うむむ、醍醐味だ。企画した人、気持ちいいだろうなあ。
「生命(いのち)と愛の未来を探る」というテーマで
古今東西のありとあらゆる生命に関するものが大集合。
薬のメーカーとして始まったウエルカム財団っていうところが
集めた様々な医学の進歩を示すものたちに、アートがからんでいく。
医学備品みたいなものが、まあいちいち面白い。
美しいかといえば微妙だけど、最先端の頭脳を使って
考えられた様々なものは、ある意味考え過ぎちゃっててグッとくる。
義足、義手は造形の極みだし(HONDAの最先端義足まで展示)
貞操帯なんかも徹底して操作性/装着性を考えた丸みがよい。
超巨大なふいごが人工呼吸器の役割を果たす(棺桶的ですらある)
こととか気づいた人はすごいと思うし。
ダヴィンチの肺とか心臓のデッサン、本当にすさまじい細密さで、
線にブレがなく、まっすぐと走っていくのは本物ならではの迫力。
わざわざイギリスの王室コレクションから上陸。
抜けると、骸骨が波をバックにたたずむ
円山応挙「波上白骨座禅図」が。やりたい放題。頭使わせる感じ。
手術は見せ物だった時代、シアターのような場所で解剖する様子を
描いた画がずらりと並んだのを見たあとに、
狩野一信「五百羅漢図 第59幅 神通」があり日本の神通力的な
ぼんやりした医学力を感じ、その先には、
デミアン・ハーストが妻の出産シーンを超リアルに描いた絵画が。
なんか血とか見えなくなったけど、その景色を写真とみまごうばかりの
絵画で見るという、考えちゃう人にはウハウハなコンセプト。
売れるわ、ハースト。あと、この人って普通に画が超うまい。
ジル・バルビエ「老人ホーム」というくだらないコントみたいな作品も。
歩行器使用のスーパーマン、立てないバッドマン、ぼけてガリガリの超人ハルク。
やりきることって大事なんだな。
老人の皮膚を持った、子どもがゲームボーイで遊んでいたりもする。
部屋の片隅で。パトリシア・ピッチニーニ作品。
すさまじい企画だなあと思ったのは、死の直前の顔と死の直後の顔を
写真で撮って並べた作品。ヴァルター・シェルスのもの。
死を悟った人たちのやわらかな表情と、そのつながりの中で感じる
死んだあとのやすらかな表情。生と死、その時間は切れているのか?
で、DNAの発見した人のなんとなくひらめいちゃったぞというメモも展示。
どうして、らせんだ!なんて思ったのか?本当にすごいことだ。
人間の飽くなき欲求は。果てしない。
ひたすらに頭を回転させて見る感じ。エクササイズとしてはよかった。
けど、これは美しいのか?
2010年4月7日水曜日
大好物の光ものでした、やはり「あなたがであうとき/オラファー・エリアソン」@金沢21世紀美術館
そもそも大好きなオラファー・エリアソン。
他のどこにもまわらずに、ここのためだけに展示を作った。
らしい。
なんと贅沢な。行ってみて、なるほどと。
ひとつひとつの作品は既出のものがあるんだけど、
あの、どこ歩いてもよくて、どこにいるのかも分からなくなる
美術館だからこそ良さががあるのだなあ、この展示。
ふっと、空間に入ったときの出会いがランダムだからこそ
はっとさせられるという仕掛けの数々。
角をまがれば、絶景とか。
ドアをあければ、異空間とか。
そんな自然の状態でよくあるけれど、胸を打つ感覚を
ホワイトキューブで実現するのは、この建築があったから
なのだろう。
オラファー・エリアソンの説明を。以下に。
光、影、色、霧、風、波などの自然界に見られる
さまざまな要素によって特徴づけられるエリアソンの作品群は、
科学的な仕組みを問うものではなく、
現象を作り出す仕掛けは作品の中で明らかされています。
そのために、人々は却って「見る」という行為を純粋に楽しみ、
取り巻く環境の中に新しい発見や体験をする
機会とすることができるのです。
また、エリアソンはSANAAが設計・デザインした美術館を
建築的・機能的に深く読み解き、
金沢21世紀美術館を成り立たせる、
さまざまなファクターに大胆に挑みます。
気に入った作品の備忘録を。
《あなたが出会うとき》2009年
広い空間に、光がぱーっと開けてくる。
そして、さーっと閉じていく。
自分が見えてくる。現れる。
誰かの姿が照らし出される。また消える。
ゆっくりした動きだけれど、確実に何かに
コントロールされている感じを味わえる。
《ゆっくり動く色のある影》2009年
3つの色の影が重なり、離れ、影なのに独立した色を持つ。
これも、ひとりがいろいろな色を持つってことももちろんだし
同時にいる多くの人たちとともに楽しみ干渉しあうことで
世の中がどんどん多様に美しく花開いていくような気分に。
いちいち単純なのに、深く哲学を語れるのが、
この人の作品の面白いところなんだよなあ。
だから、もうべらべら気づいたことを喋り尽くしておく。
《見えないものが見えてくる》2009年
霧に満ちた部屋に、一筋の光がすーっと通る。
のだけれど、自然ではあり得ない形で、その光の線は
プツリと切れる。こういう非自然であることの不自然さを
ハッと意識させるのも、うまいところ。
単純に、ロスコのようなものが入らないよう、
透明な箱が置いてあって、そのため光の線が見えないんだけど
いやあ、美しく世界の仕組みをシャープにするのって
センスだなあと感心。
《動きが決める物のかたち》(まもなく)(いま)(それから)
ストロボでトロッとしたオイルような
プラスチック材料の噴水をちかちかすると
その瞬間だけうまれる彫刻のように見える。
超美形で、はかない、彫刻でありオブジェ。
見た事もない質感と量感。あれは軽いのか?重いのか?
つるつるしているようにもみえるけど
ぬるっとしているようにもみえるという謎の代物。
接することができる物体とは違う、物体を生み出すという
信じがたい離れ業だった。
《水の彩るあなたの水平線》2009年
宗教施設かのような作品だった。
暗い部屋。
バカでかい円形の部屋の真ん中に
バカでかい水盆。そのさざなみに反射して
虹色の光が部屋の壁にもうひとつの波を描く。
人の気配がするたびに、その波は大きく変動する。
人が自分の空間に入るたびに、
よくもわるくも、明るい色も暗い色も
同時にゆらゆらと反応する。まさに他者によって、
自分の世界は、変容するんだろう。
いやあ、すごい、本当にすごい、すさまじい。
あれこれと
感動した。
難しくないけど、深いなあ。
だから、すごい。
何より感性にくるもんなあ。
それにしても、相変わらず、光ものには
とことん弱いものだ。
他のどこにもまわらずに、ここのためだけに展示を作った。
らしい。
なんと贅沢な。行ってみて、なるほどと。
ひとつひとつの作品は既出のものがあるんだけど、
あの、どこ歩いてもよくて、どこにいるのかも分からなくなる
美術館だからこそ良さががあるのだなあ、この展示。
ふっと、空間に入ったときの出会いがランダムだからこそ
はっとさせられるという仕掛けの数々。
角をまがれば、絶景とか。
ドアをあければ、異空間とか。
そんな自然の状態でよくあるけれど、胸を打つ感覚を
ホワイトキューブで実現するのは、この建築があったから
なのだろう。
オラファー・エリアソンの説明を。以下に。
光、影、色、霧、風、波などの自然界に見られる
さまざまな要素によって特徴づけられるエリアソンの作品群は、
科学的な仕組みを問うものではなく、
現象を作り出す仕掛けは作品の中で明らかされています。
そのために、人々は却って「見る」という行為を純粋に楽しみ、
取り巻く環境の中に新しい発見や体験をする
機会とすることができるのです。
また、エリアソンはSANAAが設計・デザインした美術館を
建築的・機能的に深く読み解き、
金沢21世紀美術館を成り立たせる、
さまざまなファクターに大胆に挑みます。
気に入った作品の備忘録を。
《あなたが出会うとき》2009年
広い空間に、光がぱーっと開けてくる。
そして、さーっと閉じていく。
自分が見えてくる。現れる。
誰かの姿が照らし出される。また消える。
ゆっくりした動きだけれど、確実に何かに
コントロールされている感じを味わえる。
《ゆっくり動く色のある影》2009年
3つの色の影が重なり、離れ、影なのに独立した色を持つ。
これも、ひとりがいろいろな色を持つってことももちろんだし
同時にいる多くの人たちとともに楽しみ干渉しあうことで
世の中がどんどん多様に美しく花開いていくような気分に。
いちいち単純なのに、深く哲学を語れるのが、
この人の作品の面白いところなんだよなあ。
だから、もうべらべら気づいたことを喋り尽くしておく。
《見えないものが見えてくる》2009年
霧に満ちた部屋に、一筋の光がすーっと通る。
のだけれど、自然ではあり得ない形で、その光の線は
プツリと切れる。こういう非自然であることの不自然さを
ハッと意識させるのも、うまいところ。
単純に、ロスコのようなものが入らないよう、
透明な箱が置いてあって、そのため光の線が見えないんだけど
いやあ、美しく世界の仕組みをシャープにするのって
センスだなあと感心。
《動きが決める物のかたち》(まもなく)(いま)(それから)
ストロボでトロッとしたオイルような
プラスチック材料の噴水をちかちかすると
その瞬間だけうまれる彫刻のように見える。
超美形で、はかない、彫刻でありオブジェ。
見た事もない質感と量感。あれは軽いのか?重いのか?
