作品を支えるバックグラウンドというものが
ものを生み出す人、誰にでもあるとすると、
結構、その深さが出たりするものだと思う。
自分の惹かれてきたものたちを一同に会してみたときの
そこにあらわれる自分自身の歴史と実際に時代を刻んできた
そのもの自体の持つ歴史とがキレイにシンクロしていって
時間軸がぐちゃぐちゃになりつつ整理されていき
アートの作品へと昇華していく様は、人の人生そのものを
どうだ!とみせつけられているようで、心を揺さぶられる。
そこにある価値観の美しさとか何を大事にするのかという思いとか
杉本博司の美的センスの圧倒的高みを目の当たりにしつつ
作品そのものの見え方さえも決定的に変えるプロモーションとしての
素晴らしい戦略も感嘆する。
sea scapeに囲まれた中心に十一面観音があるんですよ。
化石と宇宙食が同列に語られる「美」の世界って。
何百年も生き抜いて生きた寺の柱の時間を感じろと
そっと立てられて、にょきにょきと部屋にあるんです。
肖像シリーズの脇にはタイム誌の表紙コレクションがあり、
小さな厨子の中には、現在作られたガラス球を閉じ込め、
死者の書も、華厳経も、月の写真も、同列に軸にされている世界。
キレイだと思う世界で、しっかりと立ち、勝負しきる。
本当に打たれた。
自分にとって、その世界はいったい何なのか?
何とよりそう人生なのか?
深いこと考えさせられる展示だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