行き先の見えていない国のメンタルの強さって
すごくアートに出てくるなあ。なんか沸騰する力が。
中国アートがのしてくる瞬間とかも感じたけど
問題の現れ方とか対立の真剣さとか喜びの大きさとか
いちいち振り幅が大きくて、ピュアなんだと思う。
モノになったときの欲求がシンプルでつかみやすいから
美術史の壮大な俯瞰図に置いていく作業の深さが必要じゃない分
(必要なのかもしれないけれど、そうできなくても・・・)
楽しく、様々なチャンネルを次々に刺激されてよい感じ。
バールティ・ケールの倒れた巨像の肌にはびっしりと精子が泳ぎまくり
シルバ・グプタの映像は自分の影に次々にモノが飛んできてくっつく。
うざくて笑える。ドラえもんっぽい実体験。
ヴィヴァン・スンダラムのブリキでできたインドの街の模型は
その屋根がとたんとかブルーシートだったりするのに
照明でキラキラしてて、変に感動した。ここにも光があるなあと。
N・S・ハルシャの椅子は、ひとつひとつが監視員が座ってなんぼなのに
恥ずかしいのかあまり座っていない。ダメだよなあ、つまんない。
美術館が試みからおりちゃってる。
作家の名前忘れちゃったんだけど、巨大なクジャクの頭が床からニョキって
出てるやつも、よく見ると壁紙みたいなテキスタイルで出来てて
おお!こんな風な色つやに見えるのか!と感心したりした。
メモリーという文字の奥に六本木の夜景が見えてキレイだったり。
いくつも心に残るシーンが残った。人に届けという想いの差かな?
登録:
コメント (Atom)