アーティストである必要とかないと思っちゃう。
断然きれいなものをぶっちぎりで作る特権階級が
アーティストであってほしい。
同じ土俵なんかに立っても、ろくなことはない。
プラスティックカゴでタワーを作ったりとか
ビニール人形をアートだと固めて置いたりとか
どこにでもあるテレビに単色をばきっとはめて
出したりだとか、いろいろ生活の周りのものを
即座にアートに!みたいなものを見せられるんだけど
まあ、ひとことでいえば、ちっともきれいじゃない。
というか、日本人には結構当たり前なのかも。
日常がキッチュであることって。
外国の方々には特殊に見える、やたらに毒々しい
プラスティックの色とかもなじんじゃってるからなあ。
普段の生活のなかで。
あとは、商店街の中にも、ウオーリーを探せみたいに
この人のアートが隠れていて、街全部アートを目指す…
感じなんだけど、正直せつない。
目に入るシーンがまったくコントロールできてなくって
圧倒的に日常の品物が景色の中で勝ちまくるという事態。
本当は、そこだけ花が咲いたようになって
さびれた感じの商店街でも、ぱっと明るくなればいいんだけど
逆に飲み込まれて、寂しさが引き立つという結果に。
うむむ。どうにもならないなあ。仕方ない。
地方の商店街の強烈なオーラを再確認した十和田だった。
2009年6月3日水曜日
ハコが一番かっこいい「十和田市現代美術館」
思った以上に大盛況で、間違いなくデートスポットにも
なっていて、非常にいいなあ、人の輪の中心になってるなあと
感心はしたのだけれど、中にある作品がなんか全部こじんまり。
写真ばえはするんだろうけど、びしっとパンチがない。
作家が本気になるほどはお金がないんだろうなあと
少々さみしくもあり、ホワイトキューブがいくつも
つながるハコものそのものが一番存在感がある気も。
ロン・ミュエクの巨大なおばさんにどーんと迎えてもらって、
ハンス・オプ・デ・ビークの謎の薄暗い高速道路で
きつねにつままれた気持ちになって(ほんと奥行きは謎)
ジム・ランビーのカラフル床とかチェ・ジョンファの花馬とか
マイケル・リンの花床カフェとかでポップを満喫して
スゥ・ドーホーの巨大兵隊シャンデリアにうっとりする。
あとは、なんかなあ。もっとガラガラなら楽しめたかも
という不届きな感想。
作品そのものが小さいハコで用意されているので
あまりにも人があふれてると、もう人しか目に入らない。
人が集まっているのは、いいことなんだけど。
あとはおばちゃんとかが、容赦なく歩きすぎ。
見ようとしないのに、なんかがんがん人の視界を
横切っていく。しかも集団で。
かなしい。
金沢21世紀美術館の、まさに縮小版のような感じだった。
なっていて、非常にいいなあ、人の輪の中心になってるなあと
感心はしたのだけれど、中にある作品がなんか全部こじんまり。
写真ばえはするんだろうけど、びしっとパンチがない。
作家が本気になるほどはお金がないんだろうなあと
少々さみしくもあり、ホワイトキューブがいくつも
つながるハコものそのものが一番存在感がある気も。
ロン・ミュエクの巨大なおばさんにどーんと迎えてもらって、
ハンス・オプ・デ・ビークの謎の薄暗い高速道路で
きつねにつままれた気持ちになって(ほんと奥行きは謎)
ジム・ランビーのカラフル床とかチェ・ジョンファの花馬とか
マイケル・リンの花床カフェとかでポップを満喫して
スゥ・ドーホーの巨大兵隊シャンデリアにうっとりする。
あとは、なんかなあ。もっとガラガラなら楽しめたかも
という不届きな感想。
作品そのものが小さいハコで用意されているので
あまりにも人があふれてると、もう人しか目に入らない。
人が集まっているのは、いいことなんだけど。
あとはおばちゃんとかが、容赦なく歩きすぎ。
見ようとしないのに、なんかがんがん人の視界を
横切っていく。しかも集団で。
かなしい。
金沢21世紀美術館の、まさに縮小版のような感じだった。
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