つるつるしているようにもみえるけど
ぬるっとしているようにもみえるという謎の代物。
接することができる物体とは違う、物体を生み出すという
信じがたい離れ業だった。
《水の彩るあなたの水平線》2009年
宗教施設かのような作品だった。
暗い部屋。
バカでかい円形の部屋の真ん中に
バカでかい水盆。そのさざなみに反射して
虹色の光が部屋の壁にもうひとつの波を描く。
人の気配がするたびに、その波は大きく変動する。
人が自分の空間に入るたびに、
よくもわるくも、明るい色も暗い色も
同時にゆらゆらと反応する。まさに他者によって、
自分の世界は、変容するんだろう。
いやあ、すごい、本当にすごい、すさまじい。
あれこれと
感動した。
難しくないけど、深いなあ。
だから、すごい。
何より感性にくるもんなあ。
それにしても、相変わらず、光ものには
とことん弱いものだ。
2010年4月6日火曜日
手触りが大切な画「断面の世代/束芋」@横浜美術館
「断面の世代」っていうのは、束芋さんの造語で
まさに1970年代、自分の含まれる年代のことを
指しているらしい。当然、「団塊の世代」とも関係してくる。
本人によれば、以下のような感じ。
団塊の世代の方々は、
太巻きの中の玉子焼きやかんぴょうといった、
それぞれが具の1個1個なんです。
私たちの世代も、同じ目標として太巻きになることを
目指しているのですが、個人としてはすべての要素を持っている
太巻きを切り分けたときにできる断面のようなもの。
一応全て持ち合わせているので何でもできるって
思い込んでいるんだけど、よく自分自身を見てみると
薄っぺらい二次元の断面でしかない。
集まればいちおうは三次元の太巻きになれるんだけど、
それぞれがいろんな形、色々な大きさをしているから、
いびつな太巻きになるかもしれない。
逆に団塊の世代は、それぞれが玉子焼きだったり
かんぴょうだったりキュウリだったりして個性的だから、
てんでバラバラになりかねない。
だけど、その多様な具をまとめる米だとか海苔だとかっていう
リーダー的な存在がいれば、ひとつの太巻きになれる、
みたいなイメージです
※横浜美術館/国立国際美術館『束芋:断面の世代』より引用
横浜美術館の吹き抜け全体を使って、団地の様子が映し出されていて
入った瞬間に居心地が悪くざわざわする。
本当にこの人の作品は、触感がある。抵抗感。
神経症みたいな筆致がもぞもぞと動いて絶望的な世界に
移り変わっていくアニメーションは、本当に暗く美しい。
確かにキレイだ。
ワンルームがきたなく汚れ、タンスから無数のゴミが散り、
血が流れ、人の身体がバラバラになろうとも、
世界は必ず美しさを持って立ち現れる。不思議。
骨が水面から顔を出すと、花を咲かせるやつとか
女の髪でいっぱいになったスクリーンをかき分けると
そこに日常の渋滞する交差点があったりとか
キレイに整わない日常の中に確かに「生」があるのは
みごたえたっぷり。
それにしても、この人のキャリアは本当にすごい。
うらやましいほどの、前人未到。あやかりたい。
長野に住んでいるあたりも、いけてる。
まさに1970年代、自分の含まれる年代のことを
指しているらしい。当然、「団塊の世代」とも関係してくる。
本人によれば、以下のような感じ。
団塊の世代の方々は、
太巻きの中の玉子焼きやかんぴょうといった、
それぞれが具の1個1個なんです。
私たちの世代も、同じ目標として太巻きになることを
目指しているのですが、個人としてはすべての要素を持っている
太巻きを切り分けたときにできる断面のようなもの。
一応全て持ち合わせているので何でもできるって
思い込んでいるんだけど、よく自分自身を見てみると
薄っぺらい二次元の断面でしかない。
集まればいちおうは三次元の太巻きになれるんだけど、
それぞれがいろんな形、色々な大きさをしているから、
いびつな太巻きになるかもしれない。
逆に団塊の世代は、それぞれが玉子焼きだったり
かんぴょうだったりキュウリだったりして個性的だから、
てんでバラバラになりかねない。
だけど、その多様な具をまとめる米だとか海苔だとかっていう
リーダー的な存在がいれば、ひとつの太巻きになれる、
みたいなイメージです
※横浜美術館/国立国際美術館『束芋:断面の世代』より引用
横浜美術館の吹き抜け全体を使って、団地の様子が映し出されていて
入った瞬間に居心地が悪くざわざわする。
本当にこの人の作品は、触感がある。抵抗感。
神経症みたいな筆致がもぞもぞと動いて絶望的な世界に
移り変わっていくアニメーションは、本当に暗く美しい。
確かにキレイだ。
ワンルームがきたなく汚れ、タンスから無数のゴミが散り、
血が流れ、人の身体がバラバラになろうとも、
世界は必ず美しさを持って立ち現れる。不思議。
骨が水面から顔を出すと、花を咲かせるやつとか
女の髪でいっぱいになったスクリーンをかき分けると
そこに日常の渋滞する交差点があったりとか
キレイに整わない日常の中に確かに「生」があるのは
みごたえたっぷり。
それにしても、この人のキャリアは本当にすごい。
うらやましいほどの、前人未到。あやかりたい。
長野に住んでいるあたりも、いけてる。
2010年3月5日金曜日
ひたすらな信仰「整地チベット・ポタラ宮と天空の至宝」@上野の森美術館
密教的なもののすさまじいところは、
異常なまでの密度にあると思う。
修行のあり方もそうだけど、祀っている仏像とか
もうちょっと目がくらむほどの密集。
腕がほんとに千本あったり
男の神と女の神がありえない形で交わってたり
著名な坊さんの頭蓋骨を水入れに使ったり。
想いの密集が半端ない。ひたすらひたすら念じて
考えて考えて考えてということが出来てしまう
厳しい環境がきっと、そういう宗教を生むのだろう。
あと歴史に残る名坊主みたいなのがたくさんいるのだが
どうも、こういっては罰あたりだが、怪しい。
みなインドの方からチベットにやってくるわけ。
荒んだチベット密教を立て直していくんだけど、
今、本場インドじゃあ、これが流行なんだ!的なことかと
思うとどうにも、軽々しく信じられない。
あとは、地面に巨大な人間が横たわっていて
その人間が暴れないように、要所要所に
寺が立っているという壮大なプランが面白かった。
でも、やっぱり、土地というのは
その地面そのものが大事で、そこに神が宿るのだと
改めて感じた。だって、そんな昔からだもの。
異常なまでの密度にあると思う。
修行のあり方もそうだけど、祀っている仏像とか
もうちょっと目がくらむほどの密集。
腕がほんとに千本あったり
男の神と女の神がありえない形で交わってたり
著名な坊さんの頭蓋骨を水入れに使ったり。
想いの密集が半端ない。ひたすらひたすら念じて
考えて考えて考えてということが出来てしまう
厳しい環境がきっと、そういう宗教を生むのだろう。
あと歴史に残る名坊主みたいなのがたくさんいるのだが
どうも、こういっては罰あたりだが、怪しい。
みなインドの方からチベットにやってくるわけ。
荒んだチベット密教を立て直していくんだけど、
今、本場インドじゃあ、これが流行なんだ!的なことかと
思うとどうにも、軽々しく信じられない。
あとは、地面に巨大な人間が横たわっていて
その人間が暴れないように、要所要所に
寺が立っているという壮大なプランが面白かった。
でも、やっぱり、土地というのは
その地面そのものが大事で、そこに神が宿るのだと
改めて感じた。だって、そんな昔からだもの。
2010年3月4日木曜日
会社のチカラになりきる「山形季央展」@ggg
知らなかったけど、デザイン界の重鎮らしい。
実は、こんな人みたい。
山形季央は、資生堂のアートディレクター、
クリエイティブディレクターとして、
ブランドの立ち上げや、展覧会のアートディレクション、
2005年には資生堂のコーポレーション・メッセージ
「一瞬も一生も美しく」のコピー開発など、
資生堂の広告の中枢を担う活躍をしています。
また、その一方で、ダンスカンパニー山海塾の公演ポスターや、
上田義彦『AMAGATSU』、十文字美信『わび』など
写真集のブックデザインでは、日本の美や身体美にこだわり、
非日常的な他にない美しい世界を表現しています。
なんか不思議な凧みたいな感じの目玉が顔を描いたり
流麗な線が有名な女優をイメージした線だったり
柔らかな感覚がしっとりと感じる展示。
なんかコンセプトのあり方にヨーロッパを感じたのは
なぜなのか?一緒に仕事をしてきた人たちの影響?
