宮島さんの作品の前に立つと、いつも浮かぶ
不思議な感覚がある。
ひたすらにカウンターが文字になり
お前は生きてるのか?死んでるのか?考えろ!
え?考えているのか?分かっているのか?
ぼーっと立っていないのか?みたいなことを
問いつめられている感覚だ。
個人的には、考えてそのもののスタンスを知ることは
嫌いではないようだけれど、自分の中に積もるものとしては
とにかくビビッドに自分の心の中に届くかどうかが
大事だったりするので、なかなかなじまないのだ。
分かってて、水戸だ。わざわざの、水戸。
なんか、まだ、最初の方の赤色カウンターのやつは
真っ暗な闇に浮かぶカウンターが脳にずんずん来て
いいんだけど、後半になればなるほど不思議なほど
説教くさい。説明先攻。理屈ありき。
そこからしか出発していなくて、しかも
そこを抜け出していない。
概念ってやつをひたすらにひたすらに考え抜いて
美という領域まで行こうと思うのは、本当に
並大抵のことじゃないんだなあとひしひしと思った。
参加型展示に、自分の志望推定日時を打ち込むと
クリックした瞬間にそのタイマーが逆読みをはじめるって
いうのがあったんだけど、意外と自分の志望年齢を
数字で打ち込むというのは、遊びでも抵抗感があって
これは、アートとして機能してると偉そうに思った。
生活に少しでも変化を!
理屈はあとで!全然いい。
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