仕上がった写真の裏側をたくさん見てみて思うことは
やはり、素晴らしい出来の作品のウラにあるのは、
そのジャンルのあらゆることを知り尽くした「技術」だ。
ということ。
身ひとつで何かを生み出すジャンルとは別に
間違いなく身につけたブレない技術が生み出す
作品もあるのが、今という時代だなあと思う。
本当に、撮っただけじゃない。
セットも、カメラも、その先の画面加工も。
何もかもを見据えた上で、人間と向き合う。
最後は人と人に帰ってくる。
逆に帰ってきているところがこの人の強さなのだと
思う。
イメージを伝えることの難しさを仕事で感じるだけに
そのイメージを揺らぎなく相手にしっかりと簡潔に
伝え続ける強さを思い知った。
にしても、上手に人と向かい、被写体と話し、
自分の仕事に感動し、
自信も持つ代わりに、反省や後悔にもさいなまれ、
何もかもをゴチャゴチャにしながらも前に進み続ける。
素晴らしく、そして、きっと誰にでも出来るのかも。
諦めなければ。
2008年2月24日日曜日
映画「陰日向に咲く」
劇団ひとりのあの本の映画化。
本の感想がこんな感じです。
http://app.blog.livedoor.jp/wings283/tb.cgi/50772890
まあ、ぶっちゃけ泣いたんですけど、
何に泣けたのか、よく覚えてないんだなあ。
でも、とにかく宮崎あおいと西田敏之がすごくて
それで泣いた気がする。
宮崎あおいのカラッとした声の良さと
西田敏行のどこまでの底の割れないリアルとフィクションの
境な身体は見事に作品を支えている。
たぶん、それがなかったら異常に浅い話に
なってしまっただろうなあ。
何もかもが当たり前の想像の世界の中で進んでいても
力のあるカラダがいくとかあるだけで
その世界が瑞々しくしみてくる。
篤姫の宮崎あおいも相当いい。
意外と人生かけて女優やってるのが、今のところ、
すごく生き様と向き合う瞬間のシーンで
ブワッと出てくるように出来ているようなんで
心が一気に持っていかれる様子がある。
本の感想がこんな感じです。
http://app.blog.livedoor.jp/wings283/tb.cgi/50772890
まあ、ぶっちゃけ泣いたんですけど、
何に泣けたのか、よく覚えてないんだなあ。
でも、とにかく宮崎あおいと西田敏之がすごくて
それで泣いた気がする。
宮崎あおいのカラッとした声の良さと
西田敏行のどこまでの底の割れないリアルとフィクションの
境な身体は見事に作品を支えている。
たぶん、それがなかったら異常に浅い話に
なってしまっただろうなあ。
何もかもが当たり前の想像の世界の中で進んでいても
力のあるカラダがいくとかあるだけで
その世界が瑞々しくしみてくる。
篤姫の宮崎あおいも相当いい。
意外と人生かけて女優やってるのが、今のところ、
すごく生き様と向き合う瞬間のシーンで
ブワッと出てくるように出来ているようなんで
心が一気に持っていかれる様子がある。
2008年2月21日木曜日
原点「ロートレック展 パリ、美しき時代を生きて」
そもそも、僕が美術展というものに通い始めたのは
バーンズ展に来てたロートレックの赤毛のローザに
心奪われたからだった。
いわゆるロートレックの中でも「風俗嬢」を描いた
シリーズがあって、その数々ばかりが
自分の気持ちに刺さることに今回気づく。
たぶん、他の作品が徹底した分析や特徴を
素晴らしいプレゼンテーションに変化させることが
ロートレックのポスターのすごみだったりするのだけれど
風俗嬢シリーズはそっとロートレックが寄り添って
描きとった感じがゾクゾクするのだと思う。
彼自身の風貌を知ったことも大きな理由かもしれない。
同じように歪んだかたちで生き抜くモノ同士しか
つかむことができない何かが絵の中にあるのかも
しれない。
今回もやっぱり「赤毛の女/みづくろい」にグッときた。
なんでだろうなあ?
