うむむ、醍醐味だ。企画した人、気持ちいいだろうなあ。
「生命(いのち)と愛の未来を探る」というテーマで
古今東西のありとあらゆる生命に関するものが大集合。
薬のメーカーとして始まったウエルカム財団っていうところが
集めた様々な医学の進歩を示すものたちに、アートがからんでいく。
医学備品みたいなものが、まあいちいち面白い。
美しいかといえば微妙だけど、最先端の頭脳を使って
考えられた様々なものは、ある意味考え過ぎちゃっててグッとくる。
義足、義手は造形の極みだし(HONDAの最先端義足まで展示)
貞操帯なんかも徹底して操作性/装着性を考えた丸みがよい。
超巨大なふいごが人工呼吸器の役割を果たす(棺桶的ですらある)
こととか気づいた人はすごいと思うし。
ダヴィンチの肺とか心臓のデッサン、本当にすさまじい細密さで、
線にブレがなく、まっすぐと走っていくのは本物ならではの迫力。
わざわざイギリスの王室コレクションから上陸。
抜けると、骸骨が波をバックにたたずむ
円山応挙「波上白骨座禅図」が。やりたい放題。頭使わせる感じ。
手術は見せ物だった時代、シアターのような場所で解剖する様子を
描いた画がずらりと並んだのを見たあとに、
狩野一信「五百羅漢図 第59幅 神通」があり日本の神通力的な
ぼんやりした医学力を感じ、その先には、
デミアン・ハーストが妻の出産シーンを超リアルに描いた絵画が。
なんか血とか見えなくなったけど、その景色を写真とみまごうばかりの
絵画で見るという、考えちゃう人にはウハウハなコンセプト。
売れるわ、ハースト。あと、この人って普通に画が超うまい。
ジル・バルビエ「老人ホーム」というくだらないコントみたいな作品も。
歩行器使用のスーパーマン、立てないバッドマン、ぼけてガリガリの超人ハルク。
やりきることって大事なんだな。
老人の皮膚を持った、子どもがゲームボーイで遊んでいたりもする。
部屋の片隅で。パトリシア・ピッチニーニ作品。
すさまじい企画だなあと思ったのは、死の直前の顔と死の直後の顔を
写真で撮って並べた作品。ヴァルター・シェルスのもの。
死を悟った人たちのやわらかな表情と、そのつながりの中で感じる
死んだあとのやすらかな表情。生と死、その時間は切れているのか?
で、DNAの発見した人のなんとなくひらめいちゃったぞというメモも展示。
どうして、らせんだ!なんて思ったのか?本当にすごいことだ。
人間の飽くなき欲求は。果てしない。
ひたすらに頭を回転させて見る感じ。エクササイズとしてはよかった。
けど、これは美しいのか?
2010年4月21日水曜日
3Dということは「アバター」
とにかく最初は、2D時代の名作という名作を
サンプリングしてしまえということだと思った。
そして、それに気づき、ちゃんと実行し、当てた。
だって、映画史のベスト版のようなもので
切り取る画切り取る画、最強みたいな感じだから。
もはや、オリジナルとかにこだわらず、
いいものはいいじゃないか、みんなの知恵が
結集してればいいじゃないか。おそらくそんなテンション。
意識しているのかしていないのかは定かではないが
意識している方がよっぽど恐ろしく偉大だと思う。
すでに存在する名作クリップの数々が集まることで
そこに生み出されるハーモニーみたいなものが
すさまじいグルーブを生み出すことは
音楽では当たり前になりつつあったけど
文章とか映像だとまだまだオリジナル神話が根強い。
そうじゃないよ、と。いい画はいい画だし、みんな見たいのって
こういうことだよねという潔さ。
そこにひどくココロを打たれた。
話も特に、おお!斬新なんて一個も思わない感じなのに
映像体験として新鮮なのは本当に素晴らしいなあ。
いちいち手前のものをなめていくアングルが多いのは仕方ないか。
なにせ飛び出してくることなんかよりも奥行きが勝負だから
(そんなに画面に向かって何かが頻繁に飛び出してくるのなんか
シーンを考えるだけでも難しいと思う)
仕方なしそうなのだろう。うざいほどに手前を植物が通り過ぎていった。
サンプリングしてしまえということだと思った。
そして、それに気づき、ちゃんと実行し、当てた。
だって、映画史のベスト版のようなもので