日本人に少ない、言葉を尽くす様子がいいなあと。
浮つく程の、あふれる言葉が、沈着して洗練され
シンプルなデザインに落ちていく、そのプロセス。
ぜひとも、そうありたい。
そのシンプルさに隠されるチカラが全然違うもんなあ。
あとは、日本のきれいさとか美しさって
すっきりしたところにあるのかもねえ。
あまり色とかごてごてしない、スッと線を引く、
さっと色をつける、そんな感じ。
実は、こんな人みたい。
山形季央は、資生堂のアートディレクター、
クリエイティブディレクターとして、
ブランドの立ち上げや、展覧会のアートディレクション、
2005年には資生堂のコーポレーション・メッセージ
「一瞬も一生も美しく」のコピー開発など、
資生堂の広告の中枢を担う活躍をしています。
また、その一方で、ダンスカンパニー山海塾の公演ポスターや、
上田義彦『AMAGATSU』、十文字美信『わび』など
写真集のブックデザインでは、日本の美や身体美にこだわり、
非日常的な他にない美しい世界を表現しています。
なんか不思議な凧みたいな感じの目玉が顔を描いたり
流麗な線が有名な女優をイメージした線だったり
柔らかな感覚がしっとりと感じる展示。
なんかコンセプトのあり方にヨーロッパを感じたのは
なぜなのか?一緒に仕事をしてきた人たちの影響?
日本人に少ない、言葉を尽くす様子がいいなあと。
浮つく程の、あふれる言葉が、沈着して洗練され
シンプルなデザインに落ちていく、そのプロセス。
ぜひとも、そうありたい。
そのシンプルさに隠されるチカラが全然違うもんなあ。
あとは、日本のきれいさとか美しさって
すっきりしたところにあるのかもねえ。
あまり色とかごてごてしない、スッと線を引く、
さっと色をつける、そんな感じ。
2010年2月3日水曜日
イメージ戦略「古代ローマ帝国の遺産」@国立西洋美術館
なんかつかみにくいローマとかギリシアとか。
すごい大事な時代なのに、ちゃんと向き合ったことないから
いつもいつもふわっとして終わってしまう。
今回もたぶんかなりふわっとしていて、本当なら
もっともっと感激していいはずの展示かもしれないんだけど
なんだか良さが完全につかみきれない。
なんとはなしに感じたのは、やっぱりちょっとでも
生活が豊かになったなあと誰もが感じることができるのは
偉大なことで、それが統治の決定的な力になってるなあということと
もうひとつは、人心をつかむには、ポジションが大事だということ。
アウグストゥスだって「尊厳なる人」であり「第一人者」であり
イメージとして神々しく、権威のある人として君臨する下地を
ちゃんと作ったんだよねえ。神様に祝福されるイメージ図録なんかも
周到に準備したりなんかして。
あとは、意外と派手で、キャッチーなおうち。
タイルで張ってある屋根が真っ青だったり、
食事をしながらごろごろできる部屋の壁は真っ赤。
(なんでも吐くまで食べるって!
その吐瀉物が流れるようにベッドが斜め!)
それから、その前庭には水色のキレイな泉があり、
大きな樹、色とりどりの花、さらには白い外壁、オレンジの屋根。
まあ、考えてみれば、イタリア。
そのころから、あの太陽が、キャッチーな明るい色を生んだのか
と思うとなんとも感慨深い。
あと思ったのは、細工ものって、アジアはやっぱりすごい。
ローマのみても、全然水準が違う。やっぱり大味なんだよなあ、なんか。
圧倒的に、細密度が違う。だから金細工とかすげえとか思わないのかも。
申し訳ないけど。
すごい大事な時代なのに、ちゃんと向き合ったことないから
いつもいつもふわっとして終わってしまう。
今回もたぶんかなりふわっとしていて、本当なら
もっともっと感激していいはずの展示かもしれないんだけど
なんだか良さが完全につかみきれない。
なんとはなしに感じたのは、やっぱりちょっとでも
生活が豊かになったなあと誰もが感じることができるのは
偉大なことで、それが統治の決定的な力になってるなあということと
もうひとつは、人心をつかむには、ポジションが大事だということ。
アウグストゥスだって「尊厳なる人」であり「第一人者」であり
イメージとして神々しく、権威のある人として君臨する下地を
ちゃんと作ったんだよねえ。神様に祝福されるイメージ図録なんかも
周到に準備したりなんかして。
あとは、意外と派手で、キャッチーなおうち。
タイルで張ってある屋根が真っ青だったり、
食事をしながらごろごろできる部屋の壁は真っ赤。
(なんでも吐くまで食べるって!
その吐瀉物が流れるようにベッドが斜め!)
それから、その前庭には水色のキレイな泉があり、
大きな樹、色とりどりの花、さらには白い外壁、オレンジの屋根。
まあ、考えてみれば、イタリア。
そのころから、あの太陽が、キャッチーな明るい色を生んだのか
と思うとなんとも感慨深い。
あと思ったのは、細工ものって、アジアはやっぱりすごい。
ローマのみても、全然水準が違う。やっぱり大味なんだよなあ、なんか。
圧倒的に、細密度が違う。だから金細工とかすげえとか思わないのかも。
申し訳ないけど。
2009年12月15日火曜日
哲学が支える。「建築家 坂倉準三 モダニズムを住む|住宅、家具、デザイン」@パナソニック電工 汐留ミュージアム
坂倉さんはフランス留学のときにコルビュジェに師事して
その流れをくむっていうことで日本でも大活躍。
国立西洋美術館とかはコルビュジェの右腕としてばりばり活躍、
青山の岡本太郎邸とか不思議な空間感覚とかも
その影響はわかりやすく、高い吹き抜けとかいいなあと思います。
今となっては割と当たり前かもしれない
広い空間に大きな屋根をバーンとはりつけて、
中の壁組で印象をどんどん変化していくのとか
もだーんだったんだろうなとしみじみと。
でも、彼のこんな言葉に、ぶれない軸には意味がある。
哲学があるから頑張れるとも感じたのでした。
「建築家は誰よりも人間に対する
深い愛情をもっていなければいけないですね。
心の底から人間愛をもっていなければならない。
建築家としての素質としてもっとも大切なのは
人間愛をその人がもっているかどうか
ということだと私は思います」
うーむ。フランス。
哲学って、西洋に行って磨かれるのでしょうか?
あとは、事務所の仕事としては、都市計画なんかもあって
西新宿のバスターミナルとかもそうらしく、
その様子を定点のカメラで撮影した映像があって
これが生き物みたいで気持ち悪かった。
止まらない都市眠らない都市というのは
やっぱりうにょうにょと不気味な様子がして
気持ちが落ち着かない。ものだ。
その流れをくむっていうことで日本でも大活躍。
国立西洋美術館とかはコルビュジェの右腕としてばりばり活躍、
青山の岡本太郎邸とか不思議な空間感覚とかも
その影響はわかりやすく、高い吹き抜けとかいいなあと思います。
今となっては割と当たり前かもしれない
広い空間に大きな屋根をバーンとはりつけて、
中の壁組で印象をどんどん変化していくのとか
もだーんだったんだろうなとしみじみと。
でも、彼のこんな言葉に、ぶれない軸には意味がある。
哲学があるから頑張れるとも感じたのでした。
「建築家は誰よりも人間に対する
深い愛情をもっていなければいけないですね。
心の底から人間愛をもっていなければならない。
建築家としての素質としてもっとも大切なのは
人間愛をその人がもっているかどうか
ということだと私は思います」
うーむ。フランス。
哲学って、西洋に行って磨かれるのでしょうか?