ロートレックの描く赤毛の女。
バーンズ展に来てたロートレックの赤毛のローザに
心奪われたからだった。
いわゆるロートレックの中でも「風俗嬢」を描いた
シリーズがあって、その数々ばかりが
自分の気持ちに刺さることに今回気づく。
たぶん、他の作品が徹底した分析や特徴を
素晴らしいプレゼンテーションに変化させることが
ロートレックのポスターのすごみだったりするのだけれど
風俗嬢シリーズはそっとロートレックが寄り添って
描きとった感じがゾクゾクするのだと思う。
彼自身の風貌を知ったことも大きな理由かもしれない。
同じように歪んだかたちで生き抜くモノ同士しか
つかむことができない何かが絵の中にあるのかも
しれない。
今回もやっぱり「赤毛の女/みづくろい」にグッときた。
なんでだろうなあ?
ロートレックの描く赤毛の女。
2008年2月20日水曜日
思いつきの先「第11回文化庁メディア芸術祭」
メディア系の展示ものに行くと
いつも思うことがある。
ああ、これも。これも。これも。
一度は考えたことあるなあ。思いついたことあるなあ。
きっとみんな誰しもそうなんだろう。
自分の底の浅さにうんざりする。
それで、やろうとしていたことになえたりもする。
当たり前なんだけど、思い続けることとか
念じ続けることとかが難しいけれど、その持続力が、
モノに乗り移るというのは間違いなくて
昔よりもたくさんのスキルを求められて
大量の発信をし続けないと暮らしていけない
今の人々のクリエイションは、本当にしんどいと思う。
つぎ、つぎ、つぎ!と追い立てられすぎてて
なんか出品作品も息苦しくて、抜けた感じのがなかった。
にしても、大賞にwiiが入ってた。
DSといいwiiといい、身体にいち早く戻った任天堂。
すげえな。小さな身体が見せたブレイクスルー。
日本の奇形な頭がよく現れたプロダクトだと思う。
ほんとにあんまりグッとこなかったなあ。
これから、メディアって何だろう?ってことになる気がする。
いつも思うことがある。
ああ、これも。これも。これも。
一度は考えたことあるなあ。思いついたことあるなあ。
きっとみんな誰しもそうなんだろう。
自分の底の浅さにうんざりする。
それで、やろうとしていたことになえたりもする。
当たり前なんだけど、思い続けることとか
念じ続けることとかが難しいけれど、その持続力が、
モノに乗り移るというのは間違いなくて
昔よりもたくさんのスキルを求められて
大量の発信をし続けないと暮らしていけない
今の人々のクリエイションは、本当にしんどいと思う。
つぎ、つぎ、つぎ!と追い立てられすぎてて
なんか出品作品も息苦しくて、抜けた感じのがなかった。
にしても、大賞にwiiが入ってた。
DSといいwiiといい、身体にいち早く戻った任天堂。
すげえな。小さな身体が見せたブレイクスルー。
日本の奇形な頭がよく現れたプロダクトだと思う。
ほんとにあんまりグッとこなかったなあ。
これから、メディアって何だろう?ってことになる気がする。
2008年2月19日火曜日
ひとつでもひとつでも「横山大観/新たなる伝説へ」
ひとつでもいいから、芸術というものを
残したいと、ひたすら絵筆を取り続けたらしい。
横山大観という人。
もちろん、ものすごい政治力もあった人だから
きれいごとばかりでなく、ばっちいこともたくさんやって
