感情が動くという類のお芝居と
圧倒的に美しいという類のパフォーマンスがあって
なんとか生活を潤して欲しいなあと思う場合、
考えさせる以上に何かしら働きかけて欲しいけれど
こちらがひたすらに問い続けないといけない類の
エンゲキが小劇場とか中劇場にはあって
そんな類の出し物だった。大学時代のほぼ同期の
エンゲキさんの公演。ちゃんと観たの、実ははじめてだった。
そういうジャンルと手を放って、コントばっかりやってたから
当たり前なんだけど、10年も経つと、随分依って経つ
ステージが違いすぎて、いいわるいの判断がしがたい。
もうこれは、世界が違う。ジャンルが違う。
彼らはたぶん自分たちのほんのわずかでも作り上げた
美しさの断片とか感動のかけらを観てもらいたいのだろう。
伝えるというよりは、観てもらいたいのだろう。
伝えることの訓練を積むのと、それは大きく違ったんだと
今更ながら痛感する。そうか、コミュニケーションではないんだなと。
泉鏡花の言葉がドルビーサラウンドみたいに
空間に舞うんだけど、身体の動きが邪魔をするからなあ、残念。
捨てるもん捨てないと、何も残らないんだろう。
あと、愛を演じるなら、もっともっと思い切りぐっちゃりするか
まるでからっとするかしないと、ひいてしまう。
そういう意味で芸能人のリミッターの外れ方はすごいんだなあと
気づいた。こういう異世界で自分のいる世界は気づかされる。
あの人たち、ほんとに一瞬ほれ合うからなあ。
あとは力を抜くのが一番難しいのは、ここでも一緒で、
まるで、そこは、つらかった。抜いたふりするのは簡単だけど。
みんな奥田民生とか高田純次にはなれないんだ。
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