2009年2月18日水曜日

みるとは?「ライト・インサイト」@ICC

光がなきゃ見れないし、

人の目は光をいろんな形でつかまえてるし、

その方法は自分で思っているよりもはるかに

パターン化してて、世界も決まりきったものになっちゃってるんだと

今更ながらにガツンと気づかされる展示で心揺れた。

もともと光にものすごくぐらぐらしやすい体質で

だいたい好きなものは光の感じがうまくコントロールされていて

オラファー・エリアソンとかビル・ヴィオラとか

そういう光が何かを切り裂く瞬間を楽しめるものは当たるんだ。

少ないけど、非常にしびれる、体験満載で本当に素晴らしい。

ちょっと具体的にメモしておこう。

なんだろう?当たり前に自分の身体に寄り添っているものを

びりびりとはがされて、目の前にほうらと放り出されるのが

すさまじい振動を起こすんだろうなあ。


《サンキュウ―インストゥルメント》1995年
インゴ・ギュンター
暗い空間の中で発されるストロボ光を浴びることで,
体験者のシルエットが壁面に一時的に焼き付けられる作品.
人々が無邪気にシルエットと戯れ始めるという開放的な側面を
もつとともに,1945年に広島に原爆が投下された直後の閃光,
そして瞬時のうちに消えてしまった人々の残したシルエット
(ヒロシマの影)を,観客に疑似的に体験させることが
意図されている.
タイトルは,ギュンターによれば,
広島への原爆投下という惨劇があったことが抑止力として働き,
冷戦下において核戦争の危機を回避することが
できたことを意味するという.
「被爆50周年記念展 広島以後」(広島市現代美術館,1995)
にて展示.
本展では,1895年のレントゲンによる放射線の発見が,
それ以降の社会にもたらした
貢献や問題(X線写真,原爆,原発等)を振り返るとともに,
とりわけ20世紀における光を考える上で,
私たちが忘れてはならない原爆投下という事実を
あらためて喚起する.
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正直、日本に住んでいる人間からすると失礼な作品。

何を言われても、人の命が消えた瞬間を痛みもともなわずに

再現するなんて気分が悪い。



《You and I, Horizontal》2006年
アンソニー・マッコール
空間に入ると観客は,光による被膜のような
非物質的な立方体に遭遇する.
この立方体は,微細なミストにプロジェクターからの
光をあてることで実現されたものである.
壁面には,ラインによるドローイングが
見た目には変化がないほどゆっくり描かれ続け,
それが空間においては,次第に形態や空間性を変容させる
三次元の非物質的「彫刻」としてあらわれている.
観客は一種触覚的にも感じられる光の「彫刻」の
内外を自由に行き来することで,
異なる知覚体験に開かれるとともに,
「作品」の一部として「彫刻」
そして空間性に影響を及ぼしていく.
70年代初頭の実験を,
現代の機器によってインスタレーションとして実現.
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これは、すごい。時間をかけていればいるほどすごい。

自分の周りに空間がひらけていくという感覚は

実際に得ることが少ないのだけど、新しい空間認知をゲットできる。

短い時間で出ちゃう人が多くてもったいない。30分はいれる。



《PRINTED EYE(LIGHT)》1987―2008年
藤本由紀夫
体験者が自分の眼に向けて
網膜に弱いストロボ光を発することで,
文字の残像を作品として体験させるもの.
今回は「LIGHT」(光)という言葉が,
光による非物質な体験として体験者それぞれの
網膜上に知覚されることになる.
眼球に直接文字を焼き付けることで成立する,
他者とは共有できないパーソナルな体験としての作品.
藤本は
「眼をとじても,みえてしまい,やがて消えていく文字.
それは音を聴くことににている」と述べている.
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どこにでもついてくる作品というのは珍しく。

こういう人間の身体の仕組みを使い尽くすアイディアは

すごいなと思う。右みても左みても、この人の作品がついてくる。

まさにパーソナル。



《カメラ・ルシーダ:三次元音響観察室》2008年
エヴェリーナ・ドムニチ&ドミートリー・ゲルファンド
暗い空間の中で眼が慣れてくると,
中央にある水で満たされたアクリル性の球体の中に,
音から変換された繊細な光の揺らめきが
微かに見えはじめる作品.
さまざまな周波数の音波群が,
水に含まれる化学的な媒質を通過する際に生じる
「音ルミネセンス」現象
(音波の通過により冷光が発生すること)により,
直接光へと変換され可視化される.
構想段階では科学者にさえ不可能と思われた現象を,
日本,ドイツ,ロシア,ベルギーの科学研究所とともに開発.
タイトルにある「観察室」は,起きているミクロな現象が,
特定のマージナルな状況の時のみ
かろうじて可視化されるものであること,
また計測装置の精度の限界のため,
現象を科学者でさえ把握できないことを意味している.
この作品はまた,
化学と物理,球体の内と外(世界の内外),現象と観察者などを
かつてない方法でつなぎ,相互影響させていく試みでもある.
本展では,音圧他を調整できる最新ヴァージョンを展示.
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いろいろ注意も多いし、待つし、怖いしで、どうしようもないけど

まさにここでしか、しかも混んでない時にしか体験できない。

自然の中にひっそりと潜む消えている美を見つけ出す

スリルと興奮を味わえる。こんなものが隠れる余地があるというだけで

世界はまともだ。