いみもなく
おびえてむねが
ばたばたと
2008年6月30日月曜日
執念。怨念。「アール・ブリュット/交差する魂」@松下汐留ミュージアム
アール・ブリュット<生の芸術>
(またはアウトサイダー・アート)と称される作品たちは、
正規の美術教育を受けていない人たちによって、
文化潮流や伝統、また流行などとは無縁に制作されています。
作り手本人のやむにやまれぬ思いにのみ司られ、作られているのです。
それゆえ作品は、人が人として存在する上で根源的に持っている
「表現したい衝動」というものの底流を、ありありと伝えて来ます。
この展覧会は、そうした芸術を初めて正当に評価した
ジャン・デュビュッフェにより創始された
アール・ブリュット・コレクション(スイスローザンヌ市)と
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(滋賀県近江八幡市)との
連携により企画されたものです。
既に評価の定まっているアール・ブリュット・コレクションの作品と
日本のアウトサイダー・アートが洋の東西を超えてここに初めて
歴史的な邂逅を遂げます。
双方の「交差する魂」は、私たちに未知の世界を見せてくれるでしょう。
民族や歴史、文化という背景が異なっても、人が表現に向かう
直裁なかたちには共通の夢が内包されており、
様々な社会的規制の束縛から精神の自由や独創を獲得する人間の力を、
ここで私たちはよりリアルに感じることが可能になるのだと思います。
通常の美術展という枠には収まらないボーダレスな世界。
私たちにとって表現とは芸術とは何であるのか。
多くの方々にとってこの展覧会が、それぞれの心の深い部分で
それを体感していただける機会になることを願っています。
そんなお題目の展覧会。
とにかくめまいがするほどの集中力を感じる。
もう徹底的。のめりこむ。他を見ない。いっさい。
でも、この状態になるには、何かを欠かさないといけない。
らしい。
やはり、考えて考えて考えてたどりつく、その先と
何かを失ってたどりつく、その先が同じだったとしたら
頭を使ってたどりつく場所の方が、素晴らしいと思う。
執念というか怨念というか、結局のところ分からない想いを
すごいって言い始めたら、極端な話、人間の力がおよばないモノが
何よりもすごいじゃんってことになったりして
それは、美しいものにたどりつこうとする感覚とは
相容れないものなんじゃないかなと思ったり。
そこにある、そのまま、自然を慈しむ感覚にきっと近い。
もう息苦しいくらいどろっとした空気が充満する展示室。
色、線、粒、紙きれ、盛り上がり。
そこに何かを発見して見せるのは簡単だけど
そんなこと意図されてないモノに何かを見いだすことが
商売になっちゃってるのが、気持ち悪い。
(またはアウトサイダー・アート)と称される作品たちは、
正規の美術教育を受けていない人たちによって、
文化潮流や伝統、また流行などとは無縁に制作されています。
作り手本人のやむにやまれぬ思いにのみ司られ、作られているのです。
それゆえ作品は、人が人として存在する上で根源的に持っている
「表現したい衝動」というものの底流を、ありありと伝えて来ます。
この展覧会は、そうした芸術を初めて正当に評価した
ジャン・デュビュッフェにより創始された
アール・ブリュット・コレクション(スイスローザンヌ市)と
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(滋賀県近江八幡市)との
連携により企画されたものです。
既に評価の定まっているアール・ブリュット・コレクションの作品と
日本のアウトサイダー・アートが洋の東西を超えてここに初めて
歴史的な邂逅を遂げます。
双方の「交差する魂」は、私たちに未知の世界を見せてくれるでしょう。
民族や歴史、文化という背景が異なっても、人が表現に向かう
直裁なかたちには共通の夢が内包されており、
様々な社会的規制の束縛から精神の自由や独創を獲得する人間の力を、
