密教的なもののすさまじいところは、
異常なまでの密度にあると思う。
修行のあり方もそうだけど、祀っている仏像とか
もうちょっと目がくらむほどの密集。
腕がほんとに千本あったり
男の神と女の神がありえない形で交わってたり
著名な坊さんの頭蓋骨を水入れに使ったり。
想いの密集が半端ない。ひたすらひたすら念じて
考えて考えて考えてということが出来てしまう
厳しい環境がきっと、そういう宗教を生むのだろう。
あと歴史に残る名坊主みたいなのがたくさんいるのだが
どうも、こういっては罰あたりだが、怪しい。
みなインドの方からチベットにやってくるわけ。
荒んだチベット密教を立て直していくんだけど、
今、本場インドじゃあ、これが流行なんだ!的なことかと
思うとどうにも、軽々しく信じられない。
あとは、地面に巨大な人間が横たわっていて
その人間が暴れないように、要所要所に
寺が立っているという壮大なプランが面白かった。
でも、やっぱり、土地というのは
その地面そのものが大事で、そこに神が宿るのだと
改めて感じた。だって、そんな昔からだもの。
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