目がくらむようなキラキラと、
みたこともないような造形のセンス、
うらやましくなるような細部へのこだわりに、
時代を越える人をひきつける力。
まあ、とにかくカルティエのクリエイションのすごさを体感。
バックグランドにある教養とかを感じることが出来るのが
ハイジュエリーのすごみだなあといつも思う。
見た瞬間に、客も作り手も何かのお話を嗅ぎ付けることが
出来る幸せな共犯感。
そんな、ともに何かを仕掛けることができるベーシックな
裏打ちを自分も持ちたいと願い、精進する。
ジュエリーがなぜこんな形になったのかとか
ジュエリーがなぜこの人の手元に渡ったのかとか
ひとつひとつに秘められたお話がまた濃厚で
図録をじっくり読むだけで相当楽しめる。
ワニをカルティエの工房に連れてきて
「早くしないと大きくなるわ」と言い放って、
ワニ型のネックレスを作らせた女性の話とか
家中の宝石をあらいざらいかき集めて、
全部カルティエにリデザインさせたインドのマハラジャの話。
パリの街を飛んだ飛行船乗りが発注したはじめての腕時計話。
超高級なものの裏にある豊かな人生、幸せも不幸も含めて。
にしても、グレース・ケリー超キレイ。
本当に宝石がキレイに見えて、いい展示だった。
2009年5月12日火曜日
2009年5月9日土曜日
浸って沈み込むこと「マーク・ロスコ展」@川村記念美術館
「シーグラム絵画」と呼ばれる本来はひとつのレストラン空間に
飾られるはずだった壁画が、世界中から集められて一度に15枚を
見る事ができるという貴重な機会。
といっても、それほどマーク・ロスコがっつりはまったことがなく
ありがたみの実感は少ないんだけど、とにかく行ってみて、
感じてみようと決めた。
とにかくバカでかい赤っぽい、紫っぽい画が空間に配置されている。
「瞑想する絵画」というように、その空間に入ったところで、
さして気持ちがぐらつかない。うーむ。
でも、瞑想しなればと、結構長い時間いると、くるわくるわ。
さざ波のように自然の色が見えてくる。
本当にレストランに置いてあって、フルコースなんか食べたら
ちょっと感動する空間になったかもしれない。
夕日でもあり、朝日でもあり、血の色でもあり、
岩石の色でもある。ちょうどエアーズロックとかの真っ赤に染まる
感動的な瞬間にも似た激情も秘められている。
目の前にひろがる空間がどこまでも抜けていく
静かな静かな音のない景色の感動はなかなか味わえない。
やはり、セットで飾られるべきものが集まったときには
なんか計り知れない磁場を生み出したりするものだ。
海山十題のときも、伊藤若冲のときも思った。
そういうの好きだというのもある。
画家が考え抜いたプランに浸るのは、時間がかかるが、
すべてがパズルのように動き始めたときには
とんでもない感情の揺さぶりが隠されているケースが多いなあ。
それにしても、川村。遠いけど、とんでもなく豊かな建物。
常設展もすさまじいラインアップ。居心地よし。
飾られるはずだった壁画が、世界中から集められて一度に15枚を
見る事ができるという貴重な機会。
といっても、それほどマーク・ロスコがっつりはまったことがなく
ありがたみの実感は少ないんだけど、とにかく行ってみて、
感じてみようと決めた。
とにかくバカでかい赤っぽい、紫っぽい画が空間に配置されている。
「瞑想する絵画」というように、その空間に入ったところで、
さして気持ちがぐらつかない。うーむ。
でも、瞑想しなればと、結構長い時間いると、くるわくるわ。
さざ波のように自然の色が見えてくる。
本当にレストランに置いてあって、フルコースなんか食べたら
ちょっと感動する空間になったかもしれない。
夕日でもあり、朝日でもあり、血の色でもあり、
岩石の色でもある。ちょうどエアーズロックとかの真っ赤に染まる
感動的な瞬間にも似た激情も秘められている。
目の前にひろがる空間がどこまでも抜けていく
静かな静かな音のない景色の感動はなかなか味わえない。
