2008年12月22日月曜日

つながること「琳波から日本画へ」@山種美術館

日本画の世界で世襲とかではなく

時代をジャンプして現れる「琳波」の系譜。

「琳波」なんかじゃないと言い切る画家もいつつ

脳裏にしみこんでいくスタイルとかがあることは

絵の世界のいいところだなあと思う。

映像の世界だとどうなるんだろうか?

これから100年とか200年が過ぎていく中で

その映像のスタイルはどの部分が残ってどの部分が消えていき

またどの部分が突然よみがえってくるんだろう?

そもそもテレビの世界って、もっと古典研究とかが

なされてもいいのかもしれないなあとか思ったりした。

昔のモノをぱくるとかじゃなくて、ちゃんと向き合う

過去の偉大なソフトたちを。ムダにしてるんじゃなかろうか?

あとは季節を描いてきた様々なテーマを

日本に住むくせに、ものすごい失い方してるなあと

今回見た菱田春草の月シリーズで思った。断然よかった。

色とか派手じゃなくて、しみいる季節。草たち。じわりな光。

ひとつひとつの季節や唄などのテーマのあり方とか

戦後に失った教養ってものすごいものがあるなあと。

まあ、自分だけかもしれないけど。

ああいう絵のバックにある物語は、戦前の人々は楽しめたんだろうか?

最近、考えてしまう。

菱田春草 月四題
福田平八郎 筍/すすき/桐双雀/彩秋
速水御舟 名樹散椿
東山魁夷 満ち来る潮