならいこ)
加賀鳶(かがとび)
まあ、勉強中なのでまるで演目を見たところで
見所とかもよく分からない。正直でたとこ勝負。
「暫」は主役で出てくるのは海老蔵。
もう十分に準備されたところに、いよいよ登場!
という非常においしい話で、まさに花形向きの演目。
なんだか非常にオレ様で、それは歌舞伎をしていても
十分ににじみ出てて、もう鼻につくんだけど、
それでも見入ってしまうキャラの濃さ。声のよさ。
なんか動くだけで空気が振動するスゴさ。
何が悪いと、力で押し切る美しさ。
あとは、バカみたいにデカイ衣装で十分に邪魔なんだけど
それを着るに値する主役なんだ!ってことを
みんなが認識するには非常に有用な装置で
時に常識をはるかに越えちゃうことも大事なことなんだと
小さくまとまる自分を反省する。
「加賀鳶」は悪党の話なんだけど、菊五郎という人が
主役をやっていて、まあ、のらりくらりと超脱力なんだけど
心がふととらわれて、なんなんだ?この人と思ったら、
名人なんだそうだ。すごく上手な人らしい。
もうね、ひろいのに、まるで気張らない。
ちょっと言っちゃおうかな、みたいにぽろっと言葉を
発したりするんだけど、それが絶妙なのね。
客に力を受け流して、全部力に変える合気道みたいな
歌舞伎だった。最後のだんまりというらしいんだが
暗闇コントみたいなところは、残像が見えたもんなあ、
ゆっくりすぎて。
この2つの主役の違いに、大満足でした。
寿猩々(ことぶきしょうじょう)
手習子(てならいこ)
この2つを楽しむまでには
まだまだ自分の目は肥えていないのでした。
たくさん見て、心にふれるようになるといいなあ。
みどころを松竹のHPから転載。
一、歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)
鶴ヶ岡八幡宮に、清原武衡(左團次)が鹿島入道震斎(翫雀)、
那須九郎妹照葉(扇雀)を始め、
大勢の家臣(市蔵・亀蔵・男女蔵・亀三郎)たちを引き連れて現れます。
そこへ加茂次郎(友右衛門)が、桂の前(門之助)や
宝木蔵人(家橘)、局常盤木(右之助)のほか、
自らの兄弟(亀寿・萬太郎)たちと参詣にやって来ます。
すると武衡は加茂次郎の咎を責め、
成田五郎(権十郎)に首を刎ねるよう命じます。
その時「しばらく」と声がかかり、
鎌倉権五郎(海老蔵)が駆け付けます。
やがて武衡の悪事を暴いた権五郎は、
紛失していた宝物も小金丸(巳之助)の働きによって取り戻し、
意気揚々と引き上げていくのでした。
荒事の魅力溢れる舞台をお楽しみ下さい。
二、寿猩々(ことぶきしょうじょう)
酒を好物とする猩々(富十郎)が、
親孝行な酒売り(魁春)のもとに現れ、
今日も酒を所望します。
そして酒に酔う猩々は、嬉しそうに舞い始めます。
能をもとにした作品で、重厚な色合いの義太夫舞踊です。
手習子(てならいこ)
春の野辺に、手習いから戻って来たお駒(芝翫)が通りかかり、
いろは歌に合わせて可憐に踊っていきます。
長唄ならではの華やかさ溢れる舞踊です。
対照的な舞踊を続いて上演します。
三、盲長屋梅加賀鳶 加賀鳶(かがとび)
加賀鳶と定火消しの間で喧嘩が起り、
日蔭町の松蔵(梅玉)を始め、雷五郎次(左團次)、
春木町巳之助(三津五郎)、御神輿弥太郎(團蔵)、魁勇次(松緑)、
昼ッ子尾之吉(菊之助)、虎屋竹五郎(海老蔵)が勢揃いしますが、
天神町の梅吉(菊五郎)がこれを止めて事なきを得ます。
一方、悪党の竹垣道玄(菊五郎)は、
女房のおせつ(東蔵)とその連れ子のお朝(梅枝)を、
按摩仲間のお兼(時蔵)と共に虐げていますが、
お朝が伊勢屋の主人から小遣いを貰ったことを聞き、
ある悪巧みを考え付きます。
そして道玄はお兼と一緒に伊勢屋与兵衛(彦三郎)を
強請りに出かけますが…。
河竹黙阿弥が五世尾上菊五郎のために
