2010年10月5日火曜日

きっと初演の方が…「農業少女/NODA MAP」@池袋東京芸術劇場

いつの話かって、もう3月の初旬の鑑賞。

書き留めるのにも限界があるから、どうにもメモにもひどい。

ああ、もったいない。

深津絵里だったなあ、やっぱりとか。

松尾さんのくだらないギャグが世界を覆い尽くすんだけど

松尾さんの笑いは結構、松尾さんの身体でしか、

もしくは大人計画の身体でしか表現できなくて、

切ないことになっていたりとか、感じたことを覚えている。

覚えているって、どうなんだ?

野田さんの戯曲を遊び尽くした形にはなっているんだけど

まあ、まるで話はごちゃごちゃになっている感じが

さらに増長されていて、ついていくのがやっとやっと。

ただでさえ、話が渦のようになりつつ、気づいたら

その真ん中に吸い込まれているのが気持ちいい野田もの。

細い線を走り抜けるには、いかんせん遊びが多すぎた。

女の子が、世の中の気づかぬうちに?(意図してかもしれないけど)

真ん中にいること、しょせんは聖母のもとに

みんなは集っているのかなあということ、

その女の子が農業という食、生活の中心を目指すこと、

時代は一周してこんなところに戻ってくるのかあと感じた。

にしても、都会に憧れても、そこに何もなく、

キレイな子に引き寄せられても、また何もない。

それじゃあ、オレの手の中にも、何も残らないのか?

ってことなのか?

2010年4月21日水曜日

ワンテーマ美術大横断「医学と芸術@森美術館」

うむむ、醍醐味だ。企画した人、気持ちいいだろうなあ。

「生命(いのち)と愛の未来を探る」というテーマで

古今東西のありとあらゆる生命に関するものが大集合。

薬のメーカーとして始まったウエルカム財団っていうところが

集めた様々な医学の進歩を示すものたちに、アートがからんでいく。

医学備品みたいなものが、まあいちいち面白い。

美しいかといえば微妙だけど、最先端の頭脳を使って

考えられた様々なものは、ある意味考え過ぎちゃっててグッとくる。

義足、義手は造形の極みだし(HONDAの最先端義足まで展示)

貞操帯なんかも徹底して操作性/装着性を考えた丸みがよい。

超巨大なふいごが人工呼吸器の役割を果たす(棺桶的ですらある)

こととか気づいた人はすごいと思うし。

ダヴィンチの肺とか心臓のデッサン、本当にすさまじい細密さで、

線にブレがなく、まっすぐと走っていくのは本物ならではの迫力。

わざわざイギリスの王室コレクションから上陸。

抜けると、骸骨が波をバックにたたずむ

円山応挙「波上白骨座禅図」が。やりたい放題。頭使わせる感じ。

手術は見せ物だった時代、シアターのような場所で解剖する様子を

描いた画がずらりと並んだのを見たあとに、

狩野一信「五百羅漢図 第59幅 神通」があり日本の神通力的な

ぼんやりした医学力を感じ、その先には、

デミアン・ハーストが妻の出産シーンを超リアルに描いた絵画が。

なんか血とか見えなくなったけど、その景色を写真とみまごうばかりの

絵画で見るという、考えちゃう人にはウハウハなコンセプト。

売れるわ、ハースト。あと、この人って普通に画が超うまい。

ジル・バルビエ「老人ホーム」というくだらないコントみたいな作品も。

歩行器使用のスーパーマン、立てないバッドマン、ぼけてガリガリの超人ハルク。

やりきることって大事なんだな。

老人の皮膚を持った、子どもがゲームボーイで遊んでいたりもする。

部屋の片隅で。パトリシア・ピッチニーニ作品。

すさまじい企画だなあと思ったのは、死の直前の顔と死の直後の顔を

写真で撮って並べた作品。ヴァルター・シェルスのもの。

死を悟った人たちのやわらかな表情と、そのつながりの中で感じる

死んだあとのやすらかな表情。生と死、その時間は切れているのか?

で、DNAの発見した人のなんとなくひらめいちゃったぞというメモも展示。

どうして、らせんだ!なんて思ったのか?本当にすごいことだ。

人間の飽くなき欲求は。果てしない。

ひたすらに頭を回転させて見る感じ。エクササイズとしてはよかった。

けど、これは美しいのか?