やはり、セットで飾られるべきものが集まったときには
なんか計り知れない磁場を生み出したりするものだ。
海山十題のときも、伊藤若冲のときも思った。
そういうの好きだというのもある。
画家が考え抜いたプランに浸るのは、時間がかかるが、
すべてがパズルのように動き始めたときには
とんでもない感情の揺さぶりが隠されているケースが多いなあ。
それにしても、川村。遠いけど、とんでもなく豊かな建物。
常設展もすさまじいラインアップ。居心地よし。
2009年4月28日火曜日
信念なんて報われぬ「沈まぬ太陽1〜5/山崎豊子」
正しく生きることと豊かに生きることが
必ずしも一致しないこの現代を膨大な取材から
あぶり出して、小説に仕立て上げる。
その作業は絶望的に夢なんてなかったりする
会社内の権力闘争の様を浮き彫りにしていく。
自分の信じる道を進めば進むほど
仕事の環境は厳しくなり、閑職においやられ
家族とは離ればなれになり、手の中には何も残らない。
本当に切ない。
海外赴任先から日本に戻る奥さんを見送るシーンが
あるんだけど、すごい雨の中、自分の背中がビショビショに
なって、子供を飛行機のタラップまでぬれないようにする姿を
見て、思わず名前を呼ぶのだけれど、雨が強くて奥さんには
聞こえないのね。
もう、声でないわ。切なくて。
正しいことしてんのに。
いい人、ちゃんとした人間関係はすべて手元に残るけれど
それを豊かな人生の作物だと言い切るには
あまりにも恵まれなさすぎて、現実的にすぎて、つらい。
一巻から五巻まで一気読み。
必ずしも一致しないこの現代を膨大な取材から
あぶり出して、小説に仕立て上げる。
その作業は絶望的に夢なんてなかったりする
会社内の権力闘争の様を浮き彫りにしていく。
自分の信じる道を進めば進むほど
仕事の環境は厳しくなり、閑職においやられ
家族とは離ればなれになり、手の中には何も残らない。
本当に切ない。
海外赴任先から日本に戻る奥さんを見送るシーンが
あるんだけど、すごい雨の中、自分の背中がビショビショに
なって、子供を飛行機のタラップまでぬれないようにする姿を
見て、思わず名前を呼ぶのだけれど、雨が強くて奥さんには
聞こえないのね。
もう、声でないわ。切なくて。
正しいことしてんのに。
いい人、ちゃんとした人間関係はすべて手元に残るけれど
それを豊かな人生の作物だと言い切るには
あまりにも恵まれなさすぎて、現実的にすぎて、つらい。
一巻から五巻まで一気読み。
2009年4月25日土曜日
どこまでも悪は悪「Cの福音/楡 周平」
アメリカから麻薬を密輸する男の
冷酷な完全犯罪術。
人間、善も悪もあるよねと思うけれど
一度すみわけた人間は意外とどちらも抱えながらなんか
生きたりしないんだなあ。ほんと。
いいもんはいいもん。
わるもんはわるもん。
淡々とくみ上げられていく悪いことするための仕掛けとか
だからこそリアルだと感じて、そういう世の中だなあと。
不思議なことにそこに嫌悪感もない。
そして、着々とお金がそのステージに集まっていくんだよな。
うん、まるで違和感もない。
中で出てきた「人に口を割らせるための凄い方法」というのが
また奮っていて、まずは麻酔で身体の痛みを感じないようにして
身体をナイフでざくっときるんだそうだ。見えるとこを。
痛くもないのに、自分の身体が割れて、そこから血がどぼどぼと
たれていくのを見るのは、もうどうにもならず恐怖らしい。
これは、怖い。目の前で身体をさばかれていくのは、かなわない。
冷酷な完全犯罪術。
人間、善も悪もあるよねと思うけれど
一度すみわけた人間は意外とどちらも抱えながらなんか
生きたりしないんだなあ。ほんと。
いいもんはいいもん。
わるもんはわるもん。
淡々とくみ上げられていく悪いことするための仕掛けとか
だからこそリアルだと感じて、そういう世の中だなあと。
不思議なことにそこに嫌悪感もない。
そして、着々とお金がそのステージに集まっていくんだよな。
うん、まるで違和感もない。
