日本画の世界で世襲とかではなく
時代をジャンプして現れる「琳波」の系譜。
「琳波」なんかじゃないと言い切る画家もいつつ
脳裏にしみこんでいくスタイルとかがあることは
絵の世界のいいところだなあと思う。
映像の世界だとどうなるんだろうか?
これから100年とか200年が過ぎていく中で
その映像のスタイルはどの部分が残ってどの部分が消えていき
またどの部分が突然よみがえってくるんだろう?
そもそもテレビの世界って、もっと古典研究とかが
なされてもいいのかもしれないなあとか思ったりした。
昔のモノをぱくるとかじゃなくて、ちゃんと向き合う
過去の偉大なソフトたちを。ムダにしてるんじゃなかろうか?
あとは季節を描いてきた様々なテーマを
日本に住むくせに、ものすごい失い方してるなあと
今回見た菱田春草の月シリーズで思った。断然よかった。
色とか派手じゃなくて、しみいる季節。草たち。じわりな光。
ひとつひとつの季節や唄などのテーマのあり方とか
戦後に失った教養ってものすごいものがあるなあと。
まあ、自分だけかもしれないけど。
ああいう絵のバックにある物語は、戦前の人々は楽しめたんだろうか?
最近、考えてしまう。
菱田春草 月四題
福田平八郎 筍/すすき/桐双雀/彩秋
速水御舟 名樹散椿
東山魁夷 満ち来る潮
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