切り取る画切り取る画、最強みたいな感じだから。
もはや、オリジナルとかにこだわらず、
いいものはいいじゃないか、みんなの知恵が
結集してればいいじゃないか。おそらくそんなテンション。
意識しているのかしていないのかは定かではないが
意識している方がよっぽど恐ろしく偉大だと思う。
すでに存在する名作クリップの数々が集まることで
そこに生み出されるハーモニーみたいなものが
すさまじいグルーブを生み出すことは
音楽では当たり前になりつつあったけど
文章とか映像だとまだまだオリジナル神話が根強い。
そうじゃないよ、と。いい画はいい画だし、みんな見たいのって
こういうことだよねという潔さ。
そこにひどくココロを打たれた。
話も特に、おお!斬新なんて一個も思わない感じなのに
映像体験として新鮮なのは本当に素晴らしいなあ。
いちいち手前のものをなめていくアングルが多いのは仕方ないか。
なにせ飛び出してくることなんかよりも奥行きが勝負だから
(そんなに画面に向かって何かが頻繁に飛び出してくるのなんか
シーンを考えるだけでも難しいと思う)
仕方なしそうなのだろう。うざいほどに手前を植物が通り過ぎていった。
2010年4月7日水曜日
大好物の光ものでした、やはり「あなたがであうとき/オラファー・エリアソン」@金沢21世紀美術館
そもそも大好きなオラファー・エリアソン。
他のどこにもまわらずに、ここのためだけに展示を作った。
らしい。
なんと贅沢な。行ってみて、なるほどと。
ひとつひとつの作品は既出のものがあるんだけど、
あの、どこ歩いてもよくて、どこにいるのかも分からなくなる
美術館だからこそ良さががあるのだなあ、この展示。
ふっと、空間に入ったときの出会いがランダムだからこそ
はっとさせられるという仕掛けの数々。
角をまがれば、絶景とか。
ドアをあければ、異空間とか。
そんな自然の状態でよくあるけれど、胸を打つ感覚を
ホワイトキューブで実現するのは、この建築があったから
なのだろう。
オラファー・エリアソンの説明を。以下に。
光、影、色、霧、風、波などの自然界に見られる
さまざまな要素によって特徴づけられるエリアソンの作品群は、
科学的な仕組みを問うものではなく、
現象を作り出す仕掛けは作品の中で明らかされています。
そのために、人々は却って「見る」という行為を純粋に楽しみ、
取り巻く環境の中に新しい発見や体験をする
機会とすることができるのです。
また、エリアソンはSANAAが設計・デザインした美術館を
建築的・機能的に深く読み解き、
金沢21世紀美術館を成り立たせる、
さまざまなファクターに大胆に挑みます。
気に入った作品の備忘録を。
《あなたが出会うとき》2009年
広い空間に、光がぱーっと開けてくる。
そして、さーっと閉じていく。
自分が見えてくる。現れる。
誰かの姿が照らし出される。また消える。
ゆっくりした動きだけれど、確実に何かに
コントロールされている感じを味わえる。
《ゆっくり動く色のある影》2009年
3つの色の影が重なり、離れ、影なのに独立した色を持つ。
これも、ひとりがいろいろな色を持つってことももちろんだし
同時にいる多くの人たちとともに楽しみ干渉しあうことで
世の中がどんどん多様に美しく花開いていくような気分に。
いちいち単純なのに、深く哲学を語れるのが、
この人の作品の面白いところなんだよなあ。
だから、もうべらべら気づいたことを喋り尽くしておく。
《見えないものが見えてくる》2009年
霧に満ちた部屋に、一筋の光がすーっと通る。
のだけれど、自然ではあり得ない形で、その光の線は
プツリと切れる。こういう非自然であることの不自然さを
ハッと意識させるのも、うまいところ。
単純に、ロスコのようなものが入らないよう、
透明な箱が置いてあって、そのため光の線が見えないんだけど
いやあ、美しく世界の仕組みをシャープにするのって
センスだなあと感心。
《動きが決める物のかたち》(まもなく)(いま)(それから)
ストロボでトロッとしたオイルような
プラスチック材料の噴水をちかちかすると
その瞬間だけうまれる彫刻のように見える。
超美形で、はかない、彫刻でありオブジェ。
見た事もない質感と量感。あれは軽いのか?重いのか?