ここで私たちはよりリアルに感じることが可能になるのだと思います。
通常の美術展という枠には収まらないボーダレスな世界。
私たちにとって表現とは芸術とは何であるのか。
多くの方々にとってこの展覧会が、それぞれの心の深い部分で
それを体感していただける機会になることを願っています。
そんなお題目の展覧会。
とにかくめまいがするほどの集中力を感じる。
もう徹底的。のめりこむ。他を見ない。いっさい。
でも、この状態になるには、何かを欠かさないといけない。
らしい。
やはり、考えて考えて考えてたどりつく、その先と
何かを失ってたどりつく、その先が同じだったとしたら
頭を使ってたどりつく場所の方が、素晴らしいと思う。
執念というか怨念というか、結局のところ分からない想いを
すごいって言い始めたら、極端な話、人間の力がおよばないモノが
何よりもすごいじゃんってことになったりして
それは、美しいものにたどりつこうとする感覚とは
相容れないものなんじゃないかなと思ったり。
そこにある、そのまま、自然を慈しむ感覚にきっと近い。
もう息苦しいくらいどろっとした空気が充満する展示室。
色、線、粒、紙きれ、盛り上がり。
そこに何かを発見して見せるのは簡単だけど
そんなこと意図されてないモノに何かを見いだすことが
商売になっちゃってるのが、気持ち悪い。
そういえばのこと「N.S.ハーシャ/レフトオーバーズ」@メゾンエルメス
言われて気がつくことがある。
見せられてハッとすることがある。
ここで並んでいるのは、一見まったく変わらない
人それぞれの食べ残し。っていうか最初気づかない。
なんだ?これ?って感じに、葉っぱとご飯が並んでる。
しかも、食玩で。
考えてみれば、食べ方って本当に個性があるよねえ。
散らかし方とか残し方とか。
この人、他にも寝てる姿をひたすら描いて
屋根一面を雑魚寝模様にしたりしてる。
人の生態の現れる痕跡は日常の中に出るんだなあ。
毎日の生活ってあなどれない。
決して、美しくないけれど、リアルに世界の見方に
響いたりする感じは悪くない。
最近のエルメスのインドビジュアルが大好きなので
まったくこの展覧会とは関係ないけど気分はいい。
日本に来て、食玩見て、心を奪われたインドのアーティストがいる。
日本にいて、そんなことまったく気づかない自分がいる。
どこに世界が切り取られるキッカケが眠っているかなんて
まったく分からない。
見せられてハッとすることがある。
ここで並んでいるのは、一見まったく変わらない
人それぞれの食べ残し。っていうか最初気づかない。
なんだ?これ?って感じに、葉っぱとご飯が並んでる。
しかも、食玩で。
考えてみれば、食べ方って本当に個性があるよねえ。
散らかし方とか残し方とか。
この人、他にも寝てる姿をひたすら描いて
屋根一面を雑魚寝模様にしたりしてる。
人の生態の現れる痕跡は日常の中に出るんだなあ。
毎日の生活ってあなどれない。
決して、美しくないけれど、リアルに世界の見方に
響いたりする感じは悪くない。
最近のエルメスのインドビジュアルが大好きなので
まったくこの展覧会とは関係ないけど気分はいい。
日本に来て、食玩見て、心を奪われたインドのアーティストがいる。
日本にいて、そんなことまったく気づかない自分がいる。
どこに世界が切り取られるキッカケが眠っているかなんて
まったく分からない。
2008年6月27日金曜日
日常の劇場「て/ハイバイ」@駅前劇場
人の好みなのだろうけど、日常の中に潜む
劇場感ばかりを駆り立てようとすると
どうしても、本当の日常の強度に勝たないなあと
そんなことを思う。そんな舞台だった。
どんなに日常を装って、日常に近づこうとすればするほど
遠ざかっているけれど、そんなものばかりが
評価を集めて、世の中に認められていくのは
どうなんだろうか?もっともっと劇的でわざとらしく
大仰に世間をだまして欲しいもんだ。
その勇気とかその気概とか、もうすっかり
失われた時代に生きているってことなんだろうか?