3Dということは「アバター」

とにかく最初は、2D時代の名作という名作を

サンプリングしてしまえということだと思った。

そして、それに気づき、ちゃんと実行し、当てた。

だって、映画史のベスト版のようなもので

切り取る画切り取る画、最強みたいな感じだから。

もはや、オリジナルとかにこだわらず、

いいものはいいじゃないか、みんなの知恵が

結集してればいいじゃないか。おそらくそんなテンション。

意識しているのかしていないのかは定かではないが

意識している方がよっぽど恐ろしく偉大だと思う。

すでに存在する名作クリップの数々が集まることで

そこに生み出されるハーモニーみたいなものが

すさまじいグルーブを生み出すことは

音楽では当たり前になりつつあったけど

文章とか映像だとまだまだオリジナル神話が根強い。

そうじゃないよ、と。いい画はいい画だし、みんな見たいのって

こういうことだよねという潔さ。

そこにひどくココロを打たれた。

話も特に、おお!斬新なんて一個も思わない感じなのに

映像体験として新鮮なのは本当に素晴らしいなあ。

いちいち手前のものをなめていくアングルが多いのは仕方ないか。

なにせ飛び出してくることなんかよりも奥行きが勝負だから

(そんなに画面に向かって何かが頻繁に飛び出してくるのなんか

シーンを考えるだけでも難しいと思う)

仕方なしそうなのだろう。うざいほどに手前を植物が通り過ぎていった。

2010年4月7日水曜日

大好物の光ものでした、やはり「あなたがであうとき/オラファー・エリアソン」@金沢21世紀美術館

そもそも大好きなオラファー・エリアソン。

他のどこにもまわらずに、ここのためだけに展示を作った。

らしい。

なんと贅沢な。行ってみて、なるほどと。

ひとつひとつの作品は既出のものがあるんだけど、

あの、どこ歩いてもよくて、どこにいるのかも分からなくなる

美術館だからこそ良さががあるのだなあ、この展示。

ふっと、空間に入ったときの出会いがランダムだからこそ

はっとさせられるという仕掛けの数々。

角をまがれば、絶景とか。

ドアをあければ、異空間とか。

そんな自然の状態でよくあるけれど、胸を打つ感覚を

ホワイトキューブで実現するのは、この建築があったから

なのだろう。

オラファー・エリアソンの説明を。以下に。


光、影、色、霧、風、波などの自然界に見られる
さまざまな要素によって特徴づけられるエリアソンの作品群は、
科学的な仕組みを問うものではなく、
現象を作り出す仕掛けは作品の中で明らかされています。
そのために、人々は却って「見る」という行為を純粋に楽しみ、
取り巻く環境の中に新しい発見や体験をする
機会とすることができるのです。
また、エリアソンはSANAAが設計・デザインした美術館を
建築的・機能的に深く読み解き、
金沢21世紀美術館を成り立たせる、
さまざまなファクターに大胆に挑みます。


気に入った作品の備忘録を。


《あなたが出会うとき》2009年

広い空間に、光がぱーっと開けてくる。

そして、さーっと閉じていく。

自分が見えてくる。現れる。

誰かの姿が照らし出される。また消える。

ゆっくりした動きだけれど、確実に何かに

コントロールされている感じを味わえる。



《ゆっくり動く色のある影》2009年

3つの色の影が重なり、離れ、影なのに独立した色を持つ。

これも、ひとりがいろいろな色を持つってことももちろんだし

同時にいる多くの人たちとともに楽しみ干渉しあうことで

世の中がどんどん多様に美しく花開いていくような気分に。

いちいち単純なのに、深く哲学を語れるのが、

この人の作品の面白いところなんだよなあ。

だから、もうべらべら気づいたことを喋り尽くしておく。


《見えないものが見えてくる》2009年

霧に満ちた部屋に、一筋の光がすーっと通る。

のだけれど、自然ではあり得ない形で、その光の線は

プツリと切れる。こういう非自然であることの不自然さを

ハッと意識させるのも、うまいところ。

単純に、ロスコのようなものが入らないよう、

透明な箱が置いてあって、そのため光の線が見えないんだけど

いやあ、美しく世界の仕組みをシャープにするのって

センスだなあと感心。


《動きが決める物のかたち》(まもなく)(いま)(それから)

ストロボでトロッとしたオイルような

プラスチック材料の噴水をちかちかすると

その瞬間だけうまれる彫刻のように見える。

超美形で、はかない、彫刻でありオブジェ。

見た事もない質感と量感。あれは軽いのか?重いのか?