書き下ろした世話物の名作をお楽しみ下さい。
2009年5月19日火曜日
ひとりひとりの気持ち「関数ドミノ/イキウメ」@赤坂レッドシアター
軽いSFミステリーな感じが本当に世の中流行ってる。
誰に聞いても東野圭吾が好き!みたいな風潮。
ちょっとした超常現象があって、
そこに意外などんでん返しがあって、それを待つ。
話はすごくよく出来てる。
ドミノって、何かを望んだら、自然と世の中が動いて
その人の希望どうりのことが起こる人のこと。
ヒトラーとかもそんな人で、権力を手にするまで
何一つ非合法なことなんかしていないと
舞台中に高らかに語られたりする。日本って平和。
で、日本って平等で自由なのね、病的に。
話の筋とは別にひとりひとりの人生の方が
よっぽど気になってしまうのが最近のこの手の
舞台の残念なところ。
いかに謎解きを鮮やかに見せるかに集中していくと
どうも、ひとりひとりの人生が置き去りになる。
しかたないことかもしれないけれど、惜しい。
人が超常現象に出逢ったときに、狂っていく、
寄りかかっていく、そんなキモチの弱さが端的に
一気に描かれていて、怖かった。
周りをみてばかりいると、どうしても忘れる
自分自身の核みたいなものがある。
最終的に周りのことしか語らないのは
あまりにも悲しいし、生きている実感がなくなって
そんな人が大挙して出ている舞台に
まさに今の時代を感じたりするものだ。
誰に聞いても東野圭吾が好き!みたいな風潮。
ちょっとした超常現象があって、
そこに意外などんでん返しがあって、それを待つ。
話はすごくよく出来てる。
ドミノって、何かを望んだら、自然と世の中が動いて
その人の希望どうりのことが起こる人のこと。
ヒトラーとかもそんな人で、権力を手にするまで
何一つ非合法なことなんかしていないと
舞台中に高らかに語られたりする。日本って平和。
で、日本って平等で自由なのね、病的に。
話の筋とは別にひとりひとりの人生の方が
よっぽど気になってしまうのが最近のこの手の
舞台の残念なところ。
いかに謎解きを鮮やかに見せるかに集中していくと
どうも、ひとりひとりの人生が置き去りになる。
しかたないことかもしれないけれど、惜しい。
人が超常現象に出逢ったときに、狂っていく、
寄りかかっていく、そんなキモチの弱さが端的に
一気に描かれていて、怖かった。
周りをみてばかりいると、どうしても忘れる
自分自身の核みたいなものがある。
最終的に周りのことしか語らないのは
あまりにも悲しいし、生きている実感がなくなって
そんな人が大挙して出ている舞台に
まさに今の時代を感じたりするものだ。
2009年4月14日火曜日
もてる集客「ルズバンズ/うそつき」@王子小劇場
もう随分、東大系の駒場小空間から
足が遠ざかっているんだけど、たぶんこのへんが
ぎりぎり知ってる「ひょっとこ乱舞」のスピンオフもの。
小人数でおしゃべりするお芝居。
人間性が薄いのかなあ、なんか心にこない。
いいお話なんだけどね、いろんな意味でよく出来てる。
それぞれの生き様を知るわけじゃないけど
やっぱり人の心に何かを突き刺すためには
かなりの荒い人生が必要なんじゃないかとこのごろ思う。
この人いいなあと思うと、変な意味でロクな生き方をしていない。
変な意味じゃなくてではなく、変な意味で。
頭がいい生き方しちゃうと、もう、ダメなんだなあ。
心にひっかからない。傷が残らない。
異常な数のモノを見ると、もう何もかもがどこかで見た既視感があって
あとはそこから、なにが突飛なものなのかをあぶり出す感じで
切ないけれど、もうそこは人間力の勝負で、
タレント芝居に客が入るのも、なんとなく欠けた人が
当たり前のように出てくる保険なんだと最近思う。
別に有名人みたいっていうだけでもないよなあと。
あとは、客席がもてない。これは永遠のテーマだなあ。
もてる客席にするには、何が必要なんだろう?