つるつるしているようにもみえるけど
ぬるっとしているようにもみえるという謎の代物。
接することができる物体とは違う、物体を生み出すという
信じがたい離れ業だった。
《水の彩るあなたの水平線》2009年
宗教施設かのような作品だった。
暗い部屋。
バカでかい円形の部屋の真ん中に
バカでかい水盆。そのさざなみに反射して
虹色の光が部屋の壁にもうひとつの波を描く。
人の気配がするたびに、その波は大きく変動する。
人が自分の空間に入るたびに、
よくもわるくも、明るい色も暗い色も
同時にゆらゆらと反応する。まさに他者によって、
自分の世界は、変容するんだろう。
いやあ、すごい、本当にすごい、すさまじい。
あれこれと
感動した。
難しくないけど、深いなあ。
だから、すごい。
何より感性にくるもんなあ。
それにしても、相変わらず、光ものには
とことん弱いものだ。
他のどこにもまわらずに、ここのためだけに展示を作った。
らしい。
なんと贅沢な。行ってみて、なるほどと。
ひとつひとつの作品は既出のものがあるんだけど、
あの、どこ歩いてもよくて、どこにいるのかも分からなくなる
美術館だからこそ良さががあるのだなあ、この展示。
ふっと、空間に入ったときの出会いがランダムだからこそ
はっとさせられるという仕掛けの数々。
角をまがれば、絶景とか。
ドアをあければ、異空間とか。
そんな自然の状態でよくあるけれど、胸を打つ感覚を
ホワイトキューブで実現するのは、この建築があったから
なのだろう。
オラファー・エリアソンの説明を。以下に。
光、影、色、霧、風、波などの自然界に見られる
さまざまな要素によって特徴づけられるエリアソンの作品群は、
科学的な仕組みを問うものではなく、
現象を作り出す仕掛けは作品の中で明らかされています。
そのために、人々は却って「見る」という行為を純粋に楽しみ、
取り巻く環境の中に新しい発見や体験をする
機会とすることができるのです。
また、エリアソンはSANAAが設計・デザインした美術館を
建築的・機能的に深く読み解き、
金沢21世紀美術館を成り立たせる、
さまざまなファクターに大胆に挑みます。
気に入った作品の備忘録を。
《あなたが出会うとき》2009年
広い空間に、光がぱーっと開けてくる。
そして、さーっと閉じていく。
自分が見えてくる。現れる。
誰かの姿が照らし出される。また消える。
ゆっくりした動きだけれど、確実に何かに
コントロールされている感じを味わえる。
《ゆっくり動く色のある影》2009年
3つの色の影が重なり、離れ、影なのに独立した色を持つ。
これも、ひとりがいろいろな色を持つってことももちろんだし
同時にいる多くの人たちとともに楽しみ干渉しあうことで
世の中がどんどん多様に美しく花開いていくような気分に。
いちいち単純なのに、深く哲学を語れるのが、
この人の作品の面白いところなんだよなあ。
だから、もうべらべら気づいたことを喋り尽くしておく。
《見えないものが見えてくる》2009年
霧に満ちた部屋に、一筋の光がすーっと通る。
のだけれど、自然ではあり得ない形で、その光の線は
プツリと切れる。こういう非自然であることの不自然さを
ハッと意識させるのも、うまいところ。
単純に、ロスコのようなものが入らないよう、
透明な箱が置いてあって、そのため光の線が見えないんだけど
いやあ、美しく世界の仕組みをシャープにするのって
センスだなあと感心。
《動きが決める物のかたち》(まもなく)(いま)(それから)
ストロボでトロッとしたオイルような
プラスチック材料の噴水をちかちかすると
その瞬間だけうまれる彫刻のように見える。
超美形で、はかない、彫刻でありオブジェ。
見た事もない質感と量感。あれは軽いのか?重いのか?