つるつるしているようにもみえるけど

ぬるっとしているようにもみえるという謎の代物。

接することができる物体とは違う、物体を生み出すという

信じがたい離れ業だった。


《水の彩るあなたの水平線》2009年

宗教施設かのような作品だった。

暗い部屋。

バカでかい円形の部屋の真ん中に

バカでかい水盆。そのさざなみに反射して

虹色の光が部屋の壁にもうひとつの波を描く。

人の気配がするたびに、その波は大きく変動する。

人が自分の空間に入るたびに、

よくもわるくも、明るい色も暗い色も

同時にゆらゆらと反応する。まさに他者によって、

自分の世界は、変容するんだろう。

いやあ、すごい、本当にすごい、すさまじい。



あれこれと

感動した。

難しくないけど、深いなあ。

だから、すごい。

何より感性にくるもんなあ。

それにしても、相変わらず、光ものには

とことん弱いものだ。

2010年4月6日火曜日

手触りが大切な画「断面の世代/束芋」@横浜美術館

「断面の世代」っていうのは、束芋さんの造語で

まさに1970年代、自分の含まれる年代のことを

指しているらしい。当然、「団塊の世代」とも関係してくる。

本人によれば、以下のような感じ。

団塊の世代の方々は、
太巻きの中の玉子焼きやかんぴょうといった、
それぞれが具の1個1個なんです。
私たちの世代も、同じ目標として太巻きになることを
目指しているのですが、個人としてはすべての要素を持っている
太巻きを切り分けたときにできる断面のようなもの。
一応全て持ち合わせているので何でもできるって
思い込んでいるんだけど、よく自分自身を見てみると
薄っぺらい二次元の断面でしかない。
集まればいちおうは三次元の太巻きになれるんだけど、
それぞれがいろんな形、色々な大きさをしているから、
いびつな太巻きになるかもしれない。
逆に団塊の世代は、それぞれが玉子焼きだったり
かんぴょうだったりキュウリだったりして個性的だから、
てんでバラバラになりかねない。
だけど、その多様な具をまとめる米だとか海苔だとかっていう
リーダー的な存在がいれば、ひとつの太巻きになれる、
みたいなイメージです
※横浜美術館/国立国際美術館『束芋:断面の世代』より引用

横浜美術館の吹き抜け全体を使って、団地の様子が映し出されていて

入った瞬間に居心地が悪くざわざわする。

本当にこの人の作品は、触感がある。抵抗感。

神経症みたいな筆致がもぞもぞと動いて絶望的な世界に

移り変わっていくアニメーションは、本当に暗く美しい。

確かにキレイだ。

ワンルームがきたなく汚れ、タンスから無数のゴミが散り、

血が流れ、人の身体がバラバラになろうとも、

世界は必ず美しさを持って立ち現れる。不思議。

骨が水面から顔を出すと、花を咲かせるやつとか

女の髪でいっぱいになったスクリーンをかき分けると

そこに日常の渋滞する交差点があったりとか

キレイに整わない日常の中に確かに「生」があるのは

みごたえたっぷり。

それにしても、この人のキャリアは本当にすごい。

うらやましいほどの、前人未到。あやかりたい。

長野に住んでいるあたりも、いけてる。



本気でパンクで懐深い「歌舞伎座さよなら公演 十二月大歌舞伎」@歌舞伎座

番組は下記な感じ。まあ、すごいすごい。

出てくる人、出てくる人、半端な方がひとりもいない。

さすが、さよなら公演。ちゃんと全力だなあ。

時代的にも古いのから、最新まで取り揃えて、

歌舞伎がいかに幅広い歴史からエキスを吸って

生き延びているかを肌で感じさせてくれた演目だった。


一、操り三番叟(あやつりさんばそう)