デートにあれでは誘えない。なんかセンス悪いみたいになっちゃう。
難しい。
足が遠ざかっているんだけど、たぶんこのへんが
ぎりぎり知ってる「ひょっとこ乱舞」のスピンオフもの。
小人数でおしゃべりするお芝居。
人間性が薄いのかなあ、なんか心にこない。
いいお話なんだけどね、いろんな意味でよく出来てる。
それぞれの生き様を知るわけじゃないけど
やっぱり人の心に何かを突き刺すためには
かなりの荒い人生が必要なんじゃないかとこのごろ思う。
この人いいなあと思うと、変な意味でロクな生き方をしていない。
変な意味じゃなくてではなく、変な意味で。
頭がいい生き方しちゃうと、もう、ダメなんだなあ。
心にひっかからない。傷が残らない。
異常な数のモノを見ると、もう何もかもがどこかで見た既視感があって
あとはそこから、なにが突飛なものなのかをあぶり出す感じで
切ないけれど、もうそこは人間力の勝負で、
タレント芝居に客が入るのも、なんとなく欠けた人が
当たり前のように出てくる保険なんだと最近思う。
別に有名人みたいっていうだけでもないよなあと。
あとは、客席がもてない。これは永遠のテーマだなあ。
もてる客席にするには、何が必要なんだろう?
デートにあれでは誘えない。なんかセンス悪いみたいになっちゃう。
難しい。
2009年3月29日日曜日
自分のセンス「いのうえ歌舞伎・蜻蛉峠」@赤坂ACTシアター
意外と自分のセンスに近いと泣けなかったりする不思議。
偶然にも2回見る機会があったんだけど、なかなかねえ。
割といいとこまでいったりもするんだけど、ふとしたところで
気持ちがぐらぐらいくところまで行けなかった。
音とセリフの熱さであおっていくあたりとか、異常なくらい
自分の演出とかぶったりするんだけど、逆にそこに意識いくと
どうにも涙がひいてしまう。もったいない。ああ。もったいない。
個人的には長いおさえたセリフからどんどんもりあがったセリフを
女子に語ってもらうのが、なによりツボっぽいと改めて気がつく。
あとは、高田聖子のこの集団でのすごみ。
劇団で、そのカラーを背負う存在の役者さんがやり続けることの
不自由さと圧倒的なパワーとの狭間でしっかりと立つ、
価値に打たれた。そりゃあ、古田新太も安心だよ。
もちろん古田さんはすさまじいです。ありゃあ、鬼だ。
存在感とかうまさとか、もう常人の域を越えているもの。
かっこよく見えるもの。あれだけかっこよくないのに。
舞台の最たるもんだなあ、あのかっこよさは。
このお芝居も距離が大事だったようで、近い席よりも
ちょっと離れて全体を見れて、集団の騒ぎ立てる感じを
感じることができる方が楽しめる感じだった。不思議だ。
偶然にも2回見る機会があったんだけど、なかなかねえ。
割といいとこまでいったりもするんだけど、ふとしたところで
気持ちがぐらぐらいくところまで行けなかった。
音とセリフの熱さであおっていくあたりとか、異常なくらい
自分の演出とかぶったりするんだけど、逆にそこに意識いくと
どうにも涙がひいてしまう。もったいない。ああ。もったいない。
個人的には長いおさえたセリフからどんどんもりあがったセリフを
女子に語ってもらうのが、なによりツボっぽいと改めて気がつく。
あとは、高田聖子のこの集団でのすごみ。
劇団で、そのカラーを背負う存在の役者さんがやり続けることの
不自由さと圧倒的なパワーとの狭間でしっかりと立つ、
価値に打たれた。そりゃあ、古田新太も安心だよ。
もちろん古田さんはすさまじいです。ありゃあ、鬼だ。
存在感とかうまさとか、もう常人の域を越えているもの。
かっこよく見えるもの。あれだけかっこよくないのに。
舞台の最たるもんだなあ、あのかっこよさは。
このお芝居も距離が大事だったようで、近い席よりも
ちょっと離れて全体を見れて、集団の騒ぎ立てる感じを
感じることができる方が楽しめる感じだった。不思議だ。
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