あとは、事務所の仕事としては、都市計画なんかもあって
西新宿のバスターミナルとかもそうらしく、
その様子を定点のカメラで撮影した映像があって
これが生き物みたいで気持ち悪かった。
止まらない都市眠らない都市というのは
やっぱりうにょうにょと不気味な様子がして
気持ちが落ち着かない。ものだ。
2009年10月31日土曜日
個人の持ち物?「ベネッセハウス/ミュージアム棟」@直島
基本的に個人の持ち物と考えると
ものすごい事になっている直島。
まあ、会社が持っているんだけど
実際は福武さんの考えひとつで進んでいく。
いやあ、お金があるってすごい。
なんか、こういう住まいと
一緒になっている建物に来ると、
一段とすごさを感じるなあ。
こんな景色の中に、こんな作品を置きたいなあとか
作ってもらいたいなあとか、そんな妄想の中で
世の中と関わることが出来るなんて、素晴らしすぎる。
どうしても、シマ次郎とかと結びつかないんだけどねえ。
あれを生み出しておきながら、文化事業で
こういうことを押し進める理念もある。
よく生きるって難しい。
作品的にはぐっときたのは、ブルース・ナウマンの
100生きて死ねという作品。
ネオンで100個のフレーズがあって、歌ってから死ねとか
食べてから死ねとかが明滅するというやつ。
コンクリートの無機的な空間にじんわりと光る
ネオンが直島という場所でたたずんでいると
ああ、命って明滅してるんだなあと感傷的になったりする。
都会だと、これもまた違うんだろう。感じ方が。
あとは、そこここにある、須田悦弘の野草。
コンクリートの割れ目にそっと生えている。
目立ちたいのか?目立ちたくないのか?分からないけど
とにかく、しっかりと生えているように見える。
完全な石から活き活きと緑が生えているのは不思議。
さらに、リチャード・ロングの十五夜の石の円。
見える海といつかに作られた岩がまるく人の手で
並べられるだけで妙に悠久の時を感じる。
場所の力ってあるなあ。
ものすごい事になっている直島。
まあ、会社が持っているんだけど
実際は福武さんの考えひとつで進んでいく。
いやあ、お金があるってすごい。
なんか、こういう住まいと
一緒になっている建物に来ると、
一段とすごさを感じるなあ。
こんな景色の中に、こんな作品を置きたいなあとか
作ってもらいたいなあとか、そんな妄想の中で
世の中と関わることが出来るなんて、素晴らしすぎる。
どうしても、シマ次郎とかと結びつかないんだけどねえ。
あれを生み出しておきながら、文化事業で
こういうことを押し進める理念もある。
よく生きるって難しい。
作品的にはぐっときたのは、ブルース・ナウマンの
100生きて死ねという作品。
ネオンで100個のフレーズがあって、歌ってから死ねとか
食べてから死ねとかが明滅するというやつ。
コンクリートの無機的な空間にじんわりと光る
ネオンが直島という場所でたたずんでいると
ああ、命って明滅してるんだなあと感傷的になったりする。
都会だと、これもまた違うんだろう。感じ方が。
あとは、そこここにある、須田悦弘の野草。
コンクリートの割れ目にそっと生えている。
目立ちたいのか?目立ちたくないのか?分からないけど
とにかく、しっかりと生えているように見える。
完全な石から活き活きと緑が生えているのは不思議。
さらに、リチャード・ロングの十五夜の石の円。
見える海といつかに作られた岩がまるく人の手で
並べられるだけで妙に悠久の時を感じる。
場所の力ってあるなあ。
2009年10月26日月曜日
モノは言い様「南寺/安藤忠雄&ジェームス・タレル」@直島
もともとお寺があった場所に
土地の記憶を失わない形でアートを収める
ハコをつくるというコンセプトで
新しい建物はドカンとある。
ただ、全く土地の記憶がそこから読み取れない。
なんだか、えらそうな感じ。寺って人の気持ちが見えないと。
安藤ですって感じと、そこそこで儲けちゃえみたいな感じと。
あとは、外側が杉かなんかの焼板で作られていて
それは瀬戸内では昔はあった手法なんだそうだけど
あまりねえ、生きていない気が。どうだ?とこれ見よがし。
権力が見えてくるなら、思い切りゴージャスにしてと思う。
庶民のふりとかいらない。
ものすごい雨が降っていて、屋根も雨どいなどなく、
スパッと切り取られていて、すごいリズムで雨だれが起こっていて、
その音は本当に神さまを感じるようなものだった。
雨の音をあんなに心にしみて感じたことはない。
ジェームス・タレルの「Backside of the Moon」という作品が
中にあるんだけど、真っ暗真っ暗の中で目がなれてくると、
ぼんやりと切り取られた世界が見えてきて、
影の中にも光があることを感じることが出来る仕掛け。
哲学だなあ、言い様だなあ。これは。
美しいかといえば、そんなことはないだけど、
確かに体感したことはない感覚で、ありがたい感じがしてしまう。
でも、なあ、微妙。
土地の記憶を失わない形でアートを収める
ハコをつくるというコンセプトで
新しい建物はドカンとある。
ただ、全く土地の記憶がそこから読み取れない。
なんだか、えらそうな感じ。寺って人の気持ちが見えないと。
安藤ですって感じと、そこそこで儲けちゃえみたいな感じと。
あとは、外側が杉かなんかの焼板で作られていて
それは瀬戸内では昔はあった手法なんだそうだけど
あまりねえ、生きていない気が。どうだ?とこれ見よがし。
権力が見えてくるなら、思い切りゴージャスにしてと思う。
庶民のふりとかいらない。
ものすごい雨が降っていて、屋根も雨どいなどなく、
スパッと切り取られていて、すごいリズムで雨だれが起こっていて、
その音は本当に神さまを感じるようなものだった。
雨の音をあんなに心にしみて感じたことはない。
ジェームス・タレルの「Backside of the Moon」という作品が
中にあるんだけど、真っ暗真っ暗の中で目がなれてくると、
ぼんやりと切り取られた世界が見えてきて、
影の中にも光があることを感じることが出来る仕掛け。
哲学だなあ、言い様だなあ。これは。
美しいかといえば、そんなことはないだけど、
確かに体感したことはない感覚で、ありがたい感じがしてしまう。
でも、なあ、微妙。
2009年10月22日木曜日
本当に神様はいるぞ「護王神社/杉本博司」@直島
江戸時代から祀られている本村という集落の
神社が老朽化したため、杉本博司が設計。
なんかまだまだ白木で新しく、そこに神様?って
感じだったんだけど、いやいや、むしろだからこそ
神様の居場所としてありがたいのだ、と後で思う。
考えてみれば、伊勢神宮とかもいつもいつもフレッシュ。
古いものに神様があるという考え方もあれば、
神様を祀るからこそ、新しくてキレイでよいという
考え方もある。なんか切り立ての樹だから妙に生気があって、
ある意味生々しい。どろっとした妖気。
本殿と地下にある石室をつなぐガラス階段は、
外にいた神様がやすらぐために、石室に入ることが
出来るかのように浮かび上がる。
すごいなあ、ロマンだなあ。神話だなあ。
石室の石とかも、本当に力がある。まさにパワーストーン。
どっかから超巨大な石を運んできて、くりぬいたらしい。
神社の床下にある、そんな石室に、入れるという
ふとどきな企画なのだけれど、細い細いコンクリートトンネルを
抜けると、真っ暗な中に透明な階段を透けて漏れる外明かりが
石室をぼんやりと照らす。そこは神様の居場所。まさに。
なんか、たくさん、たくさん、願った。
これは叶うと思った、リアルに神様を感じた。
で、出るときに、再び驚き。さっきのトンネルが額縁になり
海だけが切り取られている。まさに、リアル海景。
それは、神様の生きた?時代とまったく変わらない景色。
人と切り離された、けがれない世界。
神秘体験をさせていただいた。すさまじい現代アート。
タブーとかないのな。それで体験できるのが本当によい。
神社が老朽化したため、杉本博司が設計。
なんかまだまだ白木で新しく、そこに神様?って
感じだったんだけど、いやいや、むしろだからこそ
神様の居場所としてありがたいのだ、と後で思う。
考えてみれば、伊勢神宮とかもいつもいつもフレッシュ。
古いものに神様があるという考え方もあれば、
神様を祀るからこそ、新しくてキレイでよいという
考え方もある。なんか切り立ての樹だから妙に生気があって、
ある意味生々しい。どろっとした妖気。
