外国のカリグラフィと呼ばれるものとか
グラフィティとよばれるものとかを見るたびに
いつも思うのは、圧倒的に日本の勝利だなあということ。
やっぱり、漢字とかなを持っているというのは
こういう文字の美しさとかを使う分野では
もうすさまじく有利なんだな。
レイアウトとか、タッチとか、いろいろと工夫してて
常軌を逸するほどの乱れ方とかを見せるんだけど
もう全然、書の方が深い。
無理せず、美に向かう事ができて、
行き着く先の幽霊さも断然すごい。
でも、残念ながら、すごすぎて全部は受け取れないんだけど。
書の場合。
この人とかも、今、その分野だと第一人者らしいんだけど
ぐっとくるというより、病んだ感じ。
パッと見の印象は、文字の姿形を追求していくというよりは
壊れ方に目がいってしまい、アウトサイダーアートを見ているような
妙な入り込み方をする。
グリーナウエイの映画に参加したりしてる
凄腕なんだけどねえ。
筆とか半紙とか、いいツールを手に入れてたなあと
日本の書の環境も改めて考え直す。
しみたり、はねたり、にじんだり、
そんなことを美しさの中に取り入れるのって
発明だったんだなあ。
今回、これはないと思ったことでいうと、
傷つける、彫り付ける、刻み付ける、みたいな
文字の生み出す、形作る感覚。あれはあまりない。
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