2009年4月28日火曜日

信念なんて報われぬ「沈まぬ太陽1〜5/山崎豊子」

正しく生きることと豊かに生きることが

必ずしも一致しないこの現代を膨大な取材から

あぶり出して、小説に仕立て上げる。

その作業は絶望的に夢なんてなかったりする

会社内の権力闘争の様を浮き彫りにしていく。

自分の信じる道を進めば進むほど

仕事の環境は厳しくなり、閑職においやられ

家族とは離ればなれになり、手の中には何も残らない。

本当に切ない。

海外赴任先から日本に戻る奥さんを見送るシーンが

あるんだけど、すごい雨の中、自分の背中がビショビショに

なって、子供を飛行機のタラップまでぬれないようにする姿を

見て、思わず名前を呼ぶのだけれど、雨が強くて奥さんには

聞こえないのね。

もう、声でないわ。切なくて。

正しいことしてんのに。

いい人、ちゃんとした人間関係はすべて手元に残るけれど

それを豊かな人生の作物だと言い切るには

あまりにも恵まれなさすぎて、現実的にすぎて、つらい。

一巻から五巻まで一気読み。

2009年4月26日日曜日

豊洲

きらきら

2009年4月25日土曜日

どこまでも悪は悪「Cの福音/楡 周平」

アメリカから麻薬を密輸する男の

冷酷な完全犯罪術。

人間、善も悪もあるよねと思うけれど

一度すみわけた人間は意外とどちらも抱えながらなんか

生きたりしないんだなあ。ほんと。

いいもんはいいもん。

わるもんはわるもん。

淡々とくみ上げられていく悪いことするための仕掛けとか

だからこそリアルだと感じて、そういう世の中だなあと。

不思議なことにそこに嫌悪感もない。

そして、着々とお金がそのステージに集まっていくんだよな。

うん、まるで違和感もない。

中で出てきた「人に口を割らせるための凄い方法」というのが

また奮っていて、まずは麻酔で身体の痛みを感じないようにして

身体をナイフでざくっときるんだそうだ。見えるとこを。

痛くもないのに、自分の身体が割れて、そこから血がどぼどぼと

たれていくのを見るのは、もうどうにもならず恐怖らしい。

これは、怖い。目の前で身体をさばかれていくのは、かなわない。

2009年4月23日木曜日

神宮外苑

今日は、風がすさまじく
気持ちいい。

2009年4月21日火曜日

全感覚を使え!「万華鏡の視覚」@森美術館

ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより。

ハプスブルク家のプライベートコンテンポラリーアート発注もの。

持つものと持たざるものをリアルに感じる展覧会の景色。

こんなもの、家に持ってこられても困るサイズ、スケール。

ちょっと壁に掛けられるようなものはまるでなく、

いちいち身体全身サイズ。そして落ち着く類のものはなく、

感覚を全部解放して、毛穴からすら入ってくる刺激を

とにかく取り込む感じの展示。いやあ、「美」というよりは、

本当に「刺激物」の印象の強い品物がずらり。

ケリス・ウィン・エヴァンスの蛍光灯柱とか直視できないくらい

ギラギラと身体に悪そうな光を放っているし、

カールステン・フラーの「Y」という作品とかは

自分の身体のまわりを白熱灯がぐるぐるまわってて

その様子を鏡でみたりすると、どこかに吸い込まれているような

妙な浮遊感を味わえる。

ロス・カルピンテロスの壁が砕け散る瞬間を、

実際のブロックで再現すたやつなんかは、

時間が止まった瞬間を自分が動ける状態で感じることの

違和感をいやおうなく押し付けてくる。

イエッペ・ハインの映す物体とかは、ジム・ランビーの

クラクラする文様と自分自身の姿が球形の中に閉じ込められる

お得なような感覚も。

マシュー・リッチーっていう人の色使いとか素材感とか

空間への絵の張り出し方とかが好きだった。あまり触れたことの無い人。

グオ・フェンイーっていう人の描いた絵は

執念の赤ボールペン画。もうひたすら線をひきまくる向こう側の世界。

彼に何が見えていたのか気になる。

図録ではまるでダメな、行かないと不可能な体験ばかりで

美術館冥利につきると思った。

2009年4月19日日曜日

2009年4月17日金曜日

新宿御苑にて

おちてくる桜をキャッチして遊んでた。

2009年4月16日木曜日

童話のような

やりとりの面白さって「罪とか罰とか」

ケラの監督作。どのくらいアングルとかの決め方まで

関わっているのか分からないけれど、

ホンは面白いに違いないと思うシーンは結構あって

どこ見てもいい舞台ならもっとゆるく笑いになったのに・・・

と映像になるときのやりとりを表現することの難しさを思う。

もうカット割った時点でなにもかもが分かっちゃうから

そこでこんなこと言っちゃう?