芸術の世界で一流となり得たことは
間違いないのだけれど、
なんだろう?こうやって集まったのを見ると
本当に必死になってあがいているのが分かって
ちょっと胸が苦しくなる。
もう十分に地位を確立したであろう時代に
まるで見当違い?とも思える画風のモノを
がつんと描いてみたり、信じられない大作を
精根尽きはてる程の設計図と筆力で描き切ってみたり。
見ただけの感想で言えば、
なんともデザインな「群青富士」。
長い長い一巻にこの世に流れる
気を全部閉じ込めようとした「生々流転」。
日本の景色の魅力を瞬間密封「四時山水」。
そして、究極にとことんまで売れること
人気なものを考えたコンシューマー商品「海山十題」。
やっぱり、何はともあれ「海山十題」が
僕にとっては大観だった。
残したいと、ひたすら絵筆を取り続けたらしい。
横山大観という人。
もちろん、ものすごい政治力もあった人だから
きれいごとばかりでなく、ばっちいこともたくさんやって
芸術の世界で一流となり得たことは
間違いないのだけれど、
なんだろう?こうやって集まったのを見ると
本当に必死になってあがいているのが分かって
ちょっと胸が苦しくなる。
もう十分に地位を確立したであろう時代に
まるで見当違い?とも思える画風のモノを
がつんと描いてみたり、信じられない大作を
精根尽きはてる程の設計図と筆力で描き切ってみたり。
見ただけの感想で言えば、
なんともデザインな「群青富士」。
長い長い一巻にこの世に流れる
気を全部閉じ込めようとした「生々流転」。
日本の景色の魅力を瞬間密封「四時山水」。
そして、究極にとことんまで売れること
人気なものを考えたコンシューマー商品「海山十題」。
やっぱり、何はともあれ「海山十題」が
僕にとっては大観だった。
2008年2月12日火曜日
すごいシルバー支持「母べえ」
なんか久しぶりに見た、老人の群れ。
渋谷なのに。しかも、みんな少し迷ったらしく、
口々に「渋谷は怖い」みたいなことを言っていた。
で、映画館はギッシリ。
なんだろう?一生懸命生きることを知るためには
もうあの戦争に戻るしかないのだろうか?
でも、確かに、そういう気持ちになる。
この時代に生きているんだから、自分はなんと幸せかと。
本当に淡々と淡々と、涙のきっかけすら淡々と、
大仰なシーンはないだけに、蝕まれる日常が
明確に掘り下げられていく。
で、ナレーションだけで、さりげなく、
だけど、どうしようなく、身の回りの人が
獄中死し、孤独死し、原爆症で死に、戦死する。
身構えることなんか、一般の人には許されん。
気合を入れることなんかも、隙を与えてもらえない。
ただただ、時代に流される一家族を、同じアングルで
定期観察。そんな絶技。
そして、時代が現代?(戦後)に。
なぜ、こんな無理な時代のスキップをするのかと
正直、まるで分からなかったが、最後の最後の
母べえのセリフのため、それだけのためだった。
そのセリフこそが、この映画のあり方のすべて。
ああ、そうか、それでこの話なのか。
勇ましく、生きる。前向いて、生きる。全力で、生きる。
号泣。
渋谷なのに。しかも、みんな少し迷ったらしく、
口々に「渋谷は怖い」みたいなことを言っていた。
で、映画館はギッシリ。
なんだろう?一生懸命生きることを知るためには
もうあの戦争に戻るしかないのだろうか?