つるつるしているようにもみえるけど
ぬるっとしているようにもみえるという謎の代物。
接することができる物体とは違う、物体を生み出すという
信じがたい離れ業だった。
《水の彩るあなたの水平線》2009年
宗教施設かのような作品だった。
暗い部屋。
バカでかい円形の部屋の真ん中に
バカでかい水盆。そのさざなみに反射して
虹色の光が部屋の壁にもうひとつの波を描く。
人の気配がするたびに、その波は大きく変動する。
人が自分の空間に入るたびに、
よくもわるくも、明るい色も暗い色も
同時にゆらゆらと反応する。まさに他者によって、
自分の世界は、変容するんだろう。
いやあ、すごい、本当にすごい、すさまじい。
あれこれと
感動した。
難しくないけど、深いなあ。
だから、すごい。
何より感性にくるもんなあ。
それにしても、相変わらず、光ものには
とことん弱いものだ。
2010年4月6日火曜日
手触りが大切な画「断面の世代/束芋」@横浜美術館
「断面の世代」っていうのは、束芋さんの造語で
まさに1970年代、自分の含まれる年代のことを
指しているらしい。当然、「団塊の世代」とも関係してくる。
本人によれば、以下のような感じ。
団塊の世代の方々は、
太巻きの中の玉子焼きやかんぴょうといった、
それぞれが具の1個1個なんです。
私たちの世代も、同じ目標として太巻きになることを
目指しているのですが、個人としてはすべての要素を持っている
太巻きを切り分けたときにできる断面のようなもの。
一応全て持ち合わせているので何でもできるって
思い込んでいるんだけど、よく自分自身を見てみると
薄っぺらい二次元の断面でしかない。
集まればいちおうは三次元の太巻きになれるんだけど、
それぞれがいろんな形、色々な大きさをしているから、
いびつな太巻きになるかもしれない。
逆に団塊の世代は、それぞれが玉子焼きだったり
かんぴょうだったりキュウリだったりして個性的だから、
てんでバラバラになりかねない。
だけど、その多様な具をまとめる米だとか海苔だとかっていう
リーダー的な存在がいれば、ひとつの太巻きになれる、
みたいなイメージです
※横浜美術館/国立国際美術館『束芋:断面の世代』より引用
横浜美術館の吹き抜け全体を使って、団地の様子が映し出されていて
入った瞬間に居心地が悪くざわざわする。
本当にこの人の作品は、触感がある。抵抗感。
神経症みたいな筆致がもぞもぞと動いて絶望的な世界に
移り変わっていくアニメーションは、本当に暗く美しい。
確かにキレイだ。
ワンルームがきたなく汚れ、タンスから無数のゴミが散り、
血が流れ、人の身体がバラバラになろうとも、
世界は必ず美しさを持って立ち現れる。不思議。
骨が水面から顔を出すと、花を咲かせるやつとか
女の髪でいっぱいになったスクリーンをかき分けると
そこに日常の渋滞する交差点があったりとか
キレイに整わない日常の中に確かに「生」があるのは
みごたえたっぷり。
それにしても、この人のキャリアは本当にすごい。
うらやましいほどの、前人未到。あやかりたい。
長野に住んでいるあたりも、いけてる。
まさに1970年代、自分の含まれる年代のことを
指しているらしい。当然、「団塊の世代」とも関係してくる。
本人によれば、以下のような感じ。
団塊の世代の方々は、
太巻きの中の玉子焼きやかんぴょうといった、
それぞれが具の1個1個なんです。
私たちの世代も、同じ目標として太巻きになることを
目指しているのですが、個人としてはすべての要素を持っている
太巻きを切り分けたときにできる断面のようなもの。
一応全て持ち合わせているので何でもできるって
思い込んでいるんだけど、よく自分自身を見てみると
薄っぺらい二次元の断面でしかない。
集まればいちおうは三次元の太巻きになれるんだけど、
それぞれがいろんな形、色々な大きさをしているから、
いびつな太巻きになるかもしれない。
逆に団塊の世代は、それぞれが玉子焼きだったり
かんぴょうだったりキュウリだったりして個性的だから、
てんでバラバラになりかねない。
だけど、その多様な具をまとめる米だとか海苔だとかっていう
リーダー的な存在がいれば、ひとつの太巻きになれる、