葬式に集まった家族に潜む、人間関係のゆがみ。
距離感、隔絶感、遠慮、嫌悪。
そんなもの、日常の方が圧倒的に切羽詰まる。
空気を再現したところで、再現の強度は低く、
木っ端みじんにくだけ散る。おとなしくないもので
気が狂っているだけではない、完全なる娯楽を
舞台で観たい、と思うとなぜか大きな劇場に向かう。
そういうことかと、かなり寂しい。
劇場感ばかりを駆り立てようとすると
どうしても、本当の日常の強度に勝たないなあと
そんなことを思う。そんな舞台だった。
どんなに日常を装って、日常に近づこうとすればするほど
遠ざかっているけれど、そんなものばかりが
評価を集めて、世の中に認められていくのは
どうなんだろうか?もっともっと劇的でわざとらしく
大仰に世間をだまして欲しいもんだ。
その勇気とかその気概とか、もうすっかり
失われた時代に生きているってことなんだろうか?
葬式に集まった家族に潜む、人間関係のゆがみ。
距離感、隔絶感、遠慮、嫌悪。
そんなもの、日常の方が圧倒的に切羽詰まる。
空気を再現したところで、再現の強度は低く、
木っ端みじんにくだけ散る。おとなしくないもので
気が狂っているだけではない、完全なる娯楽を
舞台で観たい、と思うとなぜか大きな劇場に向かう。
そういうことかと、かなり寂しい。
2008年6月24日火曜日
尊敬。井上雄彦。「最後のマンガ展」@上野
わざわざバガボンドを一巻から最新刊まで
漫画喫茶で一気読みして駆けつけた。そのかいあり。
宮本武蔵、その最後の日に何を見たのか?
その漫画。
美術館で歩きながら、空間を感じながら、漫画を読む。
コントロールされた身体サイズの空白。景色。時間。
一定の歩みで流れていくコマの動き、巨大な絵姿。
裁断された小空間。セリフの行き来。
何もかもがベタなのかもしれない。でも、それでいいのかも。
もう分かりやすく、そして深く感動。
物事を分かりにくく、ひねりあげ、間違いがないように、
深く深く沈むことができるように作り上げる力も
凄いとは思うが、ならば、普通にエンターテインメントを
語らない方がいい。もう一対一の勝負だ、それは。
たくさんの客がそれを楽しむことなど、早いこと放棄した方がいい。
そこと勝負し続ける、客がいることを意識し続ける、
ショービズに居続けることのきつさや美しさが昇華した
本当に見事な美術展だった。
泣けるもの。
筆遣いとかすさまじい。何かを表現するためだけに磨かれた
技術だからだろう。伝えるために線が徹底して引かれる。
刷毛で墨がこすられ、のばされ、散らされる。
美ということだけでなく、楽しませる、人の人生に作用する、
そのために使われる筆運びは、心ににょきにょきと
入り込み、ねじあがり、すいこまれていく。
いやいや、どうしたら、こんな線に進化したのだろう。
継続や数というのは、重要なのだなあと反復による
人の能力の格段の進歩を知って、たのもしく、うらやましい。
漫画喫茶で一気読みして駆けつけた。そのかいあり。
宮本武蔵、その最後の日に何を見たのか?
その漫画。
美術館で歩きながら、空間を感じながら、漫画を読む。
コントロールされた身体サイズの空白。景色。時間。
一定の歩みで流れていくコマの動き、巨大な絵姿。
裁断された小空間。セリフの行き来。
何もかもがベタなのかもしれない。でも、それでいいのかも。
もう分かりやすく、そして深く感動。
物事を分かりにくく、ひねりあげ、間違いがないように、
深く深く沈むことができるように作り上げる力も
凄いとは思うが、ならば、普通にエンターテインメントを
語らない方がいい。もう一対一の勝負だ、それは。
たくさんの客がそれを楽しむことなど、早いこと放棄した方がいい。
そこと勝負し続ける、客がいることを意識し続ける、
ショービズに居続けることのきつさや美しさが昇華した
本当に見事な美術展だった。
泣けるもの。
筆遣いとかすさまじい。何かを表現するためだけに磨かれた
技術だからだろう。伝えるために線が徹底して引かれる。
刷毛で墨がこすられ、のばされ、散らされる。
美ということだけでなく、楽しませる、人の人生に作用する、
そのために使われる筆運びは、心ににょきにょきと
入り込み、ねじあがり、すいこまれていく。
いやいや、どうしたら、こんな線に進化したのだろう。
継続や数というのは、重要なのだなあと反復による
人の能力の格段の進歩を知って、たのもしく、うらやましい。
2008年6月21日土曜日
おっさんとともに「僕の彼女はサイボーグ」
みんな綾瀬はるかファンか?同類か?おれ。
とおじけづくほどにシニアな客しかいない。
ピンク映画館のようなたたずまいになるホール。
なんだ?これ?そうかあ、この団体の中の一員か。
少々覚悟と自分の確実なおっさんステップを感じる。
映画は興行収入はまるで伸びない感じらしいけど
綾瀬はるかの可愛さは十二分に捉まえてて
ホントウに単純に堪能した。きっと周りのおっさんも。
みんな満足だっただろう!