本殿と地下にある石室をつなぐガラス階段は、
外にいた神様がやすらぐために、石室に入ることが
出来るかのように浮かび上がる。
すごいなあ、ロマンだなあ。神話だなあ。
石室の石とかも、本当に力がある。まさにパワーストーン。
どっかから超巨大な石を運んできて、くりぬいたらしい。
神社の床下にある、そんな石室に、入れるという
ふとどきな企画なのだけれど、細い細いコンクリートトンネルを
抜けると、真っ暗な中に透明な階段を透けて漏れる外明かりが
石室をぼんやりと照らす。そこは神様の居場所。まさに。
なんか、たくさん、たくさん、願った。
これは叶うと思った、リアルに神様を感じた。
で、出るときに、再び驚き。さっきのトンネルが額縁になり
海だけが切り取られている。まさに、リアル海景。
それは、神様の生きた?時代とまったく変わらない景色。
人と切り離された、けがれない世界。
神秘体験をさせていただいた。すさまじい現代アート。
タブーとかないのな。それで体験できるのが本当によい。
2009年10月18日日曜日
人が住む気配に刻まれる時間「角屋/宮島達男」@直島
当日は豪雨。もう雨雨雨。ザーッと音がすごい。
街中でアート作品をみつけて入る直島。
ほんと突然に出てくるし、町並みに潜んでいる。
素晴らしい。
見つけた古民家に入ると、家の居間に暗い暗いプールが。
その水のなかに沈む、例の1〜9までのデジタルカウンター。
島民の人が、そのテンポをそれぞれに決めたらしい。
めちゃくちゃ早いものから、めちゃくちゃ遅いものまで。
宮島さんの作品って、すごいグッとくる時と
そうじゃない時が激しいんだけど、やっぱりなんとなく
時間軸を人間が分かりやすく感じる時に気持ちに入る。
なんかこの日は雨の音が妙に今の時間を際立たせていて
その今の時間と、今までに刻んできている歴史的な時間を感じた。
しみた。
あとは、たまに水面がゆらりと揺れるのね。意図せずに。
それが、また、人をくらりと翻弄するようで、
命をグラリと揺さぶるようで、普段は見えない時の流れを
意識することが出来た。
生活に潜ませるアート作品は、心に効く。
街中でアート作品をみつけて入る直島。
ほんと突然に出てくるし、町並みに潜んでいる。
素晴らしい。
見つけた古民家に入ると、家の居間に暗い暗いプールが。
その水のなかに沈む、例の1〜9までのデジタルカウンター。
島民の人が、そのテンポをそれぞれに決めたらしい。
めちゃくちゃ早いものから、めちゃくちゃ遅いものまで。
宮島さんの作品って、すごいグッとくる時と
そうじゃない時が激しいんだけど、やっぱりなんとなく
時間軸を人間が分かりやすく感じる時に気持ちに入る。
なんかこの日は雨の音が妙に今の時間を際立たせていて
その今の時間と、今までに刻んできている歴史的な時間を感じた。
しみた。
あとは、たまに水面がゆらりと揺れるのね。意図せずに。
それが、また、人をくらりと翻弄するようで、
命をグラリと揺さぶるようで、普段は見えない時の流れを
意識することが出来た。
生活に潜ませるアート作品は、心に効く。
2009年10月6日火曜日
地中だから光を感じる「地中美術館」@直島
まったく建物の姿が見えない地中美術館。
中に入っていくと、広がる安藤忠雄ゾーン。
自然の中にある、この人の建築は本当に美しい。
やっぱり、コンクリートの壁の向こうにあるものは
断然の自然であるからこそ、あのつるつるコンクリートが
映えるのだといつもいつも思う。東京のは嫌い。
そして、ぐるぐると回る回廊や、斜めに傾いた壁、
自分の目線の部分だけが切り取られた壁など、
様々な形で自分の感覚が日常から剥ぎ取られていく。
そして、なんだか自分の感性がリフレッシュした先に
美術作品が。暗い闇の先に、光が冴える作家のわずかばかりの
作品が贅沢に展示。どれも身体まるごと浸る形のもの。
クロード・モネの睡蓮は、白い壁と白いタイルに囲まれた
真っ白な部屋に掲げられ、絵からあふれ出す色を体感できる。
絵のふちが空間に溶け出して、自分がそこにぐいっと吸い込まれる
不思議な気持ち。空気そのものが、絵に支配されていく。
それから、ジェームス・タレル。オープン・スカイは相変わらず
見たことあるはずの空の青を、まったく見たこともない澄んだ青に
変えてくれる。
もうひとつのオープンフィールドは、光の中に身体を沈めていく
ような作品で、夕焼けのような真っ赤な光に、突っ込んでいく、
自分の身体もこんな光の粒粒で出来ていて、溶け込んで気持ちがいい
そんな未知の実体験が出来た。
なにより、写真とまったく違って、行ってよかったと思ったのは
ウオルター・デ・マリア。バカデカイ黒い玉のある巨大な部屋の
周囲には27体の金箔の塗られた彫刻が整然と並んでいる。
そして、空が抜けている。空の光は刻々と変わり、玉に映る金色も
空色も一時も止まっていない。
そして、全体が大きな階段で出来ている。登ったり下ったり。
座ったり、立ったり。時間の流れをひしひしと自分の中で
くっきりと感じることのできる神々しい皮膚感覚。
あんまり聖的なものって感じないんだけど、もうちょっと泣きそうだった。
神様、いるなあと思った。
あとは、この今という時間は、昔とも未来ともつながっているなあと
センチメンタルな気持ちになった。
地中から出ると、そこにあったのは水平線だった。
また、これが、時間を感じる、
昔昔の地下から今、この瞬間が過ぎる地表に出たのに、
昔から変わらない水平線が見えるっていうあたりのロマン。
すばらしいです。
中に入っていくと、広がる安藤忠雄ゾーン。
自然の中にある、この人の建築は本当に美しい。
やっぱり、コンクリートの壁の向こうにあるものは
断然の自然であるからこそ、あのつるつるコンクリートが
映えるのだといつもいつも思う。東京のは嫌い。
そして、ぐるぐると回る回廊や、斜めに傾いた壁、
自分の目線の部分だけが切り取られた壁など、
様々な形で自分の感覚が日常から剥ぎ取られていく。
そして、なんだか自分の感性がリフレッシュした先に
美術作品が。暗い闇の先に、光が冴える作家のわずかばかりの
作品が贅沢に展示。どれも身体まるごと浸る形のもの。
クロード・モネの睡蓮は、白い壁と白いタイルに囲まれた
真っ白な部屋に掲げられ、絵からあふれ出す色を体感できる。
絵のふちが空間に溶け出して、自分がそこにぐいっと吸い込まれる
不思議な気持ち。空気そのものが、絵に支配されていく。
それから、ジェームス・タレル。オープン・スカイは相変わらず
見たことあるはずの空の青を、まったく見たこともない澄んだ青に
変えてくれる。
もうひとつのオープンフィールドは、光の中に身体を沈めていく
ような作品で、夕焼けのような真っ赤な光に、突っ込んでいく、
自分の身体もこんな光の粒粒で出来ていて、溶け込んで気持ちがいい
そんな未知の実体験が出来た。
なにより、写真とまったく違って、行ってよかったと思ったのは
ウオルター・デ・マリア。バカデカイ黒い玉のある巨大な部屋の
周囲には27体の金箔の塗られた彫刻が整然と並んでいる。
そして、空が抜けている。空の光は刻々と変わり、玉に映る金色も
空色も一時も止まっていない。
そして、全体が大きな階段で出来ている。登ったり下ったり。
座ったり、立ったり。時間の流れをひしひしと自分の中で
くっきりと感じることのできる神々しい皮膚感覚。
あんまり聖的なものって感じないんだけど、もうちょっと泣きそうだった。
神様、いるなあと思った。
あとは、この今という時間は、昔とも未来ともつながっているなあと
センチメンタルな気持ちになった。
地中から出ると、そこにあったのは水平線だった。
また、これが、時間を感じる、
昔昔の地下から今、この瞬間が過ぎる地表に出たのに、
昔から変わらない水平線が見えるっていうあたりのロマン。
すばらしいです。
2009年9月16日水曜日
光るモノが好き「WHITE/鈴木理策」@ギャラリー小柳
どうやら、きらきらするものとか
光るものが好きなのだと気付き始めた最近。
とにかくアートでも光をテーマにしたものに
ぐっと心を惹かれることが多い。
雪をテーマにした真っ白な写真は光に満ちている。
その白い色は、雪そのままを見ても感じることができず
写真になった瞬間に出てくる色で、この人のそういう類の
色はいつもいつも感心する。
なんだかピュアなのだ。
そぎ落とされたすっきりした色を感じることができる。
そういうのがあるから、写真にする意味があるんだと思う。