             三番叟  勘太郎
              後見  松 也
              千歳  鶴 松
               翁  獅 童


サイレントコメディなうえに、まあ身体がよく動く。

関節とかグニャグニャパキパキと漫画のよう。

操り人形を演じるんだけど、パントマイムとかなくても

自前でこういう文化があるのって面白い。

操り人形のパントマイムやってみたら、よくない?って

思いつくあたりがすさまじい雑食性。

今回は、席がステージに近かったので、

脚にかかる加重とか床をつかむ指とか感じることができて

歌舞伎の身体性を改めて確認できた。


二、新版歌祭文

  野崎村(のざきむら)

              お光  福 助
              お染  孝太郎
            後家お常  秀 調
              久作  彌十郎
              久松  橋之助


よくできたワイドショー話で、農家の娘が好きな男と

一緒になれるとウキウキしていると、都会から超かわいい

姫がその男を追ってやってきちゃうという。

その農家の娘のきゃぴきゃぴした感じとかが

異常に偏見たっぷりにバカにしてて面白い。

うまかったなあ、ほんと、この日の役者さん。

セットもぐるぐる回って、最後なんか家の裏の

川の土手に変身して船に乗って去っていくという

スペクタクル。アイディア、アイディア、

驚くことならなんでもやってやろうという精神が

素晴らしい。


三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん )

            山蔭右京  勘三郎
            太郎冠者  染五郎
            侍女千枝  巳之助
            侍女小枝  新 悟
           奥方玉の井  三津五郎


こっちはコント。勘三郎ってほんと面白い。

声がそもそも面白いのと、リズムがくだらない。

なんかいちいちふざけているんだと思うんだけど、

ムダなことを加えて加えて、そこに溺れる面白さ。

でも、嫌みじゃないあたりが名優なんだろうなあ。

浮気して帰ってくる当たりの、喜ぶ男のダメな感じとか

もうジャストミートな様子で、楽しい。


四、大江戸りびんぐでっど(おおえどりびんぐでっど)

              半助  染五郎
              お葉  七之助
            大工の辰  勘太郎
           根岸肥前守  彌十郎
            遣手お菊  萬次郎
             丁兵衛  市 蔵
             与兵衛  亀 蔵
             佐平次  井之上隆志
           紙屑屋久六  猿 弥
          和尚実は死神  獅 童
          石坂段右衛門  橋之助
            女郎お染  扇 雀
           女郎喜瀬川  福 助
             四十郎  三津五郎
              新吉  勘三郎

宮藤官九郎が書いた新作。江戸にゾンビが現れる。

というとんでもない話。しかもクサヤの汁を浴びると。

いやあ、歌舞伎書いても、まったくぶれないあたりが

需要と供給だなあ、発注する方もしやすいなあと思う。

上がりが思った通りになるなんて安心だもの。

そして、もう話も何もかもめちゃくちゃだけど

しっかり歌舞伎にしていく役者陣のものすごい

懐の深さ。伝統芸能の中でも足腰の強さ。

旬なものを食べて吐き出さずに自分自身を変容させつつ

自分の栄養にしてしまう。

ものすごいアレルギー反応はあっただろうからなあ。

ほとんどが特殊メイクをした(ゾンビメイク…)歌舞伎って

いやあ、いいものを見た。

とりあえず、出来というよりもスタンスに圧倒です。

歌舞伎というものの。

なんでも壊してみなきゃ分からないよねえ、

いけるかいけないかも。

常設だけどさあ「ZED/シルク・ド・ソレイユ」

テントのやつは何回か見てて、その度に結構感動する

シルク・ド・ソレイユ。話に聞くラスベガスのやつは

ものすごそうで、もうそりゃあ羨ましい。「O」とか。

常設ってことで、とっても期待していったんだけど。

ん?ん??