綾瀬はるかはコスプレ要素が高いと、この映画で
気づかされる。女子っぽい服はことごとく似合う。
変にファッショナブルなんかじゃなくて、いわゆる
「女子」な服なら、どれを着てもかなり高い確率で
グッとくる。そうだろう!周りのおっさん!
いちいち周りのおっさんが気になり、帰りのエレベ−ターも
おっさんでいっぱいで綾瀬はるかに癒されたい大人が
同じエレベーターで下界にくだっていくのは
妙に切なかった。もっと日常で満たされてほしい。
綾瀬はるかは走れないけれど、
ふらふらっと歩く姿がいけてることに気づく。
それはそれで希少なので、よいことだ。
とおじけづくほどにシニアな客しかいない。
ピンク映画館のようなたたずまいになるホール。
なんだ?これ?そうかあ、この団体の中の一員か。
少々覚悟と自分の確実なおっさんステップを感じる。
映画は興行収入はまるで伸びない感じらしいけど
綾瀬はるかの可愛さは十二分に捉まえてて
ホントウに単純に堪能した。きっと周りのおっさんも。
みんな満足だっただろう!
綾瀬はるかはコスプレ要素が高いと、この映画で
気づかされる。女子っぽい服はことごとく似合う。
変にファッショナブルなんかじゃなくて、いわゆる
「女子」な服なら、どれを着てもかなり高い確率で
グッとくる。そうだろう!周りのおっさん!
いちいち周りのおっさんが気になり、帰りのエレベ−ターも
おっさんでいっぱいで綾瀬はるかに癒されたい大人が
同じエレベーターで下界にくだっていくのは
妙に切なかった。もっと日常で満たされてほしい。
綾瀬はるかは走れないけれど、
ふらふらっと歩く姿がいけてることに気づく。
それはそれで希少なので、よいことだ。
2008年6月18日水曜日
2008年6月17日火曜日
キャラクター祭り「ザ・マジックアワー」
途中まではうまいなあと思うけど
なんか後半はうまいのか?という不思議な仕上がり。
最近、シメよう!上手にシメよう!と思うのか
三谷さん、後半に向けて話が小さくなる。
と偉そうに書くものの、あっぱれな満員御礼。
映画館ぎっしりの客席、久々に見た。
あれは、もう昭和の景色だ。なかなかない。
PRし過ぎだとかいろんな偉い人がたたいてたけど
PRすることの大変さをしらないんだ。
出てみればいいんだ、あんなにたくさん。あれは悲惨。
もうすり切れまくりだと思う。PRすり切れ。
がんばる監督は美しい。見てもらおうというのは感心。
とにかくちょい役とか含めて出てくる人出てくる人
くだらなくて、キャラクター祭りとしては最高。
なんで、そういうキャラ設定なの?という人が
次々に画面を横切る凄さ。
隣の人とか、あ!アッ!とか見つけて盛り上がってたし。
佐藤浩市を見るだけでも価値ありです。
たまたま出てた綾瀬はるかを見て
僕の彼女はサイボーグのことを思い出し、見に行った。
綾瀬はるかのかわいさはそっちの完勝だった。
三谷さん、あんまりかわいく女子を撮らないからなあ。
なんか後半はうまいのか?という不思議な仕上がり。
最近、シメよう!上手にシメよう!と思うのか
三谷さん、後半に向けて話が小さくなる。
と偉そうに書くものの、あっぱれな満員御礼。
映画館ぎっしりの客席、久々に見た。
あれは、もう昭和の景色だ。なかなかない。
PRし過ぎだとかいろんな偉い人がたたいてたけど
PRすることの大変さをしらないんだ。
出てみればいいんだ、あんなにたくさん。あれは悲惨。
もうすり切れまくりだと思う。PRすり切れ。
がんばる監督は美しい。見てもらおうというのは感心。
とにかくちょい役とか含めて出てくる人出てくる人
くだらなくて、キャラクター祭りとしては最高。
なんで、そういうキャラ設定なの?という人が
次々に画面を横切る凄さ。
隣の人とか、あ!アッ!とか見つけて盛り上がってたし。
佐藤浩市を見るだけでも価値ありです。
たまたま出てた綾瀬はるかを見て
僕の彼女はサイボーグのことを思い出し、見に行った。
綾瀬はるかのかわいさはそっちの完勝だった。
三谷さん、あんまりかわいく女子を撮らないからなあ。