でも、確かに、そういう気持ちになる。
この時代に生きているんだから、自分はなんと幸せかと。
本当に淡々と淡々と、涙のきっかけすら淡々と、
大仰なシーンはないだけに、蝕まれる日常が
明確に掘り下げられていく。
で、ナレーションだけで、さりげなく、
だけど、どうしようなく、身の回りの人が
獄中死し、孤独死し、原爆症で死に、戦死する。
身構えることなんか、一般の人には許されん。
気合を入れることなんかも、隙を与えてもらえない。
ただただ、時代に流される一家族を、同じアングルで
定期観察。そんな絶技。
そして、時代が現代?(戦後)に。
なぜ、こんな無理な時代のスキップをするのかと
正直、まるで分からなかったが、最後の最後の
母べえのセリフのため、それだけのためだった。
そのセリフこそが、この映画のあり方のすべて。
ああ、そうか、それでこの話なのか。
勇ましく、生きる。前向いて、生きる。全力で、生きる。
号泣。
2008年2月10日日曜日
2008年2月7日木曜日
徹底的に自分を愛する「草間彌生~わたし大好き~」
偏見かもしれないが、
きわめて女の子な芸術な生き方がそこにある。
もう、自分を愛して愛して愛しまくる。
「なんて私、すごいのかしら」とつい言葉にして
出してしまう。強みだ。
男子の中にとことん女子にだらしないたぐいの
芸術家がいるように
女子の中にこういう自己だけを愛情の対象にする
生き様を見せる芸術家がいる。
女の子の、心底での自分への信頼度は
実は、男子よりもずっとずっと強いと
常に思っていて、だからバイセクシャルな男子は
ある意味の強度を持って、もの作りができるに
違いないのだと、勝手に思い込んでいる。
人間か集中して書きまくる線に潜む
信じがたい生命の躍動を捉えた様は
息を飲む静けさの中のざわつきだった。
意外と絵そのもの、本物が見たくなるもんだと
変な感心をしたりもした。
あとは、水玉が好きということを
どんな瞬間に発見し、それを身につけ、
その繰り返しが生活になっていったのかを
知りたいなあと思った。
ちなみにこの人、インタビュアーに
「あなたを動物に例えると何ですか?」と聞かれて
「人間です」と答えるらしい。
見事だ。しかも、そんなバカなことを質問するなと
切れるらしい。
美しい生き様だ。
きわめて女の子な芸術な生き方がそこにある。
もう、自分を愛して愛して愛しまくる。
「なんて私、すごいのかしら」とつい言葉にして
出してしまう。強みだ。
男子の中にとことん女子にだらしないたぐいの
芸術家がいるように
女子の中にこういう自己だけを愛情の対象にする
生き様を見せる芸術家がいる。
女の子の、心底での自分への信頼度は
実は、男子よりもずっとずっと強いと
常に思っていて、だからバイセクシャルな男子は
ある意味の強度を持って、もの作りができるに
違いないのだと、勝手に思い込んでいる。
人間か集中して書きまくる線に潜む
信じがたい生命の躍動を捉えた様は
息を飲む静けさの中のざわつきだった。
意外と絵そのもの、本物が見たくなるもんだと
変な感心をしたりもした。
あとは、水玉が好きということを
どんな瞬間に発見し、それを身につけ、
その繰り返しが生活になっていったのかを
知りたいなあと思った。
ちなみにこの人、インタビュアーに
「あなたを動物に例えると何ですか?」と聞かれて
「人間です」と答えるらしい。
見事だ。しかも、そんなバカなことを質問するなと
切れるらしい。
美しい生き様だ。
2008年2月5日火曜日
全身で生きることには「シアトリカル」
周りの支えが必要で、その支えを引き寄せることすら
才能なのだなあと唐十郎のドキュメント映画を見て思う。
ドキュメントというにはあまりに恣意的な出来事も
たくさんあるのだけれど、なぜか、ドキュメント部分に
キレイに溶け込む、フシギ。
唐十郎の切れ方もスゴイけど周りの支え方もスゴイ。
子供も唐十郎を「アノ人は天才だ」と言うあたり
ちょっとカルトな香りすらある。
でも、やはり、カルトでなくては特異な世界は
生み出せず、継続できず、人には届かない。
時代を動かした異人は、間違いなくその中に
抑えきれない、言葉にはならない、できない
エネルギーが常にもれ出ていて、なんだか
しんどい。
そうでなければ、ならないクリエイションがあるとしたら
本当にしんどい。
唐組は7年いればいいそうだ。まずは、ベースは知る。