なんか装置がテントのやつとさほどスゴさが変わらない。

こっそり床がいくつも変わったりするようなんだけど、

それってすごいの?噂では、床ごとガンガン動いたりするらしいのに。

アメリカだと。

正直、やっている演目は割とみたことある大道芸なので

演出でみていくものだと思うんだけど、

ワイヤーアクションもブラブラしているだけで

あまり3D的な動きもなく、おとなしめ。

脅かしでいえば、オープニングがピークかなあ。

ステージ全面を覆っていた幕がばーっと美しく消え去る。

ただ、これって、東大でお芝居やってたときに駒場でも見た。

アイディアで想像できないところではないし。

歌もバカウマい感じではなく、音響がいまいちなのか、

心に入ってこない。正直、あれだ、オリエンタルランドは

きっとだまされ気味だなあと思った。たくさんお金払って

セカンドベストが来た感じ。まあ、仕方がない。

観光のセットになっているらしく、席は満員。

グッズもものすごく売れていた。ビジネスとしてはいいのか。

これで。

テーマ設定とかは参考にあるので、下記に。

人生は冒険。そこに、 詩 ( うた ) が生まれる。
彼の名は、Zed(ゼッド)。
彼が旅する世界は、天と地。
そこであらゆる生命と、
大いなる女神と、スフィンクスと…
命の躍動に出会います。
さまざまな経験を重ね、
彼自身が成長すると同時に
彼が生きた天と地という
2つの世界がひとつに結ばれます。
彼の経験と彼が生きた世界のすべてが、
心で感じずにはいられないもの。
この叙情あふれる冒険の旅を通じて誰もが人間の、
人生の経験の本質に迫っていくことができるでしょう。

2010年3月5日金曜日

思いつき「 Google Chrome PR」

こういうことって覚えておきたい。

影バージョンもあるよねえ、意外と忘れちゃう。

もういっちょ最近泣いちゃうもの「マイガール/嵐」

こちらも意外と最近泣いちゃう。

泣いちゃうもの「au最後のメール」

突然だけど、泣いちゃうもの。

ひたすらな信仰「整地チベット・ポタラ宮と天空の至宝」@上野の森美術館

密教的なもののすさまじいところは、

異常なまでの密度にあると思う。

修行のあり方もそうだけど、祀っている仏像とか

もうちょっと目がくらむほどの密集。

腕がほんとに千本あったり

男の神と女の神がありえない形で交わってたり

著名な坊さんの頭蓋骨を水入れに使ったり。

想いの密集が半端ない。ひたすらひたすら念じて

考えて考えて考えてということが出来てしまう

厳しい環境がきっと、そういう宗教を生むのだろう。

あと歴史に残る名坊主みたいなのがたくさんいるのだが

どうも、こういっては罰あたりだが、怪しい。

みなインドの方からチベットにやってくるわけ。

荒んだチベット密教を立て直していくんだけど、

今、本場インドじゃあ、これが流行なんだ!的なことかと

思うとどうにも、軽々しく信じられない。

あとは、地面に巨大な人間が横たわっていて

その人間が暴れないように、要所要所に

寺が立っているという壮大なプランが面白かった。

でも、やっぱり、土地というのは

その地面そのものが大事で、そこに神が宿るのだと

改めて感じた。だって、そんな昔からだもの。

2010年3月4日木曜日

「世田谷カフカ/ナイロン100℃」@本多劇場

『審判』のヨーゼフ・Kに

『城』のK(カー)

『失踪者』のカール・ロスマン

と、3作の長編に3人のK。

で、この3人が集まったらおもしろそうだなと

ということで、ケラさんが書いたというか

劇団のみなさんが紡ぎ出した空間が

本多劇場に。ああ、劇団ナイロン100℃。

カフカってはまったことないから

ちゃんと読まないといけないと思った。

まるで、頭に筋が残っていない。フレーズがない。

景色がない。ダメだなあ、名作に損はないのに。

でも、カフカって面白人生の人だなあ。


フランツ・カフカとは
『変身』などの著書で知られる
現在のチェコ出身のドイツ語作家。
保険局に勤めながら執筆活動を行っており、
生前はほぼ無名に近かった。
死後、彼の友人であるマックス・ブロートが
遺稿を発表したことにより、
その名が広く知られるようになる。
ちなみにカフカは、この遺稿をすべて
焼き捨てるようにと遺言に残していた。
長編はこの遺稿の中にあったもので、
『審判』『城』『失踪者』の3作品のみ。
そのすべてが未完である。