2008年6月15日日曜日
白人白人「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」@森美術館
なんか分からんけど、本当に白人の方々が多い美術館内。
不思議だ。ターナー賞好きなのか?白人。
同じ森美術館でいろいろ見るけれど、
こんなに白人の方々ばかりと見たのはあまりない。
まあ、たまたまだろうけど。
ちょっと塊感がない感じだったけど、世の中で
流行りそうな雰囲気は伝わった。
イギリスものはちょっとあっさりで、しかも
頭よさげなところも結構あって、なかなか個人的には
ガツンとこないことが多いんだけど。
ちょっと、身体が動いてない気がしてしまうんだなあ。
頭先行なイメージが強い。
受賞者一覧
1984 マルコム・モーリー
1985 ハワード・ホジキン
1986 ギルバート&ジョージ
1987 リチャード・ディーコン
1988 トニー・クラッグ
1989 リチャード・ロング
1990 実施されず
1991 アニッシュ・カプーア
1992 グレンヴィル・デイヴィー
1993 レイチェル・ホワイトリード
1994 アントニー・ゴームリー
1995 デミアン・ハースト
1996 ダグラス・ゴードン
1997 ジリアン・ウェアリング
1998 クリス・オフィリ
1999 スティーヴ・マックィーン
2000 ヴォルフガング・ティルマンス
2001 マーティン・クリード
2002 キース・タイソン
2003 グレイソン・ペリー
2004 ジェレミー・デラー
2005 サイモン・スターリング
2006 トマ・アブツ
2007 マーク・ウォリンジャー
個人的にはやっぱり本物はすげえ、グッときた
牛まっぷたつのデミアン・ハーストを見て
おばちゃんがしきりに
「なんでこんなことするん?かわいそうや!
こんなん見たない!ああ!いやや!」
とわめいていたのが、印象的だった。
そういう感情すら起こることも大事なんだろうけど
スキャンダラスなことばかりで、グッと美しいモノ
(単純にキレイ!的なモノ)が少ない気もして
リフレッシュにはなりにくかった。
グレイソン・ペリーのパッチワークな壷も結構好き。
クリス・オフィリのつぶつぶな黒人も表面の
肌触り感がよかった。
ジリアン・ウェアリングの60分間立たせっぱなしの
記念写真VTRもくだらない。
ヴォルフガング・ティルマンスの写真はすかしな感じ。
不思議だ。ターナー賞好きなのか?白人。
同じ森美術館でいろいろ見るけれど、
こんなに白人の方々ばかりと見たのはあまりない。
まあ、たまたまだろうけど。
ちょっと塊感がない感じだったけど、世の中で
流行りそうな雰囲気は伝わった。
イギリスものはちょっとあっさりで、しかも
頭よさげなところも結構あって、なかなか個人的には
ガツンとこないことが多いんだけど。
ちょっと、身体が動いてない気がしてしまうんだなあ。
頭先行なイメージが強い。
受賞者一覧
1984 マルコム・モーリー
1985 ハワード・ホジキン
1986 ギルバート&ジョージ
1987 リチャード・ディーコン
1988 トニー・クラッグ
1989 リチャード・ロング
1990 実施されず
1991 アニッシュ・カプーア
1992 グレンヴィル・デイヴィー
1993 レイチェル・ホワイトリード
1994 アントニー・ゴームリー
1995 デミアン・ハースト
1996 ダグラス・ゴードン
1997 ジリアン・ウェアリング
1998 クリス・オフィリ
1999 スティーヴ・マックィーン
2000 ヴォルフガング・ティルマンス
2001 マーティン・クリード
2002 キース・タイソン
2003 グレイソン・ペリー
2004 ジェレミー・デラー
2005 サイモン・スターリング
2006 トマ・アブツ
2007 マーク・ウォリンジャー
個人的にはやっぱり本物はすげえ、グッときた
牛まっぷたつのデミアン・ハーストを見て
おばちゃんがしきりに
「なんでこんなことするん?かわいそうや!
