人の好みなのだろうけど、日常の中に潜む
劇場感ばかりを駆り立てようとすると
どうしても、本当の日常の強度に勝たないなあと
そんなことを思う。そんな舞台だった。
どんなに日常を装って、日常に近づこうとすればするほど
遠ざかっているけれど、そんなものばかりが
評価を集めて、世の中に認められていくのは
どうなんだろうか?もっともっと劇的でわざとらしく
大仰に世間をだまして欲しいもんだ。
その勇気とかその気概とか、もうすっかり
失われた時代に生きているってことなんだろうか?
葬式に集まった家族に潜む、人間関係のゆがみ。
距離感、隔絶感、遠慮、嫌悪。
そんなもの、日常の方が圧倒的に切羽詰まる。
空気を再現したところで、再現の強度は低く、
木っ端みじんにくだけ散る。おとなしくないもので
気が狂っているだけではない、完全なる娯楽を
舞台で観たい、と思うとなぜか大きな劇場に向かう。
そういうことかと、かなり寂しい。
登録:
コメント (Atom)