雪だけを撮っているのに、なぜか崇高な感覚さえあるのは
世界を違って見せてくれて嬉しくなる。
そこに、ほんの少し見える緑の生き生きと生ける姿。
その緑のフレッシュさ、命の力。不思議。
結果として、地球ってピカピカで、そこにある自然は透明で、
生きる命はミラクルだと、静かに静かに
感じることのできる写真たちだった。
ふと見た色は、目に映る以上で、心に残ることがあり
そんな景色を見事に写真に残すことができる写真家が
うらやましい。
光るものが好きなのだと気付き始めた最近。
とにかくアートでも光をテーマにしたものに
ぐっと心を惹かれることが多い。
雪をテーマにした真っ白な写真は光に満ちている。
その白い色は、雪そのままを見ても感じることができず
写真になった瞬間に出てくる色で、この人のそういう類の
色はいつもいつも感心する。
なんだかピュアなのだ。
そぎ落とされたすっきりした色を感じることができる。
そういうのがあるから、写真にする意味があるんだと思う。
雪だけを撮っているのに、なぜか崇高な感覚さえあるのは
世界を違って見せてくれて嬉しくなる。
そこに、ほんの少し見える緑の生き生きと生ける姿。
その緑のフレッシュさ、命の力。不思議。
結果として、地球ってピカピカで、そこにある自然は透明で、
生きる命はミラクルだと、静かに静かに
感じることのできる写真たちだった。
ふと見た色は、目に映る以上で、心に残ることがあり
そんな景色を見事に写真に残すことができる写真家が
うらやましい。
2009年7月26日日曜日
「L_B_S/名和晃平」@メゾンエルメス
名和さんといえば、粒粒ビーズなんだけど、
「L_B_S」はLiquid、Beads、Scumの頭文字を取ったものらしい。
beadsは、よく見た粒粒ビーズ。今回が鹿がまるごと粒粒に
覆われている。なんか表面が溶け出して、空気とのヘリが
変化しているみたいで、妙に気持ち悪い。いい意味で。
こんな感覚になったことは、名和さんのを見てて初めてで
やはりフルフィギュアだと見る方の感じ方も変わるなあと思った。
ちょっとジョジョみたいな、北斗の拳的な形の変わり方ね。
で、Scumはこんなことらしい。(人の文章から抜粋)
ビーズで覆うPixCellシリーズの作品になりえなかった素材の表面に、
ポリウレタン樹脂を特殊な手法で吹き付けて制作されるという
Villus(柔毛の表皮)は、ビーズのように透明感のある素材と違い、
内部のモノはまったく見えない。
その輪郭から「仏像」あるいは「手榴弾」かな、と推測はできるが、
内部にその物体が本当に入っているのかわからない。
それは、「仏像かもしれない」し、「手榴弾かもしれない」。
一様に同じ皮膜(Villus)をまとったモノたちは、
視覚的な形状からのみ、個性を主張する。
ふわふわした皮膜を一枚かぶるだけで
物の個性というのは、ここまで失われるのかと、
ちょっと意外にも思う感じ。
たしかに影絵とかでも、はっきり分かるものって意外にない。
モノは、今ある形の輪郭をしっかりと持ってこそ
はじめて認識ができるものなんだなあと思った。
細部までちゃんと、そのものであることが大事とは
身につまされる感じがした。
で、Liquid。シリコンオイルに耐えることなく
泡が生まれては消え、生まれたは消える。
形ができては失われていくその連続を見つめていると
気が狂いそうになる。
なんかもこもこもこもこ生まれてくるのって
ゾンビみたいな感じがして、妙にざわざわする。
命が半端な形に、おもちゃに作られている感じは
勝手にこっちが思ったことだけど、そんな吐き気がした。
いい意味で。
「L_B_S」はLiquid、Beads、Scumの頭文字を取ったものらしい。
beadsは、よく見た粒粒ビーズ。今回が鹿がまるごと粒粒に
覆われている。なんか表面が溶け出して、空気とのヘリが
変化しているみたいで、妙に気持ち悪い。いい意味で。
こんな感覚になったことは、名和さんのを見てて初めてで
やはりフルフィギュアだと見る方の感じ方も変わるなあと思った。
ちょっとジョジョみたいな、北斗の拳的な形の変わり方ね。
で、Scumはこんなことらしい。(人の文章から抜粋)
ビーズで覆うPixCellシリーズの作品になりえなかった素材の表面に、
ポリウレタン樹脂を特殊な手法で吹き付けて制作されるという
Villus(柔毛の表皮)は、ビーズのように透明感のある素材と違い、
内部のモノはまったく見えない。
その輪郭から「仏像」あるいは「手榴弾」かな、と推測はできるが、
内部にその物体が本当に入っているのかわからない。
それは、「仏像かもしれない」し、「手榴弾かもしれない」。
一様に同じ皮膜(Villus)をまとったモノたちは、
視覚的な形状からのみ、個性を主張する。
ふわふわした皮膜を一枚かぶるだけで
物の個性というのは、ここまで失われるのかと、
ちょっと意外にも思う感じ。
たしかに影絵とかでも、はっきり分かるものって意外にない。
モノは、今ある形の輪郭をしっかりと持ってこそ
はじめて認識ができるものなんだなあと思った。
細部までちゃんと、そのものであることが大事とは
身につまされる感じがした。
で、Liquid。シリコンオイルに耐えることなく
泡が生まれては消え、生まれたは消える。
形ができては失われていくその連続を見つめていると
気が狂いそうになる。
なんかもこもこもこもこ生まれてくるのって
ゾンビみたいな感じがして、妙にざわざわする。
命が半端な形に、おもちゃに作られている感じは
勝手にこっちが思ったことだけど、そんな吐き気がした。
いい意味で。
田舎もんとは思われたくない!「エカテリーナ2世の4大ディナーセット」@東京都庭園美術館
こんな展示。
女帝エカテリーナ2世(1729-1796)の時代、
ロシア宮廷では君主の威厳と崇高さを演出する工夫が
様々に試みられました。
女帝は衣食住にわたって「エルミタージュ・エチケット」
と呼ばれる礼儀作法を厳格に規定し、宮廷儀礼の形成に
大きな影響を与えました。
文化的な成熟度を内外にアピールする場でもあった晩餐会では、
その場を構成する全てがひとつの芸術と見なされ、
料理はもちろん、テーブルセッティングや室内装飾、
列席者の衣装に至るまで、当時最高の質と内容が求められていました。
女帝は特別な招待客のために、西欧各国の王立窯や最新の窯に
特別なディナー・ウェアを発注し、卓上を豪奢かつ華麗に彩らせました。
当時たいへん貴重であった白く輝く磁器を贅沢に使用した晩餐会は、
女帝の財力や権勢を誇示する絶好の機会でもあったからです。
本展では、日本初公開となる
ベルリン王立窯の《ベルリン・デザート・セルヴィス》や、
愛人ポチョムキン公のために注文された
セーヴル窯の《カメオ・セルヴィス》など、
エルミタージュ美術館の所蔵品より
4つのディナー・セットのコレクションを選び、
女帝エカテリーナ2世の生涯と
華麗なる18世紀ロシア宮廷生活をご紹介します。
ひとつひとつに意味があるものっていいなあといつも思う。
ベースの知識があるから理解できるウイットって憧れる。
この食器にトルコ人がいるのは、
トルコ人を支配下にいれたお祝いだからとか
この食器に描かれているのは、憧れていた最先端のイギリスの景色だとか
いちいち生活にストーリーがある美しさ。いいなあ、豊かだなあ。
相手のことをどこまでも思いながら、とにかく田舎もんロシアが
ヨーロッパの国と対等に思ってもらいたくてもらいたくて
恋焦がれて、作っていった食器の数々はよい意味での
怨念がこもっていて、熱をおびていた。
もちろん、やっぱりいもっぽさが残るのは、どうしようもないんだけど。
なんだろう、どうしても、ごてごてしていくんだよねえ。
田舎の都会ナイズは。
引き算ができない。怖くて。
足して足して、まだ足りないと、足していく。都会っぽさを。
で、結果、田舎っぽく戻っていくという滑稽さ。
我が身を思うわ。
あとは、デザインの王道はやはり自然を煮詰めていくことで
今でも残り、きちんと戦うことができているのは、
花を死ぬ程見つめ直したデザインだったりするから面白い。
人間が生み出すことができる想像力の限界ってあるなあ。
自然のなかにしかない無限の線のあり方が生み出す
徹底的な美しさは不思議と心に残る。
庭では、しきりに鳩がキスしてた。あんなに動かずに
いちゃいちゃしてる鳩をはじめて見て驚いた。