こんなん見たない!ああ!いやや!」
とわめいていたのが、印象的だった。
そういう感情すら起こることも大事なんだろうけど
スキャンダラスなことばかりで、グッと美しいモノ
(単純にキレイ!的なモノ)が少ない気もして
リフレッシュにはなりにくかった。
グレイソン・ペリーのパッチワークな壷も結構好き。
クリス・オフィリのつぶつぶな黒人も表面の
肌触り感がよかった。
ジリアン・ウェアリングの60分間立たせっぱなしの
記念写真VTRもくだらない。
ヴォルフガング・ティルマンスの写真はすかしな感じ。
2008年6月14日土曜日
珍美体験「シャネル・モバイルアート」@代々木公園内特設会場
代々木の丹下建築の脇に現れた
ザハ・ハディドのうねうね建築は
世界各国を動き回り、アートのハコごと
移動する移動型美術展。シャネルがやってる。
しかも、タダ。すごいぞ。シャネル。
MP3プレイヤーをつけて、ナレーションに従って
館内を歩きまわる40分のコンテンポラリーアート体験。
美術館とかのアートとの向き合いとは違う
なんだろう?一言でいうと・・・
好きなもの、こんなの集めた!という自慢を聞く感じ。
非常に悪くない。ただ、アートを見に行くというよりも
その特異な体験をしにいく、シャネルにお呼ばれする、
あくまでもイベントだと思う。
作品にはひたれないし、自分の好きなアングルにも入れない。
だけど、楽しい。むしろ自分を失くして没入すると得する。
明確な意図を持って、こんな風にワタシは見てほしいの!と
主張する美意識が、よい。嫌いな人は嫌いかもだけど。
シャネルのバッグをテーマにずらりとそろったアーティストたち。
荒木 経惟 (日本)
オノ ヨーコ(日本)
ダニエル ビュレン (フランス)
イ ブル (韓国)
ソフィ カル (フランス)
田尾 創樹 (日本)
ロリス チェッキーニ (イタリア)
ヴィム デルヴォワイエ (ベルギー)
レアンドロ エルリッヒ (アルゼンチン)
シルヴィ フルーリ (スイス)
楊 福東(ヤン フートン)(中国)
スボード グプタ (インド)
ファブリス イベール (フランス)
ピエール&ジル (フランス)
Y. Z. カミ (イラン)
デヴィッド レヴィンソール (アメリカ合衆国)
マイケル リン (台湾)
ブルー ノージズ (ロシア)
スティーブン ショア (アメリカ合衆国)
束芋 (日本)
ダニエル・ビュレンの刺青豚。
レアンドロ・エルリッヒの街の映る水溜り。
ブルー・ノージズのダンボール覗いたら裸映像。
そんなモノにグッときた。
まあ、アートとしては、もっといいものが他にもあるけど
建物に入って、音楽にのせて、言葉を聞いて、景色を見る。
一連で楽しめます。こういうイベントは豪華ですごくよい。
自分でも何か作ってご招待したいぐらい。
こういう体験は珍しいからしといた方が、よいですな。
ザハ・ハディドのうねうね建築は
世界各国を動き回り、アートのハコごと
移動する移動型美術展。シャネルがやってる。
しかも、タダ。すごいぞ。シャネル。
MP3プレイヤーをつけて、ナレーションに従って
館内を歩きまわる40分のコンテンポラリーアート体験。
美術館とかのアートとの向き合いとは違う
なんだろう?一言でいうと・・・
好きなもの、こんなの集めた!という自慢を聞く感じ。