上記の主人公たちとカフカ本人がバタバタと出てきたり

役者に戻った今の世田谷を生きる、そのままの人が語り

で、そのふたつがないまぜになってダンスしたり歌ったり。

ある意味ゴールがないと思える中で、

お話ってあるようで、ないけど、

そこがそのまま現実じゃないかと感じる舞台だった。

こんなことが成立するのは、やはり劇団だからかなあ。

空気だけがつないでる。こういう感覚だって

現実にはよくあるよなあ。隣同士全然違うこと考えてて

それでもなぜか同じ仕事してたりするもんなあ。

ナンセンスコメディの集団だけど、

自分たちの話する時のリアリティのあり方とか

素晴らしくて、ちょっと胸に迫るものがあった。

ムダに。

相変わらず、長かったけど、

そして、後半は絶対切れるって思ったけど

切らないあたりも「らしさ」だなあと思い直した。

完成度とかよりも、想いだよなあ、ここは。

超エリート国家公務員集団「パリ・オペラ座のすべて」@ル・シネマ

1年の人件費は160億円だって。

みんな国家公務員で、ちゃんと身分保障。

それで、中で必死に戦ってる。美しいものを作るために。

いやあ、志高くてよいなあ、やはり、それをちゃんと許す

市民も本当に偉い。あれは、守りたいって思うのかな?

日本だと、すぐ生活と関係ないとか言って文句が出て

お金出なくなったりするもんなあ。

それにしても、ダンサーたちのリアルな、飾られない鍛錬がよい。

地味で地味で。だけど、そこからしか生まれないキレとか

ちゃんと見え隠れして、調子いいやつとか悪いやつとかも

残酷に隣り合わせで、生きていかななくちゃいけなくて

そういう本当のガラスの仮面的世界が切り取られていて

ドキドキする。

紙一枚で次の仕事があるかないか分かったり

家柄とか関係なく、その人自身が作った人間関係と実力が

生きる糧を得るかどうかをキワキワで決めたりと

ドロドロの現実を見て取れる。

働いてる人がみんなクセがあって、めんどくさいんだけど、

誇りがあってよかったなあ。

営業みたいな人も「それはオペラ座ではない!」とか

言い出して、外の人にごねまくったり。

愛を感じるなあ、そういう瞬間。

監督は周りから気配を察知されないように

カメラマンと独自のサインを作って撮影したそうで。

覚えておこう。

会社のチカラになりきる「山形季央展」@ggg

知らなかったけど、デザイン界の重鎮らしい。

実は、こんな人みたい。

山形季央は、資生堂のアートディレクター、
クリエイティブディレクターとして、
ブランドの立ち上げや、展覧会のアートディレクション、
2005年には資生堂のコーポレーション・メッセージ
「一瞬も一生も美しく」のコピー開発など、
資生堂の広告の中枢を担う活躍をしています。
また、その一方で、ダンスカンパニー山海塾の公演ポスターや、
上田義彦『AMAGATSU』、十文字美信『わび』など
写真集のブックデザインでは、日本の美や身体美にこだわり、
非日常的な他にない美しい世界を表現しています。

なんか不思議な凧みたいな感じの目玉が顔を描いたり

流麗な線が有名な女優をイメージした線だったり

柔らかな感覚がしっとりと感じる展示。

なんかコンセプトのあり方にヨーロッパを感じたのは

なぜなのか?一緒に仕事をしてきた人たちの影響?

