ああ、見てしまったという感覚。
旬の時期を生きてしまったあとに訪れる
残酷などうにもならない時代。
きっと10年くらい前は、かなり刺激的だったのだろう。
でも、その刺激に人が慣れ、
その刺激を作り出すことに疲れた人たちが見せる
それはあまりにもしんどく、切なかった。
唄があまりにもヒドい。もともとウマさなんかない。
でも、グルーブは確かにそこにあったはずだった。
その勢いを感じて、気分がよくなったはずだった。
でも、無理に、その覚えている感覚を、リフレインしようと
もがいている風に感じてしまったステージは未完成にしか見えない。
でもなあ、当人たちも分からないんだよねえ、きっと。
どうしたらいいかなんて。
最近、よく思うのは、結局は何を大事にするかをしっかりと
見据えることなんじゃないかということ。
いろいろあるけど、ひとつ残るもの、譲れないものは何か?
唄もうまくなければ。当たり前のようにオッパイが出たりするし、
ドラマは当然、先が見えているか、変なこだわりの紆余曲折か、
そんな案配。
江森さんは、きっと面白いし、パワーもあるんだけど、
それに見合うというか。同じテンションで集団に参加している人が
あまりにも少ないのだろうなあ。
だから、塊として、ぐっとこないのだろうなあ。
現れるのは、結局は、覚悟。
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