非常に悪くない。ただ、アートを見に行くというよりも
その特異な体験をしにいく、シャネルにお呼ばれする、
あくまでもイベントだと思う。
作品にはひたれないし、自分の好きなアングルにも入れない。
だけど、楽しい。むしろ自分を失くして没入すると得する。
明確な意図を持って、こんな風にワタシは見てほしいの!と
主張する美意識が、よい。嫌いな人は嫌いかもだけど。
シャネルのバッグをテーマにずらりとそろったアーティストたち。
荒木 経惟 (日本)
オノ ヨーコ(日本)
ダニエル ビュレン (フランス)
イ ブル (韓国)
ソフィ カル (フランス)
田尾 創樹 (日本)
ロリス チェッキーニ (イタリア)
ヴィム デルヴォワイエ (ベルギー)
レアンドロ エルリッヒ (アルゼンチン)
シルヴィ フルーリ (スイス)
楊 福東(ヤン フートン)(中国)
スボード グプタ (インド)
ファブリス イベール (フランス)
ピエール&ジル (フランス)
Y. Z. カミ (イラン)
デヴィッド レヴィンソール (アメリカ合衆国)
マイケル リン (台湾)
ブルー ノージズ (ロシア)
スティーブン ショア (アメリカ合衆国)
束芋 (日本)
ダニエル・ビュレンの刺青豚。
レアンドロ・エルリッヒの街の映る水溜り。
ブルー・ノージズのダンボール覗いたら裸映像。
そんなモノにグッときた。
まあ、アートとしては、もっといいものが他にもあるけど
建物に入って、音楽にのせて、言葉を聞いて、景色を見る。
一連で楽しめます。こういうイベントは豪華ですごくよい。
自分でも何か作ってご招待したいぐらい。
こういう体験は珍しいからしといた方が、よいですな。
2008年6月7日土曜日
凄!凄!凄!「エミリー・ウングワレー展」@国立新美術館
オーストラリア中央の砂漠地帯で、
アボリジニの伝統的な生活を送りながら、
儀礼のためのボディ・ペインティングや砂絵を描いていたが、
1977年からバティック(ろうけつ染め)の制作をはじめ、
88年からはカンヴァス画を描きはじめる。
その後亡くなるまでのわずか8年の間に
3千点とも4千点ともいわれる作品を残した。
90年以降はシドニー、メルボルン、ブリスベーンで個展を開催。
没後も97年にヴェネツィア・ビエンナーレの
オーストラリア代表に選ばれ、
98年にはオーストラリア国内を巡回する大回顧展が開催された。
*****************************
そんな展覧会。
この人、80歳すぎて、絵筆をとったって。
いやあ、ダントツ今年一番です。
もう、なんか説明しにくい感じなんですけど、
すごい景色を観た時に、その景色に溶ける風に感じる
あの雰囲気が、絵の中に封じられているのね。
もうねえ、脳みその中の感動要素をまんま
外に出した感じで驚くことこのうえない。
プリミティブなモノが凄いとはよく言うけれど、
考えに考えぬいてきた現代西洋美術が行き着いた先と
大昔から続いてきた魂を描きつけたアートが
まったく同じ世界にたどりつく、その凄まじさ。
なんだろう?かたちをかたちとして見る訓練を
知らず知らずにしているんだなあとつくづく思った。
本当に点描でしかない抽象画なのに、
ふと何かがうかびあがる。意識って怖い。脳って何だ?