で、その上で自分なりの身の振り方を考える。
7年、毎日毎日浸らないと見えない個の世界を持つ男は
やっぱり偉大だと思った。
ああ。
覚悟。覚悟。なんでも覚悟だ。
才能なのだなあと唐十郎のドキュメント映画を見て思う。
ドキュメントというにはあまりに恣意的な出来事も
たくさんあるのだけれど、なぜか、ドキュメント部分に
キレイに溶け込む、フシギ。
唐十郎の切れ方もスゴイけど周りの支え方もスゴイ。
子供も唐十郎を「アノ人は天才だ」と言うあたり
ちょっとカルトな香りすらある。
でも、やはり、カルトでなくては特異な世界は
生み出せず、継続できず、人には届かない。
時代を動かした異人は、間違いなくその中に
抑えきれない、言葉にはならない、できない
エネルギーが常にもれ出ていて、なんだか
しんどい。
そうでなければ、ならないクリエイションがあるとしたら
本当にしんどい。
唐組は7年いればいいそうだ。まずは、ベースは知る。
で、その上で自分なりの身の振り方を考える。
7年、毎日毎日浸らないと見えない個の世界を持つ男は
やっぱり偉大だと思った。
ああ。
覚悟。覚悟。なんでも覚悟だ。
2008年2月3日日曜日
単純な美との距離「中ザワヒデキの全貌」
中ザワヒデキはこんな人。
1980年代、アクリル画で
色彩とマチエール(質感)を探究し、
形態からの解放を推し進めていた中ザワは、
1990年に
初期のコンピューター・グラフィックス(CG)に
ポップ感覚を導入し、
無機質なCGのピクセル(画素)を強調して
有機的なマチエールを生み出すことに成功しました。
その「コンピューター・ペインティング」
とも言える新しい表現は
「バカCG」と呼ばれ一世を風靡します。
そして1996年、
ピクセルを2次元から3次元のボクセル(立体画素)へと
拡張することによって
コンピューター・モデリングの新体系を発明。
原理的な特許「3次元グラフィックス編集装置および方法」
「造形装置および方法」を日米で取得、
「芸術特許」と称し、のちに証券化されて
「特許証券」という美術作品が誕生することになります。
1997年には
ピクセルを文字や数字等の記号へと拡張することにより、
前人未踏の「記号絵画」へと邁進。
モノクロでありながら多数の記号が織り成すさざめきは、
彼にとってさざめく色彩の感覚と同じものでした。
そして2006年、
画面に再び原色の色彩が戻ってきます。
三原色を混ぜると灰色となるというアイディアから
「灰色絵画」「脳内混色絵画」と名付けられたシリーズは、
記号を経た色彩の新たな展開といえます。
また一方で、
「脳波ドローイング」という自分の頭に電極を取り付け、
脳の活動を自ら制御することによって絵を描く、
斬新な試みも行っています
何もかもが面白そうで、
試してみたらワクワクするだろうなあと
思いながらも、実物を見ると、
やっぱりなかなか「美」までは
行っていないものも多くて、コンセプトと美そのものが
いったりきたりするのを
自分の眼で確認することができるのが
価値のある個展だった。
出目がよくないこともあると思うし、
やっぱり理屈を越えたボーダーに
感性に訴えかける余白があるんだと思ったし、
でも、徹底的に理系で追い詰めることで
開けてくる「美」のナゾもあるんだろうし、
いろんなことを考えた。
単純な色になればなるほど
その赤がどの赤かが気になるし
マジにキレイな赤ってなんなのかって迷う。
自分が好きなモノをスクーリンニングしていく
楽しみも最近はよくあるので、
色の嗜好についても気になった。
1980年代、アクリル画で
色彩とマチエール(質感)を探究し、
形態からの解放を推し進めていた中ザワは、
1990年に
初期のコンピューター・グラフィックス(CG)に
ポップ感覚を導入し、
無機質なCGのピクセル(画素)を強調して
有機的なマチエールを生み出すことに成功しました。
その「コンピューター・ペインティング」
とも言える新しい表現は
「バカCG」と呼ばれ一世を風靡します。
そして1996年、
ピクセルを2次元から3次元のボクセル(立体画素)へと
拡張することによって
コンピューター・モデリングの新体系を発明。
原理的な特許「3次元グラフィックス編集装置および方法」
「造形装置および方法」を日米で取得、
「芸術特許」と称し、のちに証券化されて
