外国のカリグラフィと呼ばれるものとか
グラフィティとよばれるものとかを見るたびに
いつも思うのは、圧倒的に日本の勝利だなあということ。
やっぱり、漢字とかなを持っているというのは
こういう文字の美しさとかを使う分野では
もうすさまじく有利なんだな。
レイアウトとか、タッチとか、いろいろと工夫してて
常軌を逸するほどの乱れ方とかを見せるんだけど
もう全然、書の方が深い。
無理せず、美に向かう事ができて、
行き着く先の幽霊さも断然すごい。
でも、残念ながら、すごすぎて全部は受け取れないんだけど。
書の場合。
この人とかも、今、その分野だと第一人者らしいんだけど
ぐっとくるというより、病んだ感じ。
パッと見の印象は、文字の姿形を追求していくというよりは
壊れ方に目がいってしまい、アウトサイダーアートを見ているような
妙な入り込み方をする。
グリーナウエイの映画に参加したりしてる
凄腕なんだけどねえ。
筆とか半紙とか、いいツールを手に入れてたなあと
日本の書の環境も改めて考え直す。
しみたり、はねたり、にじんだり、
そんなことを美しさの中に取り入れるのって
発明だったんだなあ。
今回、これはないと思ったことでいうと、
傷つける、彫り付ける、刻み付ける、みたいな
文字の生み出す、形作る感覚。あれはあまりない。
2008年4月1日火曜日
奇跡マニア「クリエイティブディレクター箭内道彦の漂流」
どこまでが本気か分からない感じが
この人の作る物のいいところで
人間相手にモノを作ってるなあと
いつもいつも感じるところがある。
ひたすらにこの人がいろんなところで
話してきた内容を聞く部屋みたいな場所があって
出入りする人のプチクリエイティブな感じが
面白かった。
ヘッドホンして、ひたすらに箭内さんの言葉を聞く
宗教じみた企画なんだけど
向かい合わせで結構近い距離なのに
挨拶もなしにテープを聞く感じ。
なんか「東京」を感じた。
この距離感で相手を無視するのは、ちょっと都会だ。
奇跡を起こす準備をして、奇跡を待つのが好きという
箭内さんの言葉は非常にグッときた。
準備は大事だ。
何もかもを完璧に準備しまくるということが
それでも時間切れになるのだけれど
だからこそ、見えてくる世界ってあるんだなあ。
あとは、「楽しそう」に見えるように
自分をセルフプロデュースしているというのも、よい。
自分の姿を無理にでも考えていくことは
少しずつ好転させていくきっかけになる。
この人の作る物のいいところで
人間相手にモノを作ってるなあと
いつもいつも感じるところがある。
ひたすらにこの人がいろんなところで
話してきた内容を聞く部屋みたいな場所があって
出入りする人のプチクリエイティブな感じが
面白かった。
ヘッドホンして、ひたすらに箭内さんの言葉を聞く
宗教じみた企画なんだけど
向かい合わせで結構近い距離なのに
挨拶もなしにテープを聞く感じ。
なんか「東京」を感じた。
この距離感で相手を無視するのは、ちょっと都会だ。
奇跡を起こす準備をして、奇跡を待つのが好きという
箭内さんの言葉は非常にグッときた。
準備は大事だ。
何もかもを完璧に準備しまくるということが
それでも時間切れになるのだけれど
だからこそ、見えてくる世界ってあるんだなあ。
あとは、「楽しそう」に見えるように
自分をセルフプロデュースしているというのも、よい。
自分の姿を無理にでも考えていくことは
少しずつ好転させていくきっかけになる。
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