みたいなイメージです
※横浜美術館/国立国際美術館『束芋:断面の世代』より引用
横浜美術館の吹き抜け全体を使って、団地の様子が映し出されていて
入った瞬間に居心地が悪くざわざわする。
本当にこの人の作品は、触感がある。抵抗感。
神経症みたいな筆致がもぞもぞと動いて絶望的な世界に
移り変わっていくアニメーションは、本当に暗く美しい。
確かにキレイだ。
ワンルームがきたなく汚れ、タンスから無数のゴミが散り、
血が流れ、人の身体がバラバラになろうとも、
世界は必ず美しさを持って立ち現れる。不思議。
骨が水面から顔を出すと、花を咲かせるやつとか
女の髪でいっぱいになったスクリーンをかき分けると
そこに日常の渋滞する交差点があったりとか
キレイに整わない日常の中に確かに「生」があるのは
みごたえたっぷり。
それにしても、この人のキャリアは本当にすごい。
うらやましいほどの、前人未到。あやかりたい。
長野に住んでいるあたりも、いけてる。
本気でパンクで懐深い「歌舞伎座さよなら公演 十二月大歌舞伎」@歌舞伎座
番組は下記な感じ。まあ、すごいすごい。
出てくる人、出てくる人、半端な方がひとりもいない。
さすが、さよなら公演。ちゃんと全力だなあ。
時代的にも古いのから、最新まで取り揃えて、
歌舞伎がいかに幅広い歴史からエキスを吸って
生き延びているかを肌で感じさせてくれた演目だった。
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 勘太郎
後見 松 也
千歳 鶴 松
翁 獅 童
サイレントコメディなうえに、まあ身体がよく動く。
関節とかグニャグニャパキパキと漫画のよう。
操り人形を演じるんだけど、パントマイムとかなくても
自前でこういう文化があるのって面白い。
操り人形のパントマイムやってみたら、よくない?って
思いつくあたりがすさまじい雑食性。
今回は、席がステージに近かったので、
脚にかかる加重とか床をつかむ指とか感じることができて
歌舞伎の身体性を改めて確認できた。
二、新版歌祭文
野崎村(のざきむら)
お光 福 助
お染 孝太郎
後家お常 秀 調
久作 彌十郎
久松 橋之助
よくできたワイドショー話で、農家の娘が好きな男と
一緒になれるとウキウキしていると、都会から超かわいい
姫がその男を追ってやってきちゃうという。
その農家の娘のきゃぴきゃぴした感じとかが
異常に偏見たっぷりにバカにしてて面白い。
うまかったなあ、ほんと、この日の役者さん。
セットもぐるぐる回って、最後なんか家の裏の
川の土手に変身して船に乗って去っていくという
スペクタクル。アイディア、アイディア、
驚くことならなんでもやってやろうという精神が
素晴らしい。
三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん )
山蔭右京 勘三郎
太郎冠者 染五郎
侍女千枝 巳之助
侍女小枝 新 悟
奥方玉の井 三津五郎
こっちはコント。勘三郎ってほんと面白い。
声がそもそも面白いのと、リズムがくだらない。
なんかいちいちふざけているんだと思うんだけど、
ムダなことを加えて加えて、そこに溺れる面白さ。
でも、嫌みじゃないあたりが名優なんだろうなあ。
浮気して帰ってくる当たりの、喜ぶ男のダメな感じとか
もうジャストミートな様子で、楽しい。
四、大江戸りびんぐでっど(おおえどりびんぐでっど)
半助 染五郎
お葉 七之助
大工の辰 勘太郎
根岸肥前守 彌十郎
遣手お菊 萬次郎
丁兵衛 市 蔵
与兵衛 亀 蔵
佐平次 井之上隆志
紙屑屋久六 猿 弥
和尚実は死神 獅 童
石坂段右衛門 橋之助
女郎お染 扇 雀
女郎喜瀬川 福 助
四十郎 三津五郎
新吉 勘三郎
宮藤官九郎が書いた新作。江戸にゾンビが現れる。
というとんでもない話。しかもクサヤの汁を浴びると。
いやあ、歌舞伎書いても、まったくぶれないあたりが
需要と供給だなあ、発注する方もしやすいなあと思う。
上がりが思った通りになるなんて安心だもの。
そして、もう話も何もかもめちゃくちゃだけど
しっかり歌舞伎にしていく役者陣のものすごい
懐の深さ。伝統芸能の中でも足腰の強さ。