この状況で、そんなことする?

的な意外な展開というような部分がばれていっちゃう惜しさ。

見ないと気づかないんだよなあ、客観的な部分って。

あとはシチュエーションが変わっているのに

その変なセットが作りきれていないのは切ない。

なら、普通のシーンでやっても十分面白かったと思うのに

不思議な署長室みたいなのとか結構悲しい追いつかなさが

あらわになっていて、つらめだった。

成海璃子はちゃんとしてるなあ、コメディもできそうで、

もっともっとはつらつとしてくるととたんにいいと思う。

まだまだしっとりタッチで収まっているので。

2009年4月14日火曜日

もてる集客「ルズバンズ/うそつき」@王子小劇場

もう随分、東大系の駒場小空間から

足が遠ざかっているんだけど、たぶんこのへんが

ぎりぎり知ってる「ひょっとこ乱舞」のスピンオフもの。

小人数でおしゃべりするお芝居。

人間性が薄いのかなあ、なんか心にこない。

いいお話なんだけどね、いろんな意味でよく出来てる。

それぞれの生き様を知るわけじゃないけど

やっぱり人の心に何かを突き刺すためには

かなりの荒い人生が必要なんじゃないかとこのごろ思う。

この人いいなあと思うと、変な意味でロクな生き方をしていない。

変な意味じゃなくてではなく、変な意味で。

頭がいい生き方しちゃうと、もう、ダメなんだなあ。

心にひっかからない。傷が残らない。

異常な数のモノを見ると、もう何もかもがどこかで見た既視感があって

あとはそこから、なにが突飛なものなのかをあぶり出す感じで

切ないけれど、もうそこは人間力の勝負で、

タレント芝居に客が入るのも、なんとなく欠けた人が

当たり前のように出てくる保険なんだと最近思う。

別に有名人みたいっていうだけでもないよなあと。

あとは、客席がもてない。これは永遠のテーマだなあ。

もてる客席にするには、何が必要なんだろう?

デートにあれでは誘えない。なんかセンス悪いみたいになっちゃう。

難しい。

2009年4月12日日曜日

上野公園

花見は過ぎて

2009年4月11日土曜日

最後はひとり「マイ・グランドマザーズ/やなぎみわ」@東京都写真美術館

若い女性が自分の50年後をイメージしたものを完全再現。

まあ、老人コスプレなんで、最初は結構くだらなくて楽しめたんだけど

ふと「みんなひとりだ」と気づいた時点でもう苦しい。

切なさで。そうなのだ、最後はひとりになることは誰も同じなのだ。

そして、不思議なほどにその傍らには男がいない。

看取っているところも、看取られているところもない。

ポスターになっているバイク乗りのばあちゃんの隣には

若いやもめがいるけれど、それ以外は本当にびっくりするくらい

自分の足だけで立って、世界と向き合っている。

これは切なすぎる覚悟だなあとしんしんと思ってしまった。

なんか人間関係の豊かさは、50年後にはみえないの、みんな。

さみしい、あまりにもさみしい。

好きだったのは、養子をもらまくる老女の話。

次の養子を引き取りにいくときに、それまでの養子たち全員を連れて、

新しい養子のいる土地まで旅を繰り返すんだって。

なんか、ロマンチックを感じた。

そうやっていとおしさを積んでいく感じ。

あとは気になったのは、今までつきあった男全員に

ありがとうの手紙を書き、その返信を壁一面に貼り、

それを読むことで余生を過ごしている女。

その行為そのものよりも確実に返事を出してしまう男子の悲しさに

ひそかに心打たれて、情けないけどリアルって思った。

つばささんの恋人からお手紙が届きました。1年目の手紙

今日で付き合って1年が経ったんだよね。あっという間だったなぁ…。
ということで、今日ぐらいは自分の気持ちを
しっかり伝えようかなと思います。
何言われるんだって、ビクビクしてない?(笑)

さて、何から書こうかな。
あー、前から思ってたんだけどさ、
つばさの部屋にある釘バットって何に使うの?(笑)
ってわざわざ記念日に書くようなことじゃないか。この話はナシ(笑)。

