2009年7月9日木曜日

今の日本にして欲しかった「桜姫~長塚現代劇バージョン」@シアターコクーン

日本の桜姫を南米を舞台におきかえて

日本語で上演という長塚圭史が書いた現代版。

正直、日本の今に置き換えたときに

どうなるのかが見たかった。

もう南米にして、舞台も抽象で、どこの時代かも

ふんわりしている状態だと、言葉がはっきり現代語だから

分かる以外は、なんら条件が歌舞伎と変わらない。

そんな気がした。

考えることは考えるなあ。

自分にとっていいことが起こっているときは

自分の分身にとって悪いことが起こっている。

逆もまたしかり。要はフィフティフィフティ。

というよりは、人間ってものすごく業が深いんだろうなあと。

幸せなときももっと先、もっと先を求めてしまう。

相手を見て、自分に不足している幸せに嫉妬する。

正しいことと悪いことが同じ重さで扱われていて

人生はどうしようもなくどちらも起こりうるのだと

肌でびりびりと感じた。

そして、単なる幸せなんてありえないという

長塚ものでいつも感じる、人間への絶望はやっぱり

今回も感じて、この人は生き難いだろうと気の毒に思った。

大竹しのぶと勘三郎のベッドシーンとかあるんだけど

きついかと思いきや、ちゃんとふわっと空気がピンクに

変わったから、ふたりともすさまじいパワーだなあと

感心した。没入、入っていく感じすごい。

あとは古田新太。あの人のテンションの抜き入れの妙は

最近本当に鬼気迫るものがあるなあ。

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