中で出てきた「人に口を割らせるための凄い方法」というのが
また奮っていて、まずは麻酔で身体の痛みを感じないようにして
身体をナイフでざくっときるんだそうだ。見えるとこを。
痛くもないのに、自分の身体が割れて、そこから血がどぼどぼと
たれていくのを見るのは、もうどうにもならず恐怖らしい。
これは、怖い。目の前で身体をさばかれていくのは、かなわない。
2009年4月21日火曜日
全感覚を使え!「万華鏡の視覚」@森美術館
ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより。
ハプスブルク家のプライベートコンテンポラリーアート発注もの。
持つものと持たざるものをリアルに感じる展覧会の景色。
こんなもの、家に持ってこられても困るサイズ、スケール。
ちょっと壁に掛けられるようなものはまるでなく、
いちいち身体全身サイズ。そして落ち着く類のものはなく、
感覚を全部解放して、毛穴からすら入ってくる刺激を
とにかく取り込む感じの展示。いやあ、「美」というよりは、
本当に「刺激物」の印象の強い品物がずらり。
ケリス・ウィン・エヴァンスの蛍光灯柱とか直視できないくらい
ギラギラと身体に悪そうな光を放っているし、
カールステン・フラーの「Y」という作品とかは
自分の身体のまわりを白熱灯がぐるぐるまわってて
その様子を鏡でみたりすると、どこかに吸い込まれているような
妙な浮遊感を味わえる。
ロス・カルピンテロスの壁が砕け散る瞬間を、
実際のブロックで再現すたやつなんかは、
時間が止まった瞬間を自分が動ける状態で感じることの
違和感をいやおうなく押し付けてくる。
イエッペ・ハインの映す物体とかは、ジム・ランビーの
クラクラする文様と自分自身の姿が球形の中に閉じ込められる
お得なような感覚も。
マシュー・リッチーっていう人の色使いとか素材感とか
空間への絵の張り出し方とかが好きだった。あまり触れたことの無い人。
グオ・フェンイーっていう人の描いた絵は
執念の赤ボールペン画。もうひたすら線をひきまくる向こう側の世界。
彼に何が見えていたのか気になる。
図録ではまるでダメな、行かないと不可能な体験ばかりで
美術館冥利につきると思った。
ハプスブルク家のプライベートコンテンポラリーアート発注もの。
持つものと持たざるものをリアルに感じる展覧会の景色。
こんなもの、家に持ってこられても困るサイズ、スケール。
ちょっと壁に掛けられるようなものはまるでなく、
いちいち身体全身サイズ。そして落ち着く類のものはなく、
感覚を全部解放して、毛穴からすら入ってくる刺激を
とにかく取り込む感じの展示。いやあ、「美」というよりは、
本当に「刺激物」の印象の強い品物がずらり。
ケリス・ウィン・エヴァンスの蛍光灯柱とか直視できないくらい
ギラギラと身体に悪そうな光を放っているし、
カールステン・フラーの「Y」という作品とかは
自分の身体のまわりを白熱灯がぐるぐるまわってて
その様子を鏡でみたりすると、どこかに吸い込まれているような
妙な浮遊感を味わえる。
ロス・カルピンテロスの壁が砕け散る瞬間を、
実際のブロックで再現すたやつなんかは、
時間が止まった瞬間を自分が動ける状態で感じることの
違和感をいやおうなく押し付けてくる。
イエッペ・ハインの映す物体とかは、ジム・ランビーの
クラクラする文様と自分自身の姿が球形の中に閉じ込められる
お得なような感覚も。
マシュー・リッチーっていう人の色使いとか素材感とか
空間への絵の張り出し方とかが好きだった。あまり触れたことの無い人。
グオ・フェンイーっていう人の描いた絵は
執念の赤ボールペン画。もうひたすら線をひきまくる向こう側の世界。
彼に何が見えていたのか気になる。
図録ではまるでダメな、行かないと不可能な体験ばかりで
美術館冥利につきると思った。
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