この前、喧嘩したばかりだよね。つばさの元カノのことで。
「隠し事はやめよう」
「元カノや元カレと会ってもいいけど、
ちゃんとそのことを言ってからにしよう」とか
最初に決め事をつくったのに、つばさっていちいち
「今日は友達と遊ぶ」とか嘘ついて元カノと会うんだもの。
そんなの何かやましいことでもあるのかとか不安に思うよ、誰でもさ。

つばさってさ、いつも明るくてうるさくて、
そういうところに救われてる部分もあるけど、
不機嫌になると黙るし手をつけられないよね。
最近は、不機嫌なつばさしか引き出せていない気がする。
私のせいでもあると思うんだけど。
もしかしたら、結局のところ、
つばさは飽きたのかなって思う。
元カノともそうやって別れたんだよね?
いろいろと別れた原因とかを説明してくれたけど、
きっと「飽きた」のが本当なんだろうなって思った。

私はもっと大切にされたいんだ。一年前のように。
あのころはつばさとお互いに気持ちを伝え合えてたと思うけど、
今はよく分からない。
つばさは別れたいのかなとも思う。それは今とても不安なことなんだ。

なんか、つい悪いことばかり頭に浮かぶや…。
もっと前向きなこと書くね。

ほんとはね、つばさは私にとって一番嫌いなタイプだったんだ。
うるさくて馴れ馴れしくて、いかにも不誠実そうで(笑)。
でも私みたいな奥手なタイプには、つばさみたいな人でもないと、
一生付き合えなかったかもしれない。
だから、つばさには感謝してるんだよ。

つばさが言ってくれた
「失恋を恐れるより、失恋したときに苦しむような、一生懸命な恋愛をしよう」
ってセリフが今も心に突き刺さっているから、
私はこれからもつばさを好きなままでいられそうです。
つばさもこの気持ちを覚えていてくれたら嬉しいな。

これからも決して平坦ではないと思うけど、
この一年間のように、お互いを信じて乗り越えていこうね。
それと女子高生が階段にいるとき、さりげなく見上げるのはやめてね(笑)。