旬なものを食べて吐き出さずに自分自身を変容させつつ
自分の栄養にしてしまう。
ものすごいアレルギー反応はあっただろうからなあ。
ほとんどが特殊メイクをした(ゾンビメイク…)歌舞伎って
いやあ、いいものを見た。
とりあえず、出来というよりもスタンスに圧倒です。
歌舞伎というものの。
なんでも壊してみなきゃ分からないよねえ、
いけるかいけないかも。
出てくる人、出てくる人、半端な方がひとりもいない。
さすが、さよなら公演。ちゃんと全力だなあ。
時代的にも古いのから、最新まで取り揃えて、
歌舞伎がいかに幅広い歴史からエキスを吸って
生き延びているかを肌で感じさせてくれた演目だった。
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 勘太郎
後見 松 也
千歳 鶴 松
翁 獅 童
サイレントコメディなうえに、まあ身体がよく動く。
関節とかグニャグニャパキパキと漫画のよう。
操り人形を演じるんだけど、パントマイムとかなくても
自前でこういう文化があるのって面白い。
操り人形のパントマイムやってみたら、よくない?って
思いつくあたりがすさまじい雑食性。
今回は、席がステージに近かったので、
脚にかかる加重とか床をつかむ指とか感じることができて
歌舞伎の身体性を改めて確認できた。
二、新版歌祭文
野崎村(のざきむら)
お光 福 助
お染 孝太郎
後家お常 秀 調
久作 彌十郎
久松 橋之助
よくできたワイドショー話で、農家の娘が好きな男と
一緒になれるとウキウキしていると、都会から超かわいい
姫がその男を追ってやってきちゃうという。
その農家の娘のきゃぴきゃぴした感じとかが
異常に偏見たっぷりにバカにしてて面白い。
うまかったなあ、ほんと、この日の役者さん。
セットもぐるぐる回って、最後なんか家の裏の
川の土手に変身して船に乗って去っていくという
スペクタクル。アイディア、アイディア、
驚くことならなんでもやってやろうという精神が
素晴らしい。
三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん )
山蔭右京 勘三郎
太郎冠者 染五郎
侍女千枝 巳之助
侍女小枝 新 悟
奥方玉の井 三津五郎
こっちはコント。勘三郎ってほんと面白い。
声がそもそも面白いのと、リズムがくだらない。
なんかいちいちふざけているんだと思うんだけど、
ムダなことを加えて加えて、そこに溺れる面白さ。
でも、嫌みじゃないあたりが名優なんだろうなあ。
浮気して帰ってくる当たりの、喜ぶ男のダメな感じとか
もうジャストミートな様子で、楽しい。
四、大江戸りびんぐでっど(おおえどりびんぐでっど)
半助 染五郎
お葉 七之助
大工の辰 勘太郎
根岸肥前守 彌十郎
遣手お菊 萬次郎
丁兵衛 市 蔵
与兵衛 亀 蔵
佐平次 井之上隆志
紙屑屋久六 猿 弥
和尚実は死神 獅 童
石坂段右衛門 橋之助
女郎お染 扇 雀
女郎喜瀬川 福 助
四十郎 三津五郎
新吉 勘三郎
宮藤官九郎が書いた新作。江戸にゾンビが現れる。
というとんでもない話。しかもクサヤの汁を浴びると。
いやあ、歌舞伎書いても、まったくぶれないあたりが
需要と供給だなあ、発注する方もしやすいなあと思う。
上がりが思った通りになるなんて安心だもの。
そして、もう話も何もかもめちゃくちゃだけど
しっかり歌舞伎にしていく役者陣のものすごい
懐の深さ。伝統芸能の中でも足腰の強さ。
旬なものを食べて吐き出さずに自分自身を変容させつつ
自分の栄養にしてしまう。
ものすごいアレルギー反応はあっただろうからなあ。
ほとんどが特殊メイクをした(ゾンビメイク…)歌舞伎って
いやあ、いいものを見た。
とりあえず、出来というよりもスタンスに圧倒です。
歌舞伎というものの。
なんでも壊してみなきゃ分からないよねえ、
いけるかいけないかも。
常設だけどさあ「ZED/シルク・ド・ソレイユ」
テントのやつは何回か見てて、その度に結構感動する
シルク・ド・ソレイユ。話に聞くラスベガスのやつは
ものすごそうで、もうそりゃあ羨ましい。「O」とか。
常設ってことで、とっても期待していったんだけど。
ん?ん??