女帝エカテリーナ2世(1729-1796)の時代、
ロシア宮廷では君主の威厳と崇高さを演出する工夫が
様々に試みられました。
女帝は衣食住にわたって「エルミタージュ・エチケット」
と呼ばれる礼儀作法を厳格に規定し、宮廷儀礼の形成に
大きな影響を与えました。
文化的な成熟度を内外にアピールする場でもあった晩餐会では、
その場を構成する全てがひとつの芸術と見なされ、
料理はもちろん、テーブルセッティングや室内装飾、
列席者の衣装に至るまで、当時最高の質と内容が求められていました。
女帝は特別な招待客のために、西欧各国の王立窯や最新の窯に
特別なディナー・ウェアを発注し、卓上を豪奢かつ華麗に彩らせました。
当時たいへん貴重であった白く輝く磁器を贅沢に使用した晩餐会は、
女帝の財力や権勢を誇示する絶好の機会でもあったからです。
本展では、日本初公開となる
ベルリン王立窯の《ベルリン・デザート・セルヴィス》や、
愛人ポチョムキン公のために注文された
セーヴル窯の《カメオ・セルヴィス》など、
エルミタージュ美術館の所蔵品より
4つのディナー・セットのコレクションを選び、
女帝エカテリーナ2世の生涯と
華麗なる18世紀ロシア宮廷生活をご紹介します。
ひとつひとつに意味があるものっていいなあといつも思う。
ベースの知識があるから理解できるウイットって憧れる。
この食器にトルコ人がいるのは、
トルコ人を支配下にいれたお祝いだからとか
この食器に描かれているのは、憧れていた最先端のイギリスの景色だとか
いちいち生活にストーリーがある美しさ。いいなあ、豊かだなあ。
相手のことをどこまでも思いながら、とにかく田舎もんロシアが
ヨーロッパの国と対等に思ってもらいたくてもらいたくて
恋焦がれて、作っていった食器の数々はよい意味での
怨念がこもっていて、熱をおびていた。
もちろん、やっぱりいもっぽさが残るのは、どうしようもないんだけど。
なんだろう、どうしても、ごてごてしていくんだよねえ。
田舎の都会ナイズは。
引き算ができない。怖くて。
足して足して、まだ足りないと、足していく。都会っぽさを。
で、結果、田舎っぽく戻っていくという滑稽さ。
我が身を思うわ。
あとは、デザインの王道はやはり自然を煮詰めていくことで
今でも残り、きちんと戦うことができているのは、
花を死ぬ程見つめ直したデザインだったりするから面白い。
人間が生み出すことができる想像力の限界ってあるなあ。
自然のなかにしかない無限の線のあり方が生み出す
徹底的な美しさは不思議と心に残る。
庭では、しきりに鳩がキスしてた。あんなに動かずに
いちゃいちゃしてる鳩をはじめて見て驚いた。
2009年7月9日木曜日
巨大一点もの「流れる水/塩田千春」@発電所美術館
その昔、水力発電所だった場所を美術館に変えた
とんでもなく豪華な空間が富山にあって、
そこで塩田千春さんがインスタレーションをやるという
またまた期待がふくらむ、キャスティング。
他には常設も何もないんだけど、とにかく行ってみた。
すごかった。
何せ、この発電所美術館が持つ磁場がすごい。
もはやスケール感が日本ではない。なんかちまちましてない。
せこくない。どーんとしてる。
だから、訪れた方も、ただただゆったりしたキモチになれる。
ヨーロッパみたい、富山なのに。
河岸段丘っていう地理で習った懐かしい地形を利用した
水力発電所の内部空間がまるごと美術館。
ものすごい天井高のところに、吊られ、ひしめいている、
病院のベッド。「命の水」というテーマで作られた作品は、
そのベッドでつくられた川にもみえるオブジェに、
大量の水がジャージャーと降り注ぐ。
そのザーという音が無機質な空間に響き渡って、
心の中をざわつかせる。
命の源の音でもあるし、
不安になったときに聞く音でもあるし、
ひんやりと落ち着く音でもある。
オブジェにはねる水、つたう水、落ちる水、
すべてが血のようにも見えて、
命が連綿とつながって、時間をつむいでいく様。
キレイにはまるインスタレーションって滅多にみないんだけど
ここのはすごかった。いやあ、すさまじかった。
何も観光地のような場はないけれど
それに喫茶店とかも、なんかよい。
豊かにゆっくりと静かに落ち着きを取り戻せる、
そんな空間。
ただ、窓が開いている。風が吹き抜ける。
ゆっくりと陽が傾く、時間を感じる。
そういう感覚も大事じゃないのかと思う。
とんでもなく豪華な空間が富山にあって、
そこで塩田千春さんがインスタレーションをやるという
またまた期待がふくらむ、キャスティング。
他には常設も何もないんだけど、とにかく行ってみた。
すごかった。
何せ、この発電所美術館が持つ磁場がすごい。
もはやスケール感が日本ではない。なんかちまちましてない。
せこくない。どーんとしてる。
だから、訪れた方も、ただただゆったりしたキモチになれる。
ヨーロッパみたい、富山なのに。
河岸段丘っていう地理で習った懐かしい地形を利用した
水力発電所の内部空間がまるごと美術館。
ものすごい天井高のところに、吊られ、ひしめいている、
病院のベッド。「命の水」というテーマで作られた作品は、
そのベッドでつくられた川にもみえるオブジェに、
大量の水がジャージャーと降り注ぐ。
そのザーという音が無機質な空間に響き渡って、
心の中をざわつかせる。
命の源の音でもあるし、
不安になったときに聞く音でもあるし、
ひんやりと落ち着く音でもある。
オブジェにはねる水、つたう水、落ちる水、
すべてが血のようにも見えて、
命が連綿とつながって、時間をつむいでいく様。
キレイにはまるインスタレーションって滅多にみないんだけど
ここのはすごかった。いやあ、すさまじかった。
何も観光地のような場はないけれど
それに喫茶店とかも、なんかよい。
豊かにゆっくりと静かに落ち着きを取り戻せる、
そんな空間。
ただ、窓が開いている。風が吹き抜ける。
ゆっくりと陽が傾く、時間を感じる。
そういう感覚も大事じゃないのかと思う。
2009年6月19日金曜日
ぼんやりと光る「project N 阿部岳史」@東京オペラシティアートギャラリー
東京オペラシティアートギャラリーの若手紹介プロジェクトは
意外と外さない。というか趣味が合うらしい。
結構いいなあ、この人。欲しいなあと思うことが多くて、
高木紗恵子さんとかもここでやっている。
たぶん結構自然光が入って明るい通路みたいな空間なので
自分自身が好きな色が出やすいんだと思う。
明るくてぱっとして、それでいてべたべたしない、
さらっとぱきっとした、気持ちを押し出す色たち。
今回の阿部さんは、単色の小さなブロックをたくさん
配置して、離れてみるととあるぼんやりした景色が
浮かび上がってくるという色彩分割みたいな考え方を
現代版でやっている人。(だと思う)
まあ、この人の今まで作ってきたものを全部見たわけでは
ないけれども、ほどよい今の距離感だなあと思って
面白かった。
思い出せないわけでもないけれど、
はっきりと思い出せるわけでもない、
そんな大切な時間とか仲間とかの瞬間が頭の中であいまいに
積み上げられていく。で、暗く沈まない。
ぼんやりはしているものの、間違いなくそのものとして光る。
思い出と呼ばれるものの、そのよさ。
見えないから暗くなるのではなく、ちょっとした瞬間を
つないでいくだけでも結構明るい空間が光っている。
人生は誰にとっても捨てたもんじゃないと思わせてくれる
毎日のワンシーンから抽出した色たち。
時間はいつも光っていて、何かの景色をぼんやりと
とどめながら、あのシーンにもかのシーンにも見える
リアルな思い出を違った形で体感できる絵だった。
意外と外さない。というか趣味が合うらしい。
結構いいなあ、この人。欲しいなあと思うことが多くて、
高木紗恵子さんとかもここでやっている。
たぶん結構自然光が入って明るい通路みたいな空間なので
自分自身が好きな色が出やすいんだと思う。
明るくてぱっとして、それでいてべたべたしない、
さらっとぱきっとした、気持ちを押し出す色たち。
今回の阿部さんは、単色の小さなブロックをたくさん
配置して、離れてみるととあるぼんやりした景色が
浮かび上がってくるという色彩分割みたいな考え方を
現代版でやっている人。(だと思う)
まあ、この人の今まで作ってきたものを全部見たわけでは
ないけれども、ほどよい今の距離感だなあと思って
面白かった。
思い出せないわけでもないけれど、