ではでは、これからも末永くよろしくお願いします。
つばさがいてくれてよかった。ありがとう。

P.S.私のお母さんにまで下ネタ言うのはやめてください。

2009年4月10日金曜日

写真が日本に入ってきた!「夜明け前」@東京都写真美術館

幕末から明治初期、まさに写真そのものが

日本に入ってきた時代に撮影されたものを集めた展示。

当時の写真は最先端技術で、写真館のそれぞれがプライドを

持って競い合っている様が、台紙のデザインなんかに見てとれる。

この台紙のデザインがびっくりするくらいフォントもデザインも

凝っていて、本当にほれぼれする。

写真技師たちのハイカラな様子が、細部からにじみ出る良さ。

あと面白かったのは、日本の観光地を撮りまくった名所シリーズ。

明治くらいのを見ると、今でも変わらない景色なのに、

いくらか山深い。そうだ、日本にはもっと木があり、森を抱えていた。

その中に、真っ赤だったり、金だったりの建物がすっと現れてくる

神聖さだったり、神々しさだったりがあったはずで、

そんな感覚を失いつつあるのは、もったいないなあと感じた。

さらに、地震現場をニュース的に撮影したものもあったんだけど、

そのつぶれかたは今も昔も変わらず、ほんとぺちゃんこ。

人間の力なんて、そんなもんだなあと思うほどに何も残らない。

あとは内田九一が撮影した明治天皇の肖像画のシリーズが

またよかった。なんか国を背負う気合いが思い切り写真に出てて、

時代を感じた。カリスマ感あったなあ、なにやら。

2009年4月9日木曜日

ハワイでうまい飯「ホノカア・ボーイ」

もう、そんなものでだまされない。

と思ったんだけど、結構女性がどっと入ってて驚く。

まだまだここなんだな、本当は・・・と反省。

フジテレビのオオバコ映画以外のミニシアター路線。

なんだろう?いい意味でも悪い意味でも隠せないバブル世代。

外国を特別に見て、癒されちゃうハワイに的な考え。

そんなこともないと思うんだけど、日本でも外国でも敷居がない。

おいしいご飯は高山みなみさんらしい。

おいしいご飯をありがたがって見るのも

できれば勘弁して欲しい。もうそれはテレビでいいじゃないか。

お金払ったら、おいしそうなご飯とかよりも違うものがみたい。

正直な話、ご飯はごまかしだろう。そこそこのお金で撮れるし。

ハワイの日本人老人コミュニティに若者が交わる・・・

うーん。どうにもこのまったりについていけない。

みんな、変な癒しにはまってる気がする。

無毒なものは逆に危ないと思うんだけど、精神衛生上。

2009年4月7日火曜日

スカイデッキ

はじめてのぼった

2009年4月5日日曜日

ニューオータニ庭園

有栖川宮記念公園

クラクラしたい「ジム・ランビー展」@原美術館

もっとはるかにめまいがするほどに

空間をゆがめてほしかったんだけど

割とシックに、原美術館にはまる感じで

描かれる床の抽象模様たち。

カラフルでサイケデリックなものばかりが

印象に残る人なので、それこそがロック!みたいな

生き様な人なので、ちょっと日本に飲み込まれた?

その景色は浮世絵の海のようで、波間から見える

岩のように、コンクリートでつくられた立方体が

床に転がっている。

よくみると、そのコンクリートブロックには

LPレコードが一緒に封じ込められていて、

その曲のラインアップでもっと世界がひろがるかと

思ってアルバムのタイトルを必死に見たんだけど

その関連性も発見できず。残念。

あれはきっと色あいとかだけで

決められているんじゃないのか?

そうじゃないほうが、はるかにグッとくるのに。

音を想像するだけで、その空間にその音が鳴った様を

考えるだけで、そこにある様が大きく変われば

ぞくっとするんだけどなあ。

なんか、美術館に触発された世界観が

ありきたりすぎちゃって、ちょっとだけがっかりした。

期待感がありすぎたな。

2009年4月4日土曜日

木にアリの巣

発見。さっきから30分以上動きません。

息子とみる「ヤッターマン」

2時間耐えられるか?と思ったが

なんのなんの、食い入るように見る息子。

そして、日本人はシャイだというが、そんなのは後天性。

インド人みたいに声出しながら、盛り上がる。

そして、何より唄う。結構なボリュームで。

ガンガン唄う。ヤッターマンの唄って結構節回しが民謡っぽいから

2歳とかが唄うとくだらなくて、よい。

映画自体はずっとよく出来たパロディを見ている感じで

元ネタを知っている人は終始楽しめる。

ずっと裏笑いで、ゲラゲラ。

ああ、あのシーンがこんなアレンジに。ゲラゲラ。

ギャグも、あえてクラシックなままで、こなしてあってゲラゲラ。

そして、深田恭子の状態がすさまじくいい。

あんなに状態のいいフカキョンは、この先見れないかもしれない。

神様、もう一度だけの時に思った、この娘性能いいなあという感覚が

鮮やかによみがえる。

監督の愛情も、圧倒的にフカキョンをなめまわすように、過剰でよい。

息子のくだらなリアクション第一位は、

フカキョンと桜井翔のキスシーン。

わざわざ振り返って、キスしちゃったよ!と報告してた。

ほんと、どうでもよく、素晴らしい。

みんなが自分の人生を「孤宿の人/宮部みゆき」

大きな渦に巻き込まれながらも、

結局は自分の身の回りですべてが進み、

見える範囲の人たちに助けられ、

本人も分からないうちに少しづつ大きくなっていく。

そんなことを感じられる本だった。

実際に起こっていることとは全く違う次元で

人間の成長って起こっているのね。

江戸時代の話で、江戸から偉い人が流されてくると

いう設定で話がはじまるんだけど、

なるほどなあと思ったのは、悪いことが起こったときに

何かひとつ原因があると、もう何もかもがひとつの原因に

結びついていくということ。

江戸の罪人が、厄を運んできた、あいつは鬼だみたいな

噂が流れて、たまたま起こるいろんな災難がすべて

そのお偉いさんのせいになる。

でも、よく考えてみると、そんなことないんだよなあ。

悪いことって前からあったし、たまたま重なっても

次には実は毎回、新しい時間が流れるわけだし。

そんな負の連鎖の中でも、人が前に向かって変わっていき、

新鮮な人間関係が生まれていくという面白さがあった。

2009年4月2日木曜日

自然を閉じ込める「うつわ/U-Tsu-Wa」@21-21DESIGN SIGHT

こんな展示。

本展は、陶作家ルーシー・リィーとジェニファー・リー、
木の作家エルンスト・ガンペールによる3人展です。
シンプルな中に大胆な手法や表現を取り入れ、
現代陶磁器の流れに大きな影響を与えたルーシー・リィー。
静かで抽象的な造形の中に、独特な自然観を投影する
ジェニファー・リー。
ろくろを使い、倒木や流木からその命を取り出すように
制作するエルンスト・ガンペール。