なんか装置がテントのやつとさほどスゴさが変わらない。
こっそり床がいくつも変わったりするようなんだけど、
それってすごいの?噂では、床ごとガンガン動いたりするらしいのに。
アメリカだと。
正直、やっている演目は割とみたことある大道芸なので
演出でみていくものだと思うんだけど、
ワイヤーアクションもブラブラしているだけで
あまり3D的な動きもなく、おとなしめ。
脅かしでいえば、オープニングがピークかなあ。
ステージ全面を覆っていた幕がばーっと美しく消え去る。
ただ、これって、東大でお芝居やってたときに駒場でも見た。
アイディアで想像できないところではないし。
歌もバカウマい感じではなく、音響がいまいちなのか、
心に入ってこない。正直、あれだ、オリエンタルランドは
きっとだまされ気味だなあと思った。たくさんお金払って
セカンドベストが来た感じ。まあ、仕方がない。
観光のセットになっているらしく、席は満員。
グッズもものすごく売れていた。ビジネスとしてはいいのか。
これで。
テーマ設定とかは参考にあるので、下記に。
人生は冒険。そこに、 詩 ( うた ) が生まれる。
彼の名は、Zed(ゼッド)。
彼が旅する世界は、天と地。
そこであらゆる生命と、
大いなる女神と、スフィンクスと…
命の躍動に出会います。
さまざまな経験を重ね、
彼自身が成長すると同時に
彼が生きた天と地という
2つの世界がひとつに結ばれます。
彼の経験と彼が生きた世界のすべてが、
心で感じずにはいられないもの。
この叙情あふれる冒険の旅を通じて誰もが人間の、
人生の経験の本質に迫っていくことができるでしょう。
シルク・ド・ソレイユ。話に聞くラスベガスのやつは
ものすごそうで、もうそりゃあ羨ましい。「O」とか。
常設ってことで、とっても期待していったんだけど。
ん?ん??
なんか装置がテントのやつとさほどスゴさが変わらない。
こっそり床がいくつも変わったりするようなんだけど、
それってすごいの?噂では、床ごとガンガン動いたりするらしいのに。
アメリカだと。
正直、やっている演目は割とみたことある大道芸なので
演出でみていくものだと思うんだけど、
ワイヤーアクションもブラブラしているだけで
あまり3D的な動きもなく、おとなしめ。
脅かしでいえば、オープニングがピークかなあ。
ステージ全面を覆っていた幕がばーっと美しく消え去る。
ただ、これって、東大でお芝居やってたときに駒場でも見た。
アイディアで想像できないところではないし。
歌もバカウマい感じではなく、音響がいまいちなのか、
心に入ってこない。正直、あれだ、オリエンタルランドは
きっとだまされ気味だなあと思った。たくさんお金払って
セカンドベストが来た感じ。まあ、仕方がない。
観光のセットになっているらしく、席は満員。
グッズもものすごく売れていた。ビジネスとしてはいいのか。
これで。
テーマ設定とかは参考にあるので、下記に。
人生は冒険。そこに、 詩 ( うた ) が生まれる。
彼の名は、Zed(ゼッド)。
彼が旅する世界は、天と地。
そこであらゆる生命と、
大いなる女神と、スフィンクスと…
命の躍動に出会います。
さまざまな経験を重ね、
彼自身が成長すると同時に
彼が生きた天と地という
2つの世界がひとつに結ばれます。
彼の経験と彼が生きた世界のすべてが、
心で感じずにはいられないもの。
この叙情あふれる冒険の旅を通じて誰もが人間の、
人生の経験の本質に迫っていくことができるでしょう。
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