はっきりと思い出せるわけでもない、
そんな大切な時間とか仲間とかの瞬間が頭の中であいまいに
積み上げられていく。で、暗く沈まない。
ぼんやりはしているものの、間違いなくそのものとして光る。
思い出と呼ばれるものの、そのよさ。
見えないから暗くなるのではなく、ちょっとした瞬間を
つないでいくだけでも結構明るい空間が光っている。
人生は誰にとっても捨てたもんじゃないと思わせてくれる
毎日のワンシーンから抽出した色たち。
時間はいつも光っていて、何かの景色をぼんやりと
とどめながら、あのシーンにもかのシーンにも見える
リアルな思い出を違った形で体感できる絵だった。
はかりしれない女子力「女たち」@東京オペラシティアートギャラリー
こんな展示
「一人の収集家の視点から」
本展は東京オペラシティコレクションの中から
多様な女性像を展示し、そこから見えてくるものを
浮かび上がらせる試みです。
当館には舟越保武や長谷川潔などの作品をはじめ
多くの女性像が収められていますが、
あらためて女性をモティーフにした作品という切り口で
作品を集めてみると、そこには当コレクションを収集した
寺田小太郎氏の個性が色濃く映し出されていることが
わかるでしょう。
わかる気がした。本当は違うかもしれないけど、
えらく女性に畏怖と尊敬をもっている人だなあと思った。
コレクションの女子がみんな本当にこの世のものとは
思われない怖さ。ほんとぞくぞくする、ほとんどお化け。
男子にははかりしれない神秘的な感じがびっしり。
永遠にわかりえないわなあ、女子の深遠は…
と妙な納得感はあったものの、空間としては落ち着かない。
なんで集めようと思ったのか、まったく謎。
家に置いておいたら、絶対変なものをおびきよせることに
なるってと思わざるを得ない底知れない負のオーラ。
こういう面があるから、人の命を生み出せる機能が
女子には備わっているんだとは思うけど、
ダークな、どろどろとした、血をもてあそぶ、
ある意味では超力強い女子力を全開にして
お届け中でした。まったく落ち着かない。
普通にきらきらぴかぴか可愛い女子が好みな
わたくしとしては、どうにもひかれる作品は見当たらず。
なんだか疲れた展示でした。
でも、好きな人は、本当にずばっとくるんだと思う。
まったくぶれないスタンスはすばらしいなあと感嘆。
拍手。
「一人の収集家の視点から」
本展は東京オペラシティコレクションの中から
多様な女性像を展示し、そこから見えてくるものを
浮かび上がらせる試みです。
当館には舟越保武や長谷川潔などの作品をはじめ
多くの女性像が収められていますが、
あらためて女性をモティーフにした作品という切り口で
作品を集めてみると、そこには当コレクションを収集した
寺田小太郎氏の個性が色濃く映し出されていることが
わかるでしょう。
わかる気がした。本当は違うかもしれないけど、
えらく女性に畏怖と尊敬をもっている人だなあと思った。
コレクションの女子がみんな本当にこの世のものとは
思われない怖さ。ほんとぞくぞくする、ほとんどお化け。
男子にははかりしれない神秘的な感じがびっしり。
永遠にわかりえないわなあ、女子の深遠は…
と妙な納得感はあったものの、空間としては落ち着かない。
なんで集めようと思ったのか、まったく謎。
家に置いておいたら、絶対変なものをおびきよせることに
なるってと思わざるを得ない底知れない負のオーラ。
こういう面があるから、人の命を生み出せる機能が
女子には備わっているんだとは思うけど、
ダークな、どろどろとした、血をもてあそぶ、
ある意味では超力強い女子力を全開にして
お届け中でした。まったく落ち着かない。
普通にきらきらぴかぴか可愛い女子が好みな
わたくしとしては、どうにもひかれる作品は見当たらず。
なんだか疲れた展示でした。
でも、好きな人は、本当にずばっとくるんだと思う。
まったくぶれないスタンスはすばらしいなあと感嘆。
拍手。
2009年6月14日日曜日
体温のなさとクール「東恩納裕一展」@美術画廊X
ギャルソンにある蛍光灯で出来たシャンデリアとかで
ちょこっと知ってただけなんだけど、固めていくつか
作品を見ることができて、はじめて概観した。
写真にしても、ペイントにしても、まあとにかく体温がない。
これは、喜んでいるのか?病んでいるのか?泣いているのか?
感情がまったく透けてみえない。不思議なもので。
だからかもしれないが、ちょっとやそっとのことでは
ぐらつかないぞというクールさにもつながる気がする。
今までかっこいいと思ったことなかったんだけど、
はじめてシャンデリアは欲しいと思ってしまった。
ただ、美しいと気持ちが落ち着くものはなく、
やっぱり現代のこの居心地の悪さを肌感覚に訴えて
再現すらしていこうという意味で、
すごくうまいものなのだろうと思う。
何一つ、気持ちが落ち着くものがないっていうのは
素晴らしく骨が折れることで、
しかも美しいという縛りがあったら
たぶん落としどころは、どうしようもないほど
難しいに違いなくて、ご飯のたべるのは大変だろう。
生きるためには仕事にならないといけない。
忘れられない。忘れない。
ちょこっと知ってただけなんだけど、固めていくつか
作品を見ることができて、はじめて概観した。
写真にしても、ペイントにしても、まあとにかく体温がない。
これは、喜んでいるのか?病んでいるのか?泣いているのか?
感情がまったく透けてみえない。不思議なもので。
だからかもしれないが、ちょっとやそっとのことでは
ぐらつかないぞというクールさにもつながる気がする。
今までかっこいいと思ったことなかったんだけど、
はじめてシャンデリアは欲しいと思ってしまった。
ただ、美しいと気持ちが落ち着くものはなく、
やっぱり現代のこの居心地の悪さを肌感覚に訴えて
再現すらしていこうという意味で、
すごくうまいものなのだろうと思う。
何一つ、気持ちが落ち着くものがないっていうのは
素晴らしく骨が折れることで、
しかも美しいという縛りがあったら
たぶん落としどころは、どうしようもないほど
難しいに違いなくて、ご飯のたべるのは大変だろう。
生きるためには仕事にならないといけない。
忘れられない。忘れない。
時代とビビッドに生きる「マティスの時代」@ブリヂストン美術館
決してひとりで生きているわけではなく
確実に世の中の流れの中で生きていることを
いち早く感じて、自分の主義やスタイルを貪欲に
変えていける強さこそが「大成」するということだろうと思う。
唯我独尊なんか、いらない。
多くの人が進む方向にしっかりと見つつ、寄せていける。
現在のアーティストには、そんな商売っ気も必要なんだろう。
マティスとフォーヴィズムの出現
フォーヴの仲間たち
親密なあるいは曖昧な空間
色とかたちの純粋化
そんな流れで展示は展開。あまりしっかりしたマティスの絵はなく
あくまでも「マティスの時代」という看板に偽りない展示。
並べてみると、ズラリと時代を越えた画家たちが。
最近、妙にルオーが大好き。世の中は、むしろ変えたいのだろう。
特に、ルオーのエルサレムとかのゴツゴツした中に色がマーブルに
眠る感じにたまらない深さを感じる。
常設展では、
安井會太郎の超モダンなデザイン画がよかった。
ちいさなサイズが壁面に並んでいく。そのリズムに打たれた。
確実に世の中の流れの中で生きていることを
いち早く感じて、自分の主義やスタイルを貪欲に
変えていける強さこそが「大成」するということだろうと思う。
唯我独尊なんか、いらない。
多くの人が進む方向にしっかりと見つつ、寄せていける。
現在のアーティストには、そんな商売っ気も必要なんだろう。
マティスとフォーヴィズムの出現
フォーヴの仲間たち
親密なあるいは曖昧な空間
色とかたちの純粋化
そんな流れで展示は展開。あまりしっかりしたマティスの絵はなく
あくまでも「マティスの時代」という看板に偽りない展示。
並べてみると、ズラリと時代を越えた画家たちが。
最近、妙にルオーが大好き。世の中は、むしろ変えたいのだろう。
特に、ルオーのエルサレムとかのゴツゴツした中に色がマーブルに
眠る感じにたまらない深さを感じる。
常設展では、
安井會太郎の超モダンなデザイン画がよかった。
ちいさなサイズが壁面に並んでいく。そのリズムに打たれた。
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