展示空間をかっこよく作ってて、水盆の上に

浮くかのように様々な器が宇宙よろしく置いてあるんだけど

もう今となってはかっこよさないなあ。この感じ。

古い感じした。逆に。見にくいし、うつわの色も出ていない。

照明にかなり大きな負荷が来ていて、まったく発色しない。

それでも、ルーシー・リィーのうつわは素晴らしい。

苔が積み重なるかのような表面。

大理石が切り取られているような乳白。

花の一瞬の赤を閉じ込めたかのような、滅多に現れない自然の赤。

積み重なる、茶色の地層。

そんな風に自然の瞬間を、うつわの中に感じるものが好きなので

この上なく幸せな感じだった。

エルンスト・ガンペールのうつわでは、もっと単純に木から

うつわを削りだしているんだけど、こうなると日本の木工で

はっきりと同じイズムが生きていて、ありがたいことなんだけど

そんなに驚きはない感じだった。

ただ、焦げ茶に沈んだ木を刳り貫くと、その中が黄金色に見える

木肌が現れるのは、新鮮な色彩だった。

2009年4月1日水曜日

結局は感性なのか?「アーティストファイル2009」@国立新美術館

こんな展示。

「アーティスト・ファイル」展は、国立新美術館の学芸スタッフが
日頃のフィールドワークの中で注目する作家たちを取り上げ、
それぞれを個展形式で紹介する展覧会です。昨年の第1回展に
引き続き開催する今回は、国内外で活動する9名に参加を
呼びかけました。
このたび選ばれた作家たちの年齢は30代前半から50代後半までと
かなりの幅があり、また作品の有りようも平面、立体、映像、
インスタレーションと様々ですが、いずれも自身の道を真摯に追求し、
独自の表現スタイルを獲得するに至っています。
彼らの仕事を通じて、今日の美術状況をご覧いただくと共に、
現代の作家たちがいかに社会に向き合い、どのようなまなざしを
持って制作を続けているか確認いただきたいと思います。
本展は、「さまざまな美術表現を紹介し、新たな視点を提供する美術館」
という当館の活動方針に沿って、毎年定期的に開催する予定ですが、
一方で美術情報の収集事業の一環として、展覧会に参加した作家の資料を
将来にわたりアーカイブ化し、広く社会に提供していくことも
構想しています。
つまり「アーティスト・ファイル」展は、当館が日本のアートセンター
としての役割を果たす大切な事業であり、我々スタッフの視点や活動の
真価が問われる展覧会として、総力を挙げて取り組んでいきたい
と思っています。

ということらしい。が、読むと、よくわからなくなる展示で

全く持って「現在」というところに行き着かない。

それって、やっぱり、今のコンテンポラリーアートが

陥る世界を動かさない感じにすごくはっきりと結びついているようで

悲しくなった。結局、個々人の感性にものすごく分断されているなあ。

だからといって、ダメなわけじゃなくて、すごくいいのもあるんだけど。

前の説明読むとねえ。というだけ。

参加は
ペーター・ボーゲルス(Peter Borgers)
平川滋子
石川直樹
金田実生
宮永愛子
村井進吾
大平実
齋藤芽生
津上みゆき
こんな人たち。

石川直樹の写真っていいと思ったことなかったんだけど

美術館にある富士山シリーズはよかった。

あんなに岩な感じの富士山の黒い塊はあまりなく

そこで見える山の力とかを映し出していることを感じた。

もともと津上みゆきさんの色は好きなんだけど

この人のこの色が好きっていうところまで

つかみきれないんだよなあ。そこがあれば欲しいとも

思うんだけど。この微妙な差は何なのか?

もうちょっと光感があるものの方がグッとくるのか?

何よりよかったのは、宮永愛子。

ナフタレンのいつものオブジェが

古ダンスの中に密かに眠っていて

その中でしずしずと時間を刻んで形をなくしていて

その空間が資生堂のときよりもグッときた。

もうひとつの時間を感じる仕掛けがまた秀逸で

陶器の釉薬が空気に触れて、ぴしっと音がなるんだけど

それをじっと待つのが、いい。

かなりざわざわし続けるんだけど、その中で音を待つ。

その生活への作用の仕方が気持ちよい。

こういう日常が壊れる感覚が、欲しいのだ。

齋藤芽生はアートとしては刺さらなかったけれど

セットなどの景色としては非常に参考になりそうな

ソースだった。