2011年12月1日木曜日

2000年の12月の3日に書いたこと。

こんな話を書いていた。 まだブログもないころだ。
 何かを書きとめておくことは こういうことを思い出せるから楽しい。

 うんこを我慢する

うんこを我慢することがある。
まだ小学校のころから今もう20数年生きてこようとしている今まで
この恐怖は続いている。
おそらくこれからもずっと続くのだろう。

 この恐怖はちょっとした後悔からはじまる。
「どうしてあのとき、いっておかなかったのだろう」 
必ず前兆はあるのだ。
でも急いでいたり、 大丈夫だろうという目算があったりで、
ピットインせずにその場はやめてしまうのだ。 

そして、しばらくして、SOSが発信されて、思うのだ。
「どうしてあのとき、いっておかなかったのだろう」と。 

SOSが発信されると、頭の中で時間計算が行なわれる。
「この感じ、おそらくは2時間とみた」 
この計算が狂うことが多いのだが、
いつもいつも最初はこの計算のもとに 
「だから、あそこのトイレに行けば大丈夫」と
頭の中の都内トイレマップと相談して一人合点するのだ。 
案の定、その10分後にはセカンドステージに突入するのだが…。

セカンドステージは、目算を誤ったことを自覚する瞬間だ。
そういう時に限って、必ず電車とかバスとかどうしようもないところにいるものだ。
頭の中が加速する。あのトイレ、あのトイレ、あのトイレ…。

 そして、サードステージは
「はじめに目をつけたトイレには必ず人が入っている」状況だ。 
待てばいいのに、少し待つと「待ってられるか…」と諦めてしまう。 
これが、さらに状況を悪化させる。もう、脂汗状態に突入である。 

そして、フォースステージは、もう周りは見えなくなる。
なりふり構わず、思いついたトイレに直行する。
一点凝視、脂汗である。 心持、景色も歪んでくる。
蜃気楼のようだ、ああ、うんこしたい…。
そして、ギュッと肛門を引き締めながら、トイレのドアを開ける。

 あった。

 最終ステージ、ここからはコンマ何秒という世界になる。
 ズボンを降ろしながら、 ドアを閉め、 カバンを下ろして、 着席。
 発射。 
安心感から加速する肛門開放スピードと自分の動物的運動能力が
真正面から衝突する瞬間である。
 そして、深く深呼吸する。

 勝利の美酒に酔いしれる。