「特許証券」という美術作品が誕生することになります。
1997年には
ピクセルを文字や数字等の記号へと拡張することにより、
前人未踏の「記号絵画」へと邁進。
モノクロでありながら多数の記号が織り成すさざめきは、
彼にとってさざめく色彩の感覚と同じものでした。
そして2006年、
画面に再び原色の色彩が戻ってきます。
三原色を混ぜると灰色となるというアイディアから
「灰色絵画」「脳内混色絵画」と名付けられたシリーズは、
記号を経た色彩の新たな展開といえます。
また一方で、
「脳波ドローイング」という自分の頭に電極を取り付け、
脳の活動を自ら制御することによって絵を描く、
斬新な試みも行っています
何もかもが面白そうで、
試してみたらワクワクするだろうなあと
思いながらも、実物を見ると、
やっぱりなかなか「美」までは
行っていないものも多くて、コンセプトと美そのものが
いったりきたりするのを
自分の眼で確認することができるのが
価値のある個展だった。
出目がよくないこともあると思うし、
やっぱり理屈を越えたボーダーに
感性に訴えかける余白があるんだと思ったし、
でも、徹底的に理系で追い詰めることで
開けてくる「美」のナゾもあるんだろうし、
いろんなことを考えた。
単純な色になればなるほど
その赤がどの赤かが気になるし
マジにキレイな赤ってなんなのかって迷う。
自分が好きなモノをスクーリンニングしていく
楽しみも最近はよくあるので、
色の嗜好についても気になった。
2008年2月1日金曜日
海老蔵ボイス「雷神不動北山桜」
初海老蔵。初新橋演舞場。
歌舞伎ってやっぱり思い切り大衆演劇だよなあと
まるでひねりのないエンターテインメントに
わざと作ってある突っ込みどころ満載な隙に
そして、とことんそれだけに集中してきた人の技に
酔いしれる。
十八番が3つも入ってるゴージャスな演目を
一気に一日で見ちゃおうという回だったのもラッキーだった。
ベタなことをひたすらにひたすらに
人生を賭けて修練させていくことの大変さが
なんとなく透けて見えてグッとくる。
海老蔵、そりゃ大変だよ、この世界を支えることを
宿命に生まれてきちゃうのは。
リアルガラスの仮面。
小屋に響く海老蔵ボイスはなんだかそういう覚悟も乗って
エロく心に刺さる。人を酔わせる。
修練とは別の意味での選ばれた人だけが得る力もある。
勝手に人が寄ってくるのだ、そういうところには。
なんだか、そういう選民な感じが、
今のエンターテインメントにはもっともっと必要だと思う。
普通の人が多すぎる。フリをした人が多すぎる。
にしても、歌舞伎。
思いついた人はやはり天才。
能なんか下敷きにあったって、あんなメタモルフォーゼ、
絶対に到達しない。そういう民衆が熱狂する力が
今の現代演劇にはないから、つらい。
そこが一番大事なのに。
いつからクリエイターのものになってしまったんだろうか?
演劇。
歌舞伎ってやっぱり思い切り大衆演劇だよなあと
まるでひねりのないエンターテインメントに
わざと作ってある突っ込みどころ満載な隙に
そして、とことんそれだけに集中してきた人の技に
酔いしれる。
十八番が3つも入ってるゴージャスな演目を
一気に一日で見ちゃおうという回だったのもラッキーだった。
ベタなことをひたすらにひたすらに
人生を賭けて修練させていくことの大変さが
なんとなく透けて見えてグッとくる。
海老蔵、そりゃ大変だよ、この世界を支えることを
宿命に生まれてきちゃうのは。
リアルガラスの仮面。
小屋に響く海老蔵ボイスはなんだかそういう覚悟も乗って
エロく心に刺さる。人を酔わせる。
修練とは別の意味での選ばれた人だけが得る力もある。
勝手に人が寄ってくるのだ、そういうところには。
なんだか、そういう選民な感じが、
今のエンターテインメントにはもっともっと必要だと思う。
普通の人が多すぎる。フリをした人が多すぎる。
にしても、歌舞伎。
思いついた人はやはり天才。
能なんか下敷きにあったって、あんなメタモルフォーゼ、
絶対に到達しない。そういう民衆が熱狂する力が
今の現代演劇にはないから、つらい。
そこが一番大事なのに。
いつからクリエイターのものになってしまったんだろうか?
演劇。
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