2010年3月5日金曜日

思いつき「 Google Chrome PR」

こういうことって覚えておきたい。

影バージョンもあるよねえ、意外と忘れちゃう。

もういっちょ最近泣いちゃうもの「マイガール/嵐」

こちらも意外と最近泣いちゃう。

泣いちゃうもの「au最後のメール」

突然だけど、泣いちゃうもの。

ひたすらな信仰「整地チベット・ポタラ宮と天空の至宝」@上野の森美術館

密教的なもののすさまじいところは、

異常なまでの密度にあると思う。

修行のあり方もそうだけど、祀っている仏像とか

もうちょっと目がくらむほどの密集。

腕がほんとに千本あったり

男の神と女の神がありえない形で交わってたり

著名な坊さんの頭蓋骨を水入れに使ったり。

想いの密集が半端ない。ひたすらひたすら念じて

考えて考えて考えてということが出来てしまう

厳しい環境がきっと、そういう宗教を生むのだろう。

あと歴史に残る名坊主みたいなのがたくさんいるのだが

どうも、こういっては罰あたりだが、怪しい。

みなインドの方からチベットにやってくるわけ。

荒んだチベット密教を立て直していくんだけど、

今、本場インドじゃあ、これが流行なんだ!的なことかと

思うとどうにも、軽々しく信じられない。

あとは、地面に巨大な人間が横たわっていて

その人間が暴れないように、要所要所に

寺が立っているという壮大なプランが面白かった。

でも、やっぱり、土地というのは

その地面そのものが大事で、そこに神が宿るのだと

改めて感じた。だって、そんな昔からだもの。

2010年3月4日木曜日

「世田谷カフカ/ナイロン100℃」@本多劇場

『審判』のヨーゼフ・Kに

『城』のK(カー)

『失踪者』のカール・ロスマン

と、3作の長編に3人のK。

で、この3人が集まったらおもしろそうだなと

ということで、ケラさんが書いたというか

劇団のみなさんが紡ぎ出した空間が

本多劇場に。ああ、劇団ナイロン100℃。

カフカってはまったことないから

ちゃんと読まないといけないと思った。

まるで、頭に筋が残っていない。フレーズがない。

景色がない。ダメだなあ、名作に損はないのに。

でも、カフカって面白人生の人だなあ。


フランツ・カフカとは
『変身』などの著書で知られる
現在のチェコ出身のドイツ語作家。
保険局に勤めながら執筆活動を行っており、
生前はほぼ無名に近かった。
死後、彼の友人であるマックス・ブロートが
遺稿を発表したことにより、
その名が広く知られるようになる。
ちなみにカフカは、この遺稿をすべて
焼き捨てるようにと遺言に残していた。
長編はこの遺稿の中にあったもので、
『審判』『城』『失踪者』の3作品のみ。
そのすべてが未完である。


上記の主人公たちとカフカ本人がバタバタと出てきたり

役者に戻った今の世田谷を生きる、そのままの人が語り

で、そのふたつがないまぜになってダンスしたり歌ったり。

ある意味ゴールがないと思える中で、

お話ってあるようで、ないけど、

そこがそのまま現実じゃないかと感じる舞台だった。

こんなことが成立するのは、やはり劇団だからかなあ。

空気だけがつないでる。こういう感覚だって

現実にはよくあるよなあ。隣同士全然違うこと考えてて

それでもなぜか同じ仕事してたりするもんなあ。

ナンセンスコメディの集団だけど、

自分たちの話する時のリアリティのあり方とか

素晴らしくて、ちょっと胸に迫るものがあった。

ムダに。

相変わらず、長かったけど、

そして、後半は絶対切れるって思ったけど

切らないあたりも「らしさ」だなあと思い直した。

完成度とかよりも、想いだよなあ、ここは。

超エリート国家公務員集団「パリ・オペラ座のすべて」@ル・シネマ

1年の人件費は160億円だって。

みんな国家公務員で、ちゃんと身分保障。

それで、中で必死に戦ってる。美しいものを作るために。

いやあ、志高くてよいなあ、やはり、それをちゃんと許す

市民も本当に偉い。あれは、守りたいって思うのかな?

日本だと、すぐ生活と関係ないとか言って文句が出て

お金出なくなったりするもんなあ。

それにしても、ダンサーたちのリアルな、飾られない鍛錬がよい。

地味で地味で。だけど、そこからしか生まれないキレとか

ちゃんと見え隠れして、調子いいやつとか悪いやつとかも

残酷に隣り合わせで、生きていかななくちゃいけなくて

そういう本当のガラスの仮面的世界が切り取られていて

ドキドキする。

紙一枚で次の仕事があるかないか分かったり

家柄とか関係なく、その人自身が作った人間関係と実力が

生きる糧を得るかどうかをキワキワで決めたりと

ドロドロの現実を見て取れる。

働いてる人がみんなクセがあって、めんどくさいんだけど、

誇りがあってよかったなあ。

営業みたいな人も「それはオペラ座ではない!」とか

言い出して、外の人にごねまくったり。

愛を感じるなあ、そういう瞬間。

監督は周りから気配を察知されないように

カメラマンと独自のサインを作って撮影したそうで。

覚えておこう。

会社のチカラになりきる「山形季央展」@ggg

知らなかったけど、デザイン界の重鎮らしい。

実は、こんな人みたい。

山形季央は、資生堂のアートディレクター、
クリエイティブディレクターとして、
ブランドの立ち上げや、展覧会のアートディレクション、
2005年には資生堂のコーポレーション・メッセージ
「一瞬も一生も美しく」のコピー開発など、
資生堂の広告の中枢を担う活躍をしています。
また、その一方で、ダンスカンパニー山海塾の公演ポスターや、
上田義彦『AMAGATSU』、十文字美信『わび』など
写真集のブックデザインでは、日本の美や身体美にこだわり、
非日常的な他にない美しい世界を表現しています。

なんか不思議な凧みたいな感じの目玉が顔を描いたり

流麗な線が有名な女優をイメージした線だったり

柔らかな感覚がしっとりと感じる展示。

なんかコンセプトのあり方にヨーロッパを感じたのは

なぜなのか?一緒に仕事をしてきた人たちの影響?

日本人に少ない、言葉を尽くす様子がいいなあと。

浮つく程の、あふれる言葉が、沈着して洗練され

シンプルなデザインに落ちていく、そのプロセス。

ぜひとも、そうありたい。

そのシンプルさに隠されるチカラが全然違うもんなあ。

あとは、日本のきれいさとか美しさって

すっきりしたところにあるのかもねえ。

あまり色とかごてごてしない、スッと線を引く、

さっと色をつける、そんな感じ。