日本人に少ない、言葉を尽くす様子がいいなあと。

浮つく程の、あふれる言葉が、沈着して洗練され

シンプルなデザインに落ちていく、そのプロセス。

ぜひとも、そうありたい。

そのシンプルさに隠されるチカラが全然違うもんなあ。

あとは、日本のきれいさとか美しさって

すっきりしたところにあるのかもねえ。

あまり色とかごてごてしない、スッと線を引く、

さっと色をつける、そんな感じ。

2010年2月3日水曜日

イメージ戦略「古代ローマ帝国の遺産」@国立西洋美術館

なんかつかみにくいローマとかギリシアとか。

すごい大事な時代なのに、ちゃんと向き合ったことないから

いつもいつもふわっとして終わってしまう。

今回もたぶんかなりふわっとしていて、本当なら

もっともっと感激していいはずの展示かもしれないんだけど

なんだか良さが完全につかみきれない。

なんとはなしに感じたのは、やっぱりちょっとでも

生活が豊かになったなあと誰もが感じることができるのは

偉大なことで、それが統治の決定的な力になってるなあということと

もうひとつは、人心をつかむには、ポジションが大事だということ。

アウグストゥスだって「尊厳なる人」であり「第一人者」であり

イメージとして神々しく、権威のある人として君臨する下地を

ちゃんと作ったんだよねえ。神様に祝福されるイメージ図録なんかも

周到に準備したりなんかして。

あとは、意外と派手で、キャッチーなおうち。

タイルで張ってある屋根が真っ青だったり、

食事をしながらごろごろできる部屋の壁は真っ赤。

(なんでも吐くまで食べるって!
 その吐瀉物が流れるようにベッドが斜め!)

それから、その前庭には水色のキレイな泉があり、

大きな樹、色とりどりの花、さらには白い外壁、オレンジの屋根。

まあ、考えてみれば、イタリア。

そのころから、あの太陽が、キャッチーな明るい色を生んだのか

と思うとなんとも感慨深い。

あと思ったのは、細工ものって、アジアはやっぱりすごい。

ローマのみても、全然水準が違う。やっぱり大味なんだよなあ、なんか。

圧倒的に、細密度が違う。だから金細工とかすげえとか思わないのかも。

申し訳ないけど。

その旬の刺激「社会派すけべえ/毛皮族」@駅前劇場

ああ、見てしまったという感覚。

旬の時期を生きてしまったあとに訪れる

残酷などうにもならない時代。

きっと10年くらい前は、かなり刺激的だったのだろう。

でも、その刺激に人が慣れ、

その刺激を作り出すことに疲れた人たちが見せる

それはあまりにもしんどく、切なかった。

唄があまりにもヒドい。もともとウマさなんかない。

でも、グルーブは確かにそこにあったはずだった。

その勢いを感じて、気分がよくなったはずだった。

でも、無理に、その覚えている感覚を、リフレインしようと

もがいている風に感じてしまったステージは未完成にしか見えない。

でもなあ、当人たちも分からないんだよねえ、きっと。

どうしたらいいかなんて。

最近、よく思うのは、結局は何を大事にするかをしっかりと

見据えることなんじゃないかということ。

いろいろあるけど、ひとつ残るもの、譲れないものは何か?

唄もうまくなければ。当たり前のようにオッパイが出たりするし、

ドラマは当然、先が見えているか、変なこだわりの紆余曲折か、

そんな案配。

江森さんは、きっと面白いし、パワーもあるんだけど、

それに見合うというか。同じテンションで集団に参加している人が

あまりにも少ないのだろうなあ。

だから、塊として、ぐっとこないのだろうなあ。

現れるのは、結局は、覚悟。

竹内結子の抜けたところ「なくもんか」

主人公はハムカツ屋で、

もうそれはそれはハムカツ一筋で、

何も見えていないようでいて、

実は、そんな人ほどしっかりと先に

つながった生き方をしていたりするところが

本当によかったなあと思った。

話の筋とか大筋は分かっちゃってるけど

そんなことよりも大枠なところで

与えられた人生をきちんと生きようとするところは

なんだか今っぽいんだろう。

しかも愚痴とか言わずに、コツコツと仕方なく。

さして、夢を語ることなく、ある現実をただただ生きていく。

現在って、どうなの?

それにしても、長らくのお気に入りな

竹内結子の可愛さは何か?

憑き物が落ちるのかなあ、広末もこの人も。

スッとヒヤリとするキレイさが、際立ってくるものだ。

離婚とかすると役にリアリティが増すとか

いうけれど、そんなことはたぶんまるでどうでもよくて

心持ちで度胸がすわる分、波立つ部分なく、

凛として美しかったりするのだろう。

何がすっとおちるのか?男子としては気になるところだ。

整形して、竹内結子並みになるデブの女子って

いそうもないと思うけど、実際にいるのが世の中。

芸能人だってみな、おそろしい変貌を遂げていくものだ。

おそるべし、現代技術。