で、ひとりで一気にいろいろな観念世界を
ワープしていく、このおばあちゃんは本当に半端ない。
いやあ、いいもん観た。
アボリジニの伝統的な生活を送りながら、
儀礼のためのボディ・ペインティングや砂絵を描いていたが、
1977年からバティック(ろうけつ染め)の制作をはじめ、
88年からはカンヴァス画を描きはじめる。
その後亡くなるまでのわずか8年の間に
3千点とも4千点ともいわれる作品を残した。
90年以降はシドニー、メルボルン、ブリスベーンで個展を開催。
没後も97年にヴェネツィア・ビエンナーレの
オーストラリア代表に選ばれ、
98年にはオーストラリア国内を巡回する大回顧展が開催された。
*****************************
そんな展覧会。
この人、80歳すぎて、絵筆をとったって。
いやあ、ダントツ今年一番です。
もう、なんか説明しにくい感じなんですけど、
すごい景色を観た時に、その景色に溶ける風に感じる
あの雰囲気が、絵の中に封じられているのね。
もうねえ、脳みその中の感動要素をまんま
外に出した感じで驚くことこのうえない。
プリミティブなモノが凄いとはよく言うけれど、
考えに考えぬいてきた現代西洋美術が行き着いた先と
大昔から続いてきた魂を描きつけたアートが
まったく同じ世界にたどりつく、その凄まじさ。
なんだろう?かたちをかたちとして見る訓練を
知らず知らずにしているんだなあとつくづく思った。
本当に点描でしかない抽象画なのに、
ふと何かがうかびあがる。意識って怖い。脳って何だ?
で、ひとりで一気にいろいろな観念世界を
ワープしていく、このおばあちゃんは本当に半端ない。
いやあ、いいもん観た。
2008年6月5日木曜日
刺さるんだけど「THE SHAMPOO HAT『立川ドライブ』」@シアタートラム
人生は変えないお芝居はたくさんあって
とってもいいお芝居だったんだけど、なんかそういう感じ。
でも、少しでも人生に隙間を与えるキッカケを与えて欲しい、お芝居には。
というか、芸術と名のつくものには。
芸術ではなくて、芸能だと割り切るならば、もっともっとシンプルに
楽しませて欲しい。想いとかもまるごと乗せて、
楽に人生をふるわせてほしい。
また、震わせたい。
なんとなく見ちゃったモノで、日常がずれるきっかけが
テレビにもきっとあって
だから、テレビも面白いのだと日々思う。
そして、まだ見捨てられていないのだと思う。
お芝居にしかできないことを、たくさん夢見ていただけに
もっともっと演劇さんには、
刺激ある舞台を生み出して欲しいのだ。
でも、このお芝居は伝われっていう熱はものすごく感じたし、
その熱をうまく消化している感じで、気持ちにグッときた。
でも、気がふれる以外に、今を語る要素ってないのかなあ。
なんか、もう随分長いこと、作者の中に
そこに気持ちを持っていかれている方々が多くて、
正直、疲れてきてる。
携帯小説の方が、リアルな軽薄さがあって
そこにしっかりつかる人がいればいいのにと思う。
今を生きているカルチャーヒーローがいない。
若手と呼ばれる演劇さんたちに。
古典とかじゃなくて、今を、
見たことない世界として、立ち上げて欲しいなあ。
芸能のヒーローが誕生しないかなあ。芸術に逃げ込まずに。
とってもいいお芝居だったんだけど、なんかそういう感じ。
でも、少しでも人生に隙間を与えるキッカケを与えて欲しい、お芝居には。
というか、芸術と名のつくものには。
芸術ではなくて、芸能だと割り切るならば、もっともっとシンプルに
楽しませて欲しい。想いとかもまるごと乗せて、
楽に人生をふるわせてほしい。
また、震わせたい。
なんとなく見ちゃったモノで、日常がずれるきっかけが
テレビにもきっとあって
だから、テレビも面白いのだと日々思う。
そして、まだ見捨てられていないのだと思う。
お芝居にしかできないことを、たくさん夢見ていただけに
もっともっと演劇さんには、
刺激ある舞台を生み出して欲しいのだ。
でも、このお芝居は伝われっていう熱はものすごく感じたし、
その熱をうまく消化している感じで、気持ちにグッときた。
でも、気がふれる以外に、今を語る要素ってないのかなあ。
なんか、もう随分長いこと、作者の中に
そこに気持ちを持っていかれている方々が多くて、
正直、疲れてきてる。
携帯小説の方が、リアルな軽薄さがあって
そこにしっかりつかる人がいればいいのにと思う。
今を生きているカルチャーヒーローがいない。
若手と呼ばれる演劇さんたちに。
古典とかじゃなくて、今を、
見たことない世界として、立ち上げて欲しいなあ。
芸能のヒーローが誕生しないかなあ。芸術